神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「ロウソクを灯す理由」



<第1部>

Candleで思いを伝えるCandle JUNE

こんにちは。よろしくお願いします。自分はキャンドルをつくってともすことが仕事でアーティストとは言っていません。便宜上、肩書きとしてキャンドルアーティストと呼ばれるんですが、自分の肩書きCandle JUNE。キャンドルをつくっているジュンだから、Candle JUNEだと、職業の名前とか、肩書きというものを最小限にしたかったのでCandle JUNEとしたんですが、結局はキャンドルアーティストというところでまとめられてはいます。アーティストではないっていう理由は、ちょっとだけアートという世界に対して違うんじゃないかっていう思いと、同時に、アーティストとくくられてしまった途端に、自分が行っていること自体はまったく違うものになってしまう可能性があると思っているからです。
「今回のテーマ、メッセージは何ですか?」とよく聞かれるんですが、自分はその時、その場所でともすこと、そこに意味があって、言葉にしてしまうと途端に嘘っぽく感じてしまったり、できれば自分が「こう言ったからこうです」ではなく、ロウソクの持っているよさのひとつとして、ともしている時に各々が感じる感じ方があったり、それぞれの心の中にある引き出しを開けてもらえたとか、そういったことこそが大切だと思っていて、極力言葉で相手に伝えることを避けようと思って今まで来ています。

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とはいえ、ここ何年かずいぶん(人前で)お話をするというような機会をいただくことが多く、矛盾していると言えば矛盾しているんですけど、それでも自分が慣れていることはキャンドルをつくってともすことであって、トークは慣れたくないという思いから脚本をつくって話すのではなく、常にその場所に立ってみて、話すべき、伝えたい人たちを前にして降りてくる言葉を繋いでいくことが、言葉を選ばなかった自分の在り方じゃないかなと思ってやっています。
今日来てくださっている多くの方は、「Candle JUNEって、最近賑やかにしてた人でしょう」とか、「入れ墨入っていて、柄が悪くて……」とか。Candle JUNEが日々何をしているのか、知らない人も多いんじゃないかなってことから「キャンドルをともす理由」というテーマで始めたいと思います。

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ロウソクがパートナーとなった日

東日本大震災があってから、うちのスタッフに「これからはこの震災に対してのアクションをいちばんにやっていくから辞めたい人は辞めてくれ」というところから去年は始まりました。仕事も遊びも自分には線引きがないのですが、こと震災に関わることのみに集中したいということで、アクションの内容も変えてきました。なのに、結婚報道があった時にいろいろ騒がせてしまったりですとか、いろいろな人に迷惑をかけてしまったり、悲しい思いをさせてしまうというところから、メディアにはもう出ないと決めてました。震災以降、現地でアクションをしていると、新聞社とかさまざまなメディアがやってきて、それに対して自分のプライベートなことで出る出ないではなく、もっと多くの方に、この知らされていない被災地の状況を伝えていかないといけないというところから、ルールを変えて、メディアに出られる時には出て、より多くの被災地のこと、また原発事故のあった福島のことを可能な限り伝えていきたいと……。そんな1年ちょっとを過ごしてきています。
だから、今日も自分のテーマははっきりしていて、「ロウソクをともす理由」ということも、自分は「いま福島を救いたい」、この一言に尽きていて、そこに繋がるすべてだと……。この神戸学校のはじまりやテーマ、それを聞いた時にもしかしたら、その福島のことをより具体的に伝え、神戸の人にわかってもらえるのではないかという思いがありました。なぜそういう思いに至ったのかという、ここまでのストーリーを伝えます。
なぜ福島を救いたいかということに自分が至ったのかということを伝えなければ、ロウソクをともす理由も伝わらないんじゃないかなと思い、今日ここに来て、改めて何を話そうかなと思った時に、自分の人生を久しぶりに振り返ることができました。

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会場の入り口でキャンドルとか「LOVE FOR NIPPON 」のグッズを販売しているのですが、ずいぶん前に書いた自分の本があって、その本を久しぶりに開いてみました。ここ最近は話すことは津波のことや原発のことしか話してなかったので、「ともす理由」というのをどうしようかなと思って……。本を開いてみたら「やっぱり間違っていないんだな」と、そういう気分になりました。「ともす理由」は全部本に書いてあったりもするんですけど、そんなことを言ってると本のセールスみたいに聞こえちゃうので、別に買ってもらわなくても大丈夫です。話します。

(会場:笑)

