神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 新田 新一郎さん(アトリエ自遊楽校(じゆうがっこう)主宰)
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「よみがえれ!子どもの笑顔・元気!」



<第1部>

今日は、僕が被災地でずっとやってきたことで、子どもたちにどのくらい元気が戻ったかをお話ししたいと思います。前半は僕の人となり、それから、僕がやっている「アトリエ自遊楽校」のことをご紹介します。3月11日から、ずっと活動をしています。実は一昨日もフェリシモと「絵本をつくりましょう」ということで、絵本作家の荒井 良二さんとワークショップをしてきました。そのご紹介もしたいと思います。

僕は「プランニング開」という会社を経営しています。「開」という字は門構えの中に鳥居を書くんですけど、鳥居の真ん中があいているんです。これは、手がふたつあるんです。自分の扉は自分の両手で開きなさいという意味があるそうなんですが、人も街も開かれるということで「開」という会社を立ち上げました。スタッフは先生だったり、美術に強いスタッフ、音楽に強いスタッフ、いろいろです。僕はプロデューサーですから、いろいろな街、県の催し物、あるいは施設が建つとその施設の基本構想、基本計画を考える仕事をしています。で、宮城県に国体とかが来ると、その開会式、閉会式なども仰せつかっています。

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お祭り男・新田 新一郎
宮城県の国体の開会式&閉会式を演出

僕はいま57歳です。20年前、38歳の時に宮城で国体が開催されることになり、その演出の依頼が来たんですね。僕自身はお祭り男みたいなもので、催し物が大好き。小学校、中学校、高校時代は、なんかイベントがあると、みんなにふられるような役で、そういうふうに好きだから「好きこそものの上手なれ」じゃないけど、そういう仕事が来るんだなあと思ってやってました。
依頼が来た時、「いま、鳥取県で開催されているから、下見に行ってきてくれ」と言われ、行ってみたんです。それで、がっかりしたんです。ハンコで押したような開会式、閉会式で、地域性も何もない。「なんだこれ」って思いました。1600名の選手団もみんな飽きてるんです。プログラムが始まると偉い方のあいさつ、あいさつ、あいさつ……で、見えるのは前の人の頭だけ。みんなときめかない、国体のワクワク感がないんです。これはダメだと思いました。

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宮城での国体は、鳴子っていう温泉で開催予定。「ようこそ宮城へ、ようこそ鳴子へ」っていう思いで、企画書を書くんですよ。黒澤 明監督の映画「夢」じゃないですが、山から山へ虹をぱーっとかけて。浩宮さまが雅子さまとご成婚なさる年だったので、報道陣が700人くらい来るっていうんです。その時に浩宮さまが雅子さまに「見てごらん」とか言われて、虹を見られたらおもしろいんじゃないかと思って企画書つくるわけ。で、企画書を出したら、全部赤いばってんがつくんです。国体準備室から、「ダメ、ダメ」って。「なんでダメなんですか?」って聞いたら、「そんなにがんばる必要ないんです。国体の開会式、閉会式はだいたいプログラムが決まってましてね、だいたいそれをなぞれば大丈夫なようにできてるんです」って言うんですよ。「そんなー」って思いました。いちばんプチッときたのはファンファーレ。開会式のファンファーレ、閉会式のファンファーレ、それぞれ作曲料100万円の予算があるんですよ。僕の同級生でバークレー音楽学院を首席で卒業した榊原 光裕という男がいるんですけど、「宮城県の民謡とかをファンファーレになるようにアレンジできないかなって」いろいろ頼んでたら、それもばってん。「なんでダメなんですか?」って聞いたら「あのね、東京にファンファーレが得意な先生がいるから、トランペットで弾くから、高い、低い、高い、低いってなるとちょっとダメなんだよね。その先生に毎年頼んでいるんです。だから宮城県さんの方で考えなくていいんです。同じようになぞってもらえればいいんです」って言うんです。「その先生は宮城県わかるんですか? ようこそ鳴子へ、ようこそ宮城へっていう思いが重なって初めて、ファンファーレじゃないですか」て言うと、国体準備室の方が「じゃあ、勝手にやってください」って……。そこからは勝手にやらせてもらいました。

(会場:笑)

そうしてカメラマン4人入れて、スキーのジャンプの写真を撮って、閉会式で流しました。そしたら、みんな自分が映っているもんですから、涙、涙……。そして「粉雪が舞う、飛ぶ」とかいうような詩を書いたら感動の開会式、閉会式で、「いままでこんな開会式、閉会式はなかった」って選手団がみんな泣いて喜んでたりするんです。
どのようにしていままでのものさしをこわせたのか。僕はなぞっちゃダメだと思うんです。宮城は宮城でいい、東北は東北でいいんじゃないの? 自分が自分でいいよねって言われたら、人は元気が出ると思うんですよ。それを大事にしたかったんです。

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「お祭り男が楽しさ演出」

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こんな写真をこの会場にあるスクリーンの2倍くらいのものを3つ使って映して、ハンドベルのコンサートと合わせてやりました。

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開会式です。僕は東北のお祭りはリズムだろーって言って、東北のお祭り全部出てってな感じでやりました。

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七夕の街・仙台じゅうのネオンを消して……。
130年に一度の流れ星を見よう。

僕はいろいろな街おこし、街づくりをやってきたんですけど、今日はひとつだけご紹介します。20年くらい前、ペルセウス流星群が130年ぶりに地球に大接近するという年があって、1時間に流れ星が数百個見れるっていうんですよ。仙台は七夕の街です。子どもたちによく言ってたんですよ。「織り姫、彦星、あの星は、16光年の距離が離れてる。だから、光を声で表すと『おーい彦星』で16年、『なあに』で32年なんだ」って。
星見ながらいろいろやるのっておもしろいよねって言ってたんだけど、そんな仙台だったら、流れ星がいっぱい見れる夜は、ネオンを全部消したらどうだろう?といろいろ思いつくんです。

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これ、夕刊の一面なんですよ。「流れ星ページェント実行委員の新田新一郎」って出ていて、そしたら「今日の夕刊見たんだけど」って電話がかかってきました。「はい。新田です」って僕は意気揚々と答えたんです。なんかすごいおほめをいただくんだと思って……。そしたら「あなたか、ネオンを全部消すって言ってるのは。私は、東北ネオン協会の会長ですが……」って。「あなたネオンを消すってどういうことかわかっとるのかね。」「スイッチがあって、押すと消えるものだと思うんですけれど」って言うと、「何を言っとるんだ。11階だったら11階、9階だったら9階に関係者しか登れない、ヘルメットかぶった免許を持った人しか上がれないところへ行って、タイマーをセットし直さなきゃいけないんだ。ものすごい手間なんだ。だいたい100万都市仙台に、ネオンがついているビルが何個あると思ってるんだ、君は。それを全部消すっていうのはどういうふうなことなんだ」と言われたんです。「えー」とか思ってると、「だけど、とてもおもしろいことなので、東北ネオン協会として全面協力する」って言ってくれたんです。「なんだ怒ってるんじゃないんだー」と思って、安心して始まったんです。

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これ、パンフレットです。コピーライターからイラストレーターから、みんな手伝ってもらいました。小学校、中学校にこれを配って、「この日は空を見上げて。そしてできれば部屋の明かりも消して」って……。仙台駅の駅も消してくれたんですよ。ビルというビルみんなビアガーデンの提灯もキャンドルにしてくれて……。みんなが動いてくれました。国分町という繁華街も協力してくれました。
この時につくったこのパンフレット、実は仙台の10万人の子どもたちのために10万部つくらなきゃならないんです。印刷代だけで40万円かかるんですよ。ネオンを消すお祭りに、電気を生み出す会社が協賛したらおもしろいなって思って、僕は東北電力へ行くんです。「すみません。今度、流れ星を見るために、ネオンを消すっていうお祭りを企画しているんですけど、協賛をしていただけませんか……」って言うと、東北電力の部長さんが「うちは一切余分な電気は売っていませんよ」とか仏頂面で言うんですよ。僕は「東北電力みたいな電気をつける会社が、電気が生み出す会社が消すことに協賛することに意義があるんです」ってがーって言ったんです。そしたら「君、おもしろいなあ」って言われて、40万円協賛してもらったんですよ。そんなことからいろいろ始まりました。 今日、ニュースになったものを持ってきました。
ニュース番組からも声をかけられて「番組が10時に始まるので、電気も10時に消してくれ」って言われたんですけど、実はその当時僕の息子が5歳で、10時だと寝てしまっていて、流れ星見られないの。番組は20%くらい視聴率があったそうなんですけど、その時、全国の20%の視聴者を大事にするか、うちの息子を大事にするかってなって、やっぱりうちの息子だろうってことになって、9時に消させてもらったんです。そのお祭りです。流れ星をみるためにやった街おこし、見てください。