会場をぱっと見るとさまざまな年代の人がいらしてとてもうれしいなと思います。まず自分は、こどもに対しては謝るようにしています「こんな世の中でごめんね」と。それは自分がこども時代、いわゆる10代、「何のために生まれて来たのかな」とか、「何をするべきなのかな」ということを起きている間じゅう頭の片隅にあるようなこどもだったからです。こども時代、自分はとても忙しく過ごしていました。自分がしたいことで忙しいのではなく大人の事情での忙しさで、だから当然「もっと友だちと遊びたいなあ」と思ってもなかなか遊べなくて、「なんで?」ということもあったり、「何のために生まれてきたの」、「何をするべきなのかな」という問いかけがずっと頭の片隅にありました。だから、家族から早く離れたいという欲望もあったんです。とはいえ、家族と暮らしている時は、寝る場所もあって、冷蔵庫を開ければ食べ物もあったし、そこまで問題にシリアスに向き合うことなく、暮らしてたんだなあってことを、ひとり暮らしを始めて改めて気づきました。18歳で東京でひとり暮らしを始めてみたら、大変でした。何よりも生きるということそのために、家賃を払ったりとか、食べるとか、そのために毎日を過ごしてるんだなあと。家賃は当然高かったし、食べるということに対しても毎月お金を使うし、そうなってくると「何のために生まれてきたのかなあ」とか「何をするべきなのかな」という問いに向き合わざるを得ない状況になりました。ただ食べて、ただ息を吸っているために毎日を過ごすのかと思うと、これはまずいと……。先輩方にも「なんででしょうね」と問いかけてみたりとか、いろいろなことをしたんですけど、「もっとポジティブに考えて、わからないけどやれることをやっていけ」という答えがたくさん返ってきました。自分は、なんだかわからないことをやることをやる方がネガティブなんじゃないかと思い、生きることのクエスチョンなんだから、生きることに繋がるすべてを全部やめてみようと思いました。食べることをやめて、飲むことをやめて、眠ることをやめて……。そして、自分がなんでこんなふうにを考えるようになったのかなあと自問自答する時間を持つようになりました。最初は音楽をかけていたり、本を読んだり、宗教のことをいろいろ勉強してみたりしたんですが、だんだん、いろいろなものがいらなくなってきて、最後に残ったのが1本のロウソクでした。
ロウソクをともして自分自身と向き合うということ、自分と会話するために必要な道具としてのロウソク、そこからロウソクとの生活が始まりました。
2、3日経つとなんとなくの答えをつかんだような気になって……。その時、自分が小さいころに嫌いだったカトリック教会へ行き、日曜日になるとミサに参加してという日曜学校に行くこども時代を思い出しました。なぜ嫌いだったかというと、平日は現実を生きていて、日曜日になると、その1週間を反省、懺悔して……。わざわざその日曜日を持つくらいなら、毎日神さまの言う通りの生活をしていれば、日曜にわざわざ集まる必要がないんじゃないかなと……。それが自分が食べたり、眠ったりということをやめて、自分なりの自己探求というか修行みたいなことをしていると、これが教会の日曜日の過ごし方と変わらないんじゃないかなと……。
そんなふうに思った時に、これはダメだと。「なぜ生きるのか」というテーマだったので、その反対である「死ぬ」という行為をもうちょっと考えてみようと思いました。その時に、はっきりわかったのは、自ら死を選ぶという行為は、自分の最後のアクションであって、そこから何が生まれるかというと、自分自身はいいかも知れないけれど、確実に多くの人に悲しみを生むんだということはわかったんです。なので、そういった死に方はないな、と。つまり自殺は自分の問題の解決方法にならないということはわかっていたんですが、自殺以外の死はないのか、を一所懸命考えたりもしました。これがなかなかありそうでなくて……。あの飛行機はよく落ちるから、あっちの国に行ってみようかなあとか、また逆説的に悲しむ人たちがまわりにいるっていうことは、家族や友人たちと疎遠になればいいのかな?とか、バカみたいだけど、そういうことを考えたりもしていました。
生きるとか死ぬとかということをずっと考えていた結果、全部止めていって、ひとりで自問自答していた3日目の終わりくらいに、気がついたら近くのスーパーに行っていたんです。そのスーパーで食べ物を手にレジにいたんです。レジの方に言われた「ありがとうございます」という一言で、はっと我に返って、驚いたんです。自分は自分自身を探すために、欲望を断とうとして、いろいろなことをやめていたはずか、もっとも生きるにイコールの食べるという行為に対して、自分の意思とは関係なく身体がスーパーにいて無意識のうちに買い物をしていることに対してすごく恥ずかしくなったんです。同時にレジの方の「ありがとうございます」という言葉が、「生きることを選んでくれてありがとう。魂の声に耳を傾けてくれてありがとう」に聴こえました。頭でっかちにいろいろ考えていた自分自身が完全な敗北をしたと感じました。自分だけで悶々としていたら答えが出なかったかも知れないんですけど、外に出て他人であるレジの方の言葉があり、自分の悶々としていたクエスチョンに対してピリオドを打つことができました。

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はっきりわかったんです。何のために生まれてきたのかどうこうというのも、必ず理由があって、一所懸命死を考えていた時も、自分が当時好きだったミュージシャンやアーティストが、20代の半ばや後半で亡くなっている方が多く、考えたら、その年齢までに彼らはやるべきことをやれたから亡くなることができたんだと思うようになりました。自分はまだ生きるとか死ぬとか、そういうスタート地点に立ってすらいなかったんだと思うとまだ生きていなかったんだと考えるようになりました。だから、そのスーパーで買ったごはんをようやく自分が自ら生きるっていう意思で、生きるために食べるということで始めた一歩になったというか……。
その日から自分は大人になったんだと思ったんです。今までは、自分の性格なり何かしらを、全部親のせい、社会のせいとしていたことが、今の自分があるのは、それらすべてがあってくれるおかげだと。その自分を自分で理解してそこから一歩を始めればいいんじゃないかと思った時に生きるの第一歩が始まって、そこからはもう何かのせいにするのはやめようと思い、むしろ積極的に生きようと思いました。これもまた偏ってると言われるかもしれないのですが、その時から、自分の夢は死ぬことになりました。積極的に自分の過去、なぜそういう思考回路を持つようになったのかとか、過去を計算式にしてみて、プラスがあったりマイナスがあったり、掛ける、割るがあったとしても、イコール今の自分という答えがあった時に、きっとこれから先、それらを意識していれば、このイコールの前の方にプラスされていくと、必ずまたイコール今の自分がその影響を受けて変わるんだって思うと積極的に生きていれば、早く正しい死がやってくると思えるようになりました。
結果、ロウソクというパートナーを得て、自分がこの時代、この場所に生まれて今やっていることに対しての間違いのない答えをもらえるようになってきて、今は明確に自分が生まれて来ている意味を自分は知っているということです。それを達成するまでは死なないだろうし、なおかつそれは前世から持って来ているテーマであって、そのテーマを来世に持ち越したくないという思いも強く持っています。眠ることが大好きで、眠っている時間が大好き、あちこち旅をすることは決して好きではなくて、本当だったら自分の閉ざされた世界でこじんまりと生活をしていたいんですが、ただ、知ってしまったできごとがあったり、そのできごとに対して自分が何かした方がいいのに、それをしないで部屋にいる、そのことで果たして気持ちよく眠れるだろうかって思ったら、やっぱりそのことに対して、自分から積極的に向き合って、行動を起こした方が睡眠時間が短くなったとしても、気持ちよく眠れるんじゃないかと、そんな思いで今も旅が続いています。このテーマを来世に持ち越さず、今世でしっかり終えて、魂の部分に置いても輪廻なく一度死を迎えたいというか、眠りにつきたい、そんな夢を持っています。「ともす理由」からはかけ離れてしまいましたが、そういった自問自答する日々にともしていた時間から、ごはんを買って食べてそこからは、いかに生きるかということに集中し始めました。

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ロウソクというパートナーをみつけ
2001年「平和の火」をともし、
そこから世界へ広がっていったキャンドルの旅

それからは簡単で、ロウソクって、日本では、落語とかでも寿命に例えられることもありますが、あと自分の寿命はどのくらいだろうか、ではなくて、自分は生きるとか死ぬとかいうことを考えるために、お金もなかったので、自分でかけらを溶かしてロウソクをつくっていたんですね。既に無意識のうちにつくっていたロウソクが生きるとか死ぬとかのためにつくっていたロウソクが、今度は、自分の寿命の限りはこのぐらいだと感じるんじゃなくて、自分で自分の寿命をつくっていたんだと気づいたんです。だから、これでいいじゃないかと……。もしかしたら普通の人よりは、いろいろなことにクエスチョンがついてしまって立ち止まらないと……ということがあるかもしれない。でも、自ら生きるって決めたことの証が、キャンドルを自分でつくればいいんだ、キャンドルをつくってともせば必ず答えが出るっていうふうに思うようになって、そこから意識的にロウソクをつくるようになりました。
それは自分自身と向き合うためのコミュニケーションの道具でもあったんですが、家に遊びにくる友人たちとの間に入るコミュニケーションの道具にもなりました。自分個人の時間を、またほかの人もそれぞれの世界があるんだとすれば、そのロウソクというものがつくり出す世界が、みんなにとってもいいものになるんじゃないかと思うと、自然に買っていってくれる人も現れました。それを仕事にしようとは思ってなかったんですが、それでも、あれもこれもって考えると人生は大変だと思ったので、ロウソクをつくってともすだけに集中してみようと思い、それで生きられるかどうかを最初の、1、2年くらい試してみたんですね。お金が小銭しか残ってなくても、ロウソクをつくる材料があったらまだつくろうってつくっていたら、友だちが買いにきてくれたりとか……。ひとつに集中したら、絶対生きられるんだと確信を得たら、そこから「平和の火」をともすまではあっという間でした。自分なりの平和に集中してロウソクをつくってともしてきたんですが、公の場でもともすようになり、多くの人たちと共有の場所をつくるようにもなっていきました。
2001年にダライラマが呼びかけた「聖なる音楽祭」という平和の祭典が宮島で行われたんですが、その時に「『平和の火』という原爆の残り火を期間中ともしてくれないか」と言われました。今までは自分の火をともしてきたのですが、「平和の火」という思いの込められた火をともすということは、これから先に大きく変わって行くできごとになるだろう。いろいろ考えたんですけど、でもそういう時が来たんだと思いました。ともしたからには、広島にも長崎にも行かなければならないし、沖縄にもっていうふうに思っているうちに「Candle Odyssey」という旅が始まりました。
旅をして初めて広島や長崎の原爆を体験されて生きていらっしゃるお父さんお母さんと会っていくうちにイメージと違っていたことがたくさんありました。広島や長崎の人たちは憎しみというよりは慈愛の心というか、とても素晴らしい人たちが多かったなあ。だから、行くのが楽しくなってきました。その人たちと触れ合うことが、とても自分のためになるというか……。もちろん悲しみを自分が拭えるかというとそうではないのですが……。
ニューヨークのテロがあった時、自分には映画のワンシーンのように思えたんですけど、ただ、広島、長崎の人はどう思ったんだろうと気になりました。長崎の浦上天守堂のミサに参加させてもらってロウソクをともしたあと、「ありがとう」と握手をしてきてくれたお母さんが「これで私のロウソクをつくってアメリカに行ってともしてくれないか」とお金を渡してくれたんです。「私たちと同じような悲しみの家族ができて、とても悲しいし、力になってあげたいんだ」って託してくれたんですね。これは、とてもしあわせなことだなあと思えたんです。そして、どうすれば平和になるんだろうって思った時に、答えは悲しみが置きた場所にあるんじゃないかと思ったんです。そこへ行って、その場所と、そこに暮らしている人たちから学ばせてもらえれば、もう少し具体的な平和というものが、得られるんじゃないかなと……。