(VTR)
こんなふうに街が真っ暗になっていくんですよ。流れ星を見るために。流れ星を見るためだけにネオンを消すなんておもしろいじゃないですかというふうなことをしました。いまだったら、環境庁にいろいろ言っている団体もあるみたいなんですが……。僕らはそのハシリみたいなものだったんです。今回も、やる時に、東北は東北でいいんじゃないかという、そんなものさしが元気になるよねと。こんなふうに夢があるということを、とても大事にしたいと思っています。

実はお笑いを目指していた時期もあったんです。 笑顔。笑うということ。笑うことはまじめの裏返しみたいで、笑っていると不謹慎みたいに言われますが、最近はようやく、笑うということが人間の免疫力が高まってくるみたいに理解されてきました。僕、実は若いころ、お笑いをやらないかって言われていたんです。

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これは、花王名人劇場でやったんです。演目があって、ここに「明石家さんま」ってありますけど、明石家さんまさんが初めて国立演芸劇場の舞台を踏んだ、その日に同じく、僕も舞台に立ちました。「ミスタープロ野球」って、これが僕です、ここに名前があるんです。そのままやっていたら、お笑いやってた人だったかも知れない。だけど、僕は、笑いを通して地域を元気にしたいと思ったんです。

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北野たけしさんがまだツービートで漫才やってたころです。野球の形態模写が僕らの芸だったんです。ジャイアンツの納会で、僕らは、長嶋さんや川上さんのいる前で、本人ものまねやってたんです。だけどお笑いをやらないで、子どものことをやりたいなと思って、お断りして、仙台に子どもたちと一緒に表現、創造する空間の「アトリエ自遊楽校」を始めました。

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「アトリエ自遊楽校」でしているのは、こんなこと。

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これは2歳児です。刷毛でばーっとやってます。こんなの子ども喜ぶんですよ。解放してあげること、ダイナミックに表現ができないかなって思っています。

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ブラックボックス。中に、何があるかわかんないんですね。手で調べるんです。ドキドキ、ワクワク……。

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この日は、たまたまイカでした。ぬるぬるしたのを触るわけ。隠されて、触って、子どもたちの手が目になります。どんなにかイキイキする体験でしょう。これを絵にすると……。

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だからすごい絵ができるんです。イキイキした絵にするには、イキイキした体験をしないと……。

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そして、必ず食べます。

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生き物を描く。この時はニワトリです。

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ニワトリを目の前で、あるいは抱っこしながら描くってなかなかないです。

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そして、豚を描く。「今年は豚を描こう」って思って、2ヵ月くらいの豚をお願いしたんですよ。僕ね、『ベイブ』っていう映画をイメージしてたの。ところが、2ヵ月の豚ってこれだもん。「えーっ!」って驚きました。うちの『アトリエ自遊楽校』は、マンションの1階なんです。上階には普通に住んでいらっしゃるんですよ。鳴き声、においがすごかったんです、みんな謝って歩きました。それで、豚小屋つくって、豚を飼って、絵を描きました。

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子どもたちが「すごいこのにおい」って。僕は「そのにおいも絵にしろ」って言って、描いてました。

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これは、東北大学の農学部から羊の毛をもらってきて、洗っているところ。ものすごいにおいなの、それを押し洗いして……。手前の子が「臭さが胃に入る」って詩を書いてました。

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でも、ほおずりしたくなるような毛糸をつくって、紡いで、こういう形のものにしたりしました。

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道具。氷を切る、この年代でのこぎりを触ることがなかなかないんですよ。

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壊すことはつくることと一緒だ。だから壊しなさい、壊した部品でもう一度再構成してオブジェをつくるみたいなことをやっています。

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粘度そのものをつくりました。

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ネギでシャボン玉やってます。

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食育みたいなこともやっています。仙台の割烹から親方を呼んで来て……。「食育」という言葉がない時代からこういうことやっているのが「アトリエ自遊楽校」です。