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それで、とにかく戦争、テロがあった場所を巡り続けました。毎年8月になると広島、長崎に行ってともして、原爆ドームに夜行って朝までともして……。当時は、亡くなったみなさんに夜降りて来てもらって、話を聞くっていうことをしていたつもりで、ただそれに対して、自分は「成仏させることはできないって思っているので、けれど、太陽とともに天に昇っていってもらうというようなことをしていたんですけど、何年か続けていた時にこんなに悲しいことはないなと思ったんです。もう何十年経っているのに、毎年毎年亡くなったみなさんは8月になると多くの人に呼ばれて降りてこないといけなくて……。「痛かったでしょう。つらかったでしょう。でもまだ世界は、あなたたちの経験から学んでいないんですよ、ごめんなさいね」ということを何十年も言い続けなきゃいけないのかと思うと、それを自分もしてしまっているのかと思ったら申し訳なくなってしまい、もう戦争やテロが終わるまでは広島、長崎には行かないと決めました。
やったことに対しては口を閉ざす傾向にあるんじゃないかなと思うと、広島や長崎に原爆が落ちた日にともすっていうことと同時に終戦記念日にも沖縄でともすことをしていたんですが、もう何十年も経つのに、お互いに今の平和を喜べないのかなあと思うと、(中略)だったら自分は中国に行くべきじゃないかと思い、何年かは終戦記念日に中国に行ってともすことをやっていました。それによって自分なりに、戦争やテロを終わらせるための答えは見つけたような気になっていたんですけど、それでも自分が暮らす東京に帰ってきて、仲間たちといろいろな話をしても、「ジュンはえらいよね。でも戦争ってなくならないよ。人が生きている以上争いは続くんだから」って、「歴史は物語ってるだろ」っていうふうに悪気もなく言うんですね。それは多分確かに多くの人が思ってるんじゃないかと思うんです。
アメリカを旅した時も、当時日本では、アフガニスタンに報復攻撃にアメリカ人の90%が賛成だって聞いていたんですが、アメリカを西から東に横断してまた西に戻る際にアメリカ人にインタビューをしていたのですが、多くの人が「アフガンへのアタックは賛成できない」と言っていました。「報復が報復を呼ぶから、意味がないんだ」ということをたくさんのアメリカ人が言っていたということは、うれしくもあるんですが、どこかで誰かのせいにして終わりにしている人ばかりじゃないかとも思ったんです。そう感じた時に戦争、テロを行っているのは、多くの悪気なく言っている「戦争終わんないよ」という一言が終わりにしていないんじゃないかなと気づいたんですね。確かに、自分の先輩方の世代は「戦争反対」とか「ラブ&ピース」っていう言葉を一般化してくれて、それがあったからある程度世界大戦みたいなものとかも、なくなったと思うんですが、それでも「戦争反対」ってものは、戦争があることを認めつつ、自分は反対であるという意思表示じゃないかと思うと、その次世代の自分たちは「戦争ってばかばかしいし、飽きたから止めようよ」と堂々と言わなければいけないんじゃないかな。極端に言うと、「自分が戦争を終わりにするんだ」って言葉に変わるんですけど、それをみんなと話すと、みんなはおかしなリアクションをとるんです。でも、「終わりにしようよ」って言ったら気づくんです。みんな本当に戦争が終わったらってことをいかに毎日想像していないかってことに。多くの人が、「戦争はあるものだ」ってイメージを明確に持っているから終わらないんです。要はこどもたちにどうやって教えるかってことだと思うんですけど、いろいろな社会のルールを教えるにあたって、「人を傷つけちゃいけないよ」って言っても、「パパ、戦争に行って人を殺したら勲章をもらえるんでしょ」って言われたら「どうやって言えばいいんだろう」って思うと、それだけに尽きるんじゃないかと思います。大人がちゃんと大人としてこどもに向き合うためには「戦争反対」ではなく「終わりにしようよ」って言葉の方がどれだけいいか、そこに転じて「お前が終わりにするって言ったって、終わるわけないだろう」と言われても、その時にちゃんと言えるんです。自分は、自分の戦争を終わりにするし、自分ができることはロウソクをつくってともすことで、瞬間、平和な時間と場所をつくってきたという事実がある。
すべてではないかも知れないけれど、ロウソクをともす場所と時間、そこにいる人々がいがみあってるかというとその真逆で、なんとも言えないいい笑顔で平和な時間を過ごしている場面をたくさんつくれてきている、だったら、もっとつくりだせばいいんだと……。

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歴史を繰り返さず、
戦争、テロではない争い方を……。

みんなが言い訳のように言う「人の歴史を見てごらん、歴史が物語ってるんじゃないか」っていう歴史を、ようやく世紀を越えるこの時代に学んだと言ってもいいんじゃないかと。そもそも「歴史を学びなさい」ってことは、「繰り返す、繰り返さない」ってことじゃないんです。人類のわかっている範囲での人々の争いをしっかり学び、まずは戦争という形の争い方を止めようよ。そうやって、わけてみてはどうかと……。人々が争い続けているという言葉は確かに本当だし、それは言い換えれば、競い合うことで、スポーツもそうだし、競い合うことは悪いことではない。ルールがあったり、オーディエンスがいたり、美しさがあったら、むしろ競い合うことは素晴らしいことじゃないかって言えるはずで、その線引きを人々は争い続ける歴史だってことで、そこに戦争をのっけるのではなく、戦争と競い合うことは別だと分けることができれば、まずは戦争ってものを世界からなくすことができるんじゃないかなと。実際第2次世界大戦が終わって、もうさすがに第3があったら世界は滅びるよって声が高まった時に確かに、大きな世界大戦はなくなったと思うんですが、でも、意識的に戦争で経済がよくなるとか、それによって利権がとか……、さまざまな思惑で、日々それを仕事として捉えてる人たちがどうしたかと言えば、新たな手法に変えて来たと。昔は宣戦布告し合って戦争をしていたのに、今の戦争は、どんなにあの国が非常識か、どんなにあのリーダーが非人道的か、そういったことを世間に認めさせて、その上で、助けに行ってあげましょうというふうな形の戦争に変わっただろうし、同時にそれに対して、どういうふうに立ち向かえるかと言ったらテロという手法しかないんだと。ニューヨークに行ってビルに飛行機で突っ込もうということが目的ということであれば、そこに行ってしまったら、それで終わりで、テロには屈しないと言っても、テロをした側とすれば目標、ゴール地点が、ビルに飛行機で突っ込むことであれば達成されているから、そこで完結。

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これに対しては、テロには屈しないと言っても、監視カメラをつけても防ぎようがないだってことを認めないといけない時代になっているはずで、そのためには戦争というものを改めて考え直さないといけないし、その最もムダのない形がテロとなっているのだとすれば、それを変えるためには美意識というか、モラルと、同時に第3者ってものじゃないかと思うと、日本がやれることは多いと思います。日本はかつてひどいこともしただろうけれど、原爆というほかの国にはない核兵器によって悲しい思いをしました。そういう両方の気持ちがわかる日本ならば、世界のリーダーに日本がなれるんじゃないかと思います。ロウソクをともす理由からずいぶん政治的な話になってしまいましたけど、そういう自分の夢があって日々ともしています。

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福島を救いたい一心で
立ち上げた「LOVE FOR NIPPON」

福島の原発事故があり、「LOVE FOR NIPPON」を立ち上げて、何をしたかと言うとたくさんの著名人に声をかけて、メッセージをもらい届けるのと、安否確認のサイトをつくったり、まずネットでできることをはじめ、同時に著名人に物資をもらって被災地に届けました。始めてみた時に、自分は東京の人間だから千葉とか茨城とかなるべく近い被災地を何往復もした方が有効的だと思っていたんです。これまでいろいろな活動をしてきたので、いろいろな団体に知り合いがいたので今の状況をリサーチしてみたら、福島にどこも入っていないと…。それは原発事故があったので、既存の団体は職員の安全を考えた時に送るべきではないと考えたことから、福島には入ってなかったということを聞いて、自分は団体を立ち上げたと言っても限りなく個人ではあるので、物資を持ってしばらくは福島へ通いました。その時、国が定めていた30キロ圏内にはまだ住んでいる方もいらっしゃったんですが、「入るな」「出ましょう」という命令が下っていたので、その30キロというラインを決められてしまったがゆえに、困惑している地域が確かにあるっていうことで、30キロラインの街によく行っていたんです。そこは原発だけじゃなく津波被害も大きかった町だったので、そのことを伝えないといけないということもあったんです。いわき市のもっとも最北あたりです。いわき市は、とても大きくて、自衛隊本部も市の中心にあったので、自衛隊の物資も全然届いてなかったんですね。そこに、当時、こんな数値が高いところ、あんまり外にいちゃいけないっていう数値ではあったんですが、その数値も現地の人には教えられることなく、また自衛隊が来るからというだけで何時間も家族と一緒に道路に並んでいるような状況でした。自分は原発の反対運動をしていたので、「せめてマスクだけでもしてほしい」と言いたかったんですけど、言えなかった。それは、現地のお父さんと話をして「放射能の怖さを知っているぞ、だけど、いま俺たちには飲むものの食べるものもないぞ。癌になるのは何十年か先だろ」と言われた時に、「マスクつけてください」と言えませんでした。と同時にもっと本気で反対運動をしていたら止まっていたかと思った時に実は自分は思ってなかったんだって思ったんです。

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戦争も、戦争が終わった世界を想像してみてよって言ってたはずなのに、原発が反対運動をして終わったらとか、終わるためには……とか現実的なステップを考えてなかったんだなと反省しました。だから、そこからはひたすら、物資を運ぶことに専念しました。何度も福島に行って、最初に「こどもに謝りたい」って言ったのは、小さなこどもはそんなに社会に不満とかないかもわからないですが、でも確実に社会の仕組みとか、大人の理由みたいなものに対しておかしいって思っているこどもたちがいるんであれば、自分もかつてはそうだったと。ただ自ら食べると決めた時から自分は大人になったんだと決めたので、自分が大人になったってことはかつての自分が、反抗していた社会の大人側に自分がいるんだと思えばちゃんとこどもたちと向き合わないといけないって思うと、大人なのに、俺も社会はおかしいぞと思うのは、それは違うっていうか……。昔の自分とちゃんと向き合って、こどもたちに対して向き合って「こんな世界でごめんね」「こんな日本でごめんね」と謝りたいなって。今はそうだけど、この時こんなふうにしたいんだよ」とか、「こんなことをがんばっている大人もいるんだぞ」って見えていたり……。だからそれも伝えたいなと思います。何が言いたかったって言うと早いこと安心できる世界になってほしいってことなんです。
いつかの自分の夢は、戦争に関して言えば、万里の長城で世界中の人々が集まってキャンドルをともしたいなあという夢を持っています。戦争的建築物で言えばきっと最大、最長じゃないかと思うと1個1個の明かりが各地にともっているだけでなくて、戦争を終結したぞ、今生きている人類すべてが集まって長い長い光の道をつくったら、とてもきれいだろうなって、そんな夢を持っています。今は東日本大震災、原発事故があったので、ちょっとその目標からは遠のいているような気もしますが、でもこれこそがチャンスだというふうにも思っています。原発事故があった福島に何度も通って、いろいろな人たちと仲よくさせてもらっているんですけど、そこでの悲しい話はなるべく話さないようにしています。広島、長崎もそうだったんですが、自分に話してくれるのは、自分を通して、また多くの人に伝えてほしいからだと思うんですが、自分が話して、「だからもっと被災地に行きませんか」と言いたくないです。

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それは、自分が行って接してきたから話せてもらえたギフトであって、そのギフトに対して返せることは何だろうと思ったら、「しなければいけないボランティアというふうな考え方をやめてください」っていうこと。「仕事の休みをとってボランティアに行きましょう」ではなくて、それぞれの仕事で現地と関われるようにしてほしい。もっとも自分の誇るべき、日々日常、自分のいる世界で、現地の人と繋がっていってほしいです。だから、なるべく自分がもらってきたお話はしないでおこうと思います。なにより、ここは神戸だから。もう、悲しみの土地を知った人たちは、何かのせいにしてなんとなく生きている人ではなくて、それでも生きるっていうふうに強い意志を持ったりとか、大切な人を守るっていう気持ちだったりとか、そういったことで、ここまで生きた人たちは、ちゃんと自分の意思で生きている人たちだと思うと、神戸から学ぶことはたくさんあったなと思います。素敵な交流が生まれてくれたらいいなと思います。もっと言えば、自分も一緒にいたいなと思います。なるべく多くの人たちが、それぞれのもっとも得意とすることで、大地のメッセージ、海のメッセージを聞いている、そこで、それぞれにしかできないことをしてもらって、そこに自分も自分のできることで関わることができれば、本当に今の日本を生きるということになるだろうし、人の心の中で、生きていく中で伝えていける日本人のともに生きるためのルールができあがっていくんじゃないかと思っています。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
アフガニスタンでの経験について教えてください。どんな人たちと出会い、何を感じられたのか知りたいです。

JUNEさん:
ニューヨークのテロがあって、いかに日本もその意思を表明するかを言ってたと思うんですけど、その時日本も戦争に参加してしまったんだというふうに思ったので、謝りにいきたいなと思って行きました。それは「セーブ・ザ・チルドレン」の団体に寄付をさせてもらって、現地でどういう活動をしてるのかを現地視察するということで、職員として行かせていただきました。今思えばあの時でしか行けなかったんじゃないかって思うくらい、情勢はずっと悪化している状況ですし、何より当時は日本人って、テロの対象にはなっていなかったんですよね。その後、2003年くらいからは、日本もテロの対象になってきました。向こうの人には「日本人は違うよね」っていうことをよく言われました。ほかの国の人とは違って、日本人は、自分たちのことをわかってくれているんだっていうようなことを、しきりにアフガンの人たちは言ってくれていました。印象深かったのが、アフガンの場合は、客人が来て一度客人と認めたら、しっかりもてなしてくれること。それが後から親の敵とわかっても、なんであろうが、客人として家に招いた時には、食べ物は出し続けるんです。自分は「出されたものは残さず食べないさい」という小さいころからの両親の教えと、おいしかったっていうのもあってがんばって食べていたんですけど、現地の方に「よかったら残してください、残すことがもういいんだという証明となって、食べ続けたら、その家はずっと食べ物を出し続けるんだ」と言われました。男性陣だけが客間にいて一緒に食べて、お母さんやこどもたちはキッチンで残って返ってくるものを食べられるんです。「食べ物がない時なので、なるべく食べないでやってください」と教えられました。イスラムの教えって「やられたらやりかえせ」みたいなところもあるけれど、本当は違うんだってことを現地の方からたくさん教えられたり、山の中の学校のこどもたちとか、地域の人たちも、何時間も自分が来るのを待っててくれたり……。翌年も行きたかったのですが、行けるような状況じゃなくて……。でもまた行きたいなと思います。

お客さま:
JUNEさんみたいにいろいろなところに行けなくても、平和を伝えられる簡単な方法は?

JUNEさん:
確かなことは大好きな人とか家族と、時折、ロウソクをともしてご飯食べたり、そういうことがまずいちばんじゃないかと思います。うちのロウソクでなくてもいいですが、心では買っていってほしい気持ちも……(苦笑)。

フェリシモ:
エントランスで販売しているので、見ていただけたらと思います。ひとつひとつ色がきれいですね。

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JUNEさん:
たいしたことはないんですが、ずっと自分が大事にしたかったのは、ロウソクをすごく手をかけてしまうと作品になってしまうんです。作品になってしまうと売りたくないなと思ったり、高額になります。そうすると、買ってくださった方は、もったいなくて火をつけたくないってなると思うで、だからたいしたことないままでいたいっていうか……。においもなるべく……。日本は、香りをとても大切にする国だけれど、実は無臭って大事じゃないかなって思っていて……。大好きなにおいのロウソクを玄関に置いておいて、自分の家がすべてその香りって人もいらっしゃると思いますが、時期によって外のにおいも違えば、飲み物のにおいや食べ物のにおい、その時々のにおいを楽しんでもらえたらって思うとにおいをつけれなくて、あと形もあまりこだわらず、だから色だけちょっと……。それがこだわりみたいな感じ。結果たいしたことないんです(苦笑)。なるべくともしてもらいたいっていうことなんです。

お客さま:
思いを大事にされていると思うのですが、ファッションとか入れ墨などの思いは?

JUNEさん:
小さいころから、入れ墨っていつか浮かびあがってくるものなんだとまじめに思ってたんです。そのあと、あー、あれは入れてるものなんだとわかって。自分が何者であるかがはっきりわかった時に、自分の身体に入れ墨が現れるだろうと思ってたのが、現れなかったので、入れていこうみたいな、そんな10代の思いがあって……。忘れたくないできごととか旅に行く前、後とかで、入れてきました。ファッションもなるべく、あまり洋服屋さんに行かないんですけど、出会ってる中で……。左肩にかけてある布は、アフガニスタンのお世話になったお父さんからいただいたものです。アフガンの男たちは、だいたい布を肩にかけてるんです。砂煙もすごいし、寒暖の差が激しいし、何かと便利だということでいただきました。布の中にものも入れられるので、鞄も持たなくなりました。万能ですよ。おすすめです。左側が男性的で、右側が女性的みたいな感じの捉え方をしていて、そういう入れ墨もしていたりするんですが、テロが起きてアメリカに行くっていう前に左腕がこんな状態になったんですが、ただこれは戦いの象徴みたいなところもあって、人に対してそういった印象を与えてしまうこともありますが、テロがあり、日本を旅した結果の自分の行動としては、入れざるを得なかったんです。当初は入れる必要はないと思っていたのですが……。

お客さま:
ロウソクをいちばんはじめにつくってともした時に、どういう気持ちでしたか?

JUNEさん:
うちはクリスチャンの家庭だったので、教会に年に何回かはロウソクでミサを行う時があって、その時が大好きでした。父はバイオリンをつくる職人で、仕事場には木のくずがよく出るので、燃やすこともよくしていて、そんなことから小さいころから火遊びが好きだったんですね(笑)。
ただ、ロウソクに関しては決定的に違うんです。焚き火だとかは、燃料となるものを足していってあげないといけないけれど、ロウソクはもう最初から決まっていて、燃料を途中から足すことができないところに特別なものを感じていたんです。実際に自分でつくって初めてともした時は、正確にいうとそこまで「おー」というのはなかったんですが、ずっと自問自答している中で、ちょこちょこ出てくる前世とか霊というものの目に見えなくても存在していることをロウソクが教えてくれるって気がしたんです。火が燃えて、上昇気流が起きて、気流の流れが生まれ、熱が根元のロウを溶かし、液体化して吸い上げられて導線から燃え上がっていくので燃えて行く……、目に見えない気流の動きがあって初めて成立しているのかと思うと、それを昔の人が意識してつくったのか、つくったらたまたまそういう解説ができるかとかはどっちでもこの目に見えないものと一体化している世界が、マジックな世界というか特別な世界ではなくて、現実的にここにあるじゃないと思った時に、とてもいいなと感じて、それでいて、またロウソクが寿命に例えられるように、自分がともす理由というのは、自分が生きるって決めたってことは、生きる=ともすになっていて、死ぬまでつくってともそうというようになっていきました。

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フェリシモ:
最後に、私たちが明日から何か新しい一歩を踏み出せるようなメッセージをお願いします。

JUNEさん:
確かなのは、戦争、テロに対して自分がちゃんと大人として向き合うと決めた時から、腰が低くなりました。責任があるということは、生きているなというか、認めてもらってるというのがあるのだとすれば、素敵だなと思っていて、プレッシャーとかではないんですが、いつまでも言い続けることも大事なんですけど、今やらなきゃいけないことがあるというか……。東日本大震災のことも、肩によく例えるのですが、生き物が肩の上に乗っていたら、動かしたらすぐ落ちてしまいますが、自分が、肩凝ったなと思ったら肩を動かすじゃないかと……。それって肩にのっかっているものが、落ちてしまうけど、自分が肩が凝っているということは血の巡りが悪かったりするので、肩を動かして凝りをほぐすことによって、巡りがよくなって健康になるんだと思うと、地球の上に生きる人間たちではなく、地球とともに生きている人間たちと考えた時に、この震災の前の生活に戻ろうではなく、神戸でこの表現をするのは不適切かもしれないんですけど、せっかく地球がダンスしているんだから、ちゃんとそれに呼応しようとか、そうありたいなって思います。亡くなった人たちは返ってこないし、遺族の悲しみは変わるものではないから、そこだけは唯一なんですが、それ以外は、やっぱり広島、長崎もそうだし、今も11日になるとロウソクをともしているんですが、追悼ではなく、大地のありがたさ、海のありがたさに感謝できる日に変われる日まで、やれることをやろうと……。結果1年やって、もっといろいろな人を巻き込んで……やろうと思っていたんですが、1年やってみて、自分は原発反対派にもお願いしたいし、賛成派にもお願いしたい。
「いま福島を救ってくれ」と。いま救わなかったら、いろいろな地方で原発反対の講演をしても意味がないと……。どこかの地方で原発を稼働しようと言っても意味がない。いまの福島をちゃんと安全に止めれることが、この先に見える光じゃないかと思うと、「福島を救ってくれ」っていう、そのために原発を止めてほしい。原発のことがわからない人たちが志を持って福島で働くよりは、原発の安全面、危険面をわかっている人たちがプライドを持って、福島の原発をより安全に止めてほしい、それには、ちゃんとみんな拍手を送ってほしいです。ただそれだけです。
自分にできることは、原発の地域の当時者と極力、ともに生活していくといくこと、その人たちからもらってきたギフトを今年はもっとなんとかしないと大変だなと思っています。これまで、やれることは何でもやるって思っていたんですが今年はやれないことでも全部やるって3月におこなった「ありがとうはお互いさま」という追悼式典とイベントの時に、原発地域のみなさんの前に誓いました。

自分がやれないことも誰かに頼んでやればいいんだっていう、それが今年のテーマ。目的ははっきりしていて、福島を一刻も早く、安全に福島の原発を止めること、そして安全かどうかわからないグレーなところから人をいなくしたいこと。福島をこれ以上悪者にしたくないということです。何十年か先、いつか福島があったから世界は変わったよ、福島はみんなに福島があったおかげで福島の人がいてくれたおかげで、世界がこんなに平和だよって言ってもらえるように。福島という名前って、「福の島」だと思うと、これまでの日本とこの大きな大地からのメッセージを受けた日本がなすべきことじゃないかと思います。
みなさんそれぞれが、それぞれにしかできないことをしていただけたら楽しいな……と思います。どこかでまたお会いしましょう。

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Profile

Candle JUNE(キャンドル ジュン)さん
<キャンドルアーティスト>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
世界各地で火をともす
2001年に広島で「平和の火」をともしてから「Candle Odyssey」と称する争いのあった地を巡る旅を始める。
アメリカを横断、N.Y.グランド・ゼロで火をともし、その後アフガニスタンへ。
広島、長崎など国内を旅し、終戦記念日には中国チチハルにて火をともす。
新潟中越地震後は、“復興から更なる発展へ”と「SONG OF THE EARTHフェスティバル」を開催。
LOUIS VUITTON、PRADAなどのレセプションパーティのデコレーションや様々なファッションショー、Fuji Rock Festivalをはじめとする野外フェス、またBen Harper、Neil Young、忌野 清志郎などのライブステージに空間演出で参加。
また、3月11日におこった東日本大震災をうけて「LOVE FOR NIPPON」を立ち上げて幅広く活動中。
http://www.lfn.jp/

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