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ピザをつくっています。

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で、そこに地震が来たんです。これ地震の2日目です。僕は2階にいたのですが、下に降りて、子どもたち泣いてるかなって思ったら誰も泣いていませんでした。泣いていたのはお母さんたちでした。寒かったらから、車のエンジンをつけて暖かくして、子どもたちを守って、お母さんたちを返してひと安心。子どもの命を預かっている僕らとしては、ちょっとひと安心したなあって。
で、ふと気づいたらワンセグで、「仙台空港にいま津波が……」って。「大変なことになってるぞ」仙台空港の隣は、名取市の閖上というところ、うちのかみさんの実家があります。名取市だけで800人犠牲者が出ました。海の中の車がどれもライトがついて、クラクションが鳴っているんです。水圧で押されて鳴りっぱなしになってるんですね。もしかしたら中にまだいるんじゃないかというふうな現場です。

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これはうちのかみさんの実家の前です。玄関の前まで津波が来ていました。不眠不休で片づけをしていました。

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僕は、子どもの現場を支えようと震災の3日後に「元気プロジェクト」を立ち上げました。これは仙台市です。荒浜小学校の前のコンビニです。これは、引き潮で持っていかれた跡なんです。この鉄骨がこういうふうに……。相馬の漁船や漁具がアラスカで発見されてますけど、それくらいの強さでもってかれるんです。

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体育館です。

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教室です。先生の車が3台入ってきました。

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2年1組です。2階に避難する、それで足りなくて3階に避難する……。

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そして屋上に上がったんです。向こうは海です。海が津波になって、押し寄せてくる。そして自分の家が流される、もしかしたらそこにはおじいちゃん、おばあちゃんがいるかもしれない、ペットがいるかもしれない、お父さん、お母さんがいるかもしれない。そんなところを見てしまうんです。大変な現場です。
3月11日の夜に、東北放送で「みなさん明けない夜はないですから。もうちょっとで夜が明けます。がんばってください」と……。もう絶叫調でした。そんな時にふと空を見上げると、それこそ、こんなにきれいな星空を見たことがないというくらいの満点の星空でした。そんなふうな思いがあって「明けない夜はないから」というミュージカルになり、そして絵本になっていく、という現場です。

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プロジェクトを立ち上げた時、「みなさん子どもの現場で必要なものを送ってください」ってサイトに書いたんです。そうしたら、神戸の方から「神戸での経験上その書き方はちょっとダメです」というメールをいただきました。最初僕、何言われているのかわからなかったんです。そしたらね「パンクするって」言うんですよ。「神戸の震災の時に、荷物が送られてきて、荷物がどんどんふくらみすぎて、どこに何があるかわからない状態になってしまったんです。そうなると大変なので」って教えていただいたんです。それで、いま被災地に必要なものをサイトに書く、そして送ってもらう、私たちの部屋はこういうキャパの部屋が6つあったので、そこに収まるだけのものを送ってもらう、必要な時に必要なだけ送れるということをやりました。神戸の方々のアドバイスが役に立ちました。大変ありがたかったです。

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陸前高田です。僕たちは親子コンサートのユニットも持っていて、「そういうのを楽しくしますよ。子どもコンサート呼んでください。ラーメン体操、全国の幼稚園、保育園からは大人気ですよ。そのユニットがただで行きますよ。支援ですから」みたいな形で出したんですが、全然お呼びがかかりませんでした。
僕は「なんでだろう? うちのチームのふれあいコンサート人気ないのかな」って思ったら、そうじゃなかったんです。地震から3週間ほどの4月1日、歌を歌うっていう雰囲気じゃないんですよ。この段階でまだ1000名行方不明。高校生に会いました。「私の同級生がまだ土の中か海の中にいます。行方不明なんです」っていう現場なんです。避難している中学校に「瓦礫の中からお父さんみつかりましたよ」って連絡が入るような……。それこそ毎日お通夜、お葬式が起こる時に、歌を歌う、あるいは笑いましょうってちょっと不謹慎って、子どもながら感じていたんでしょう。

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陸前高田の中学校です。

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これは『ふしぎなたいこ』という絵本の大型の紙芝居です。太鼓をたたくとどんどん鼻が伸びる話なんです。この話を子どもたちにしたら……。

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子どもたちは笑うんです。この笑顔を見て、お母さんたちが今度泣くんです。「この3週間、歌ったの初めて聞いたー。子どもはこれでいいんだよね」って。

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僕の家も半壊でした。

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陸前高田のふれあいもありました。

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気仙沼です。もう片づいてきれいになりましたけど、4月のはじめはこんなでした。

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ラーメン体操の明ちゃんラーメンちゃんという、子どもたちに大人気のユニットです。

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気仙沼の大島というところに行きます。気仙沼市までは支援が来たんですが、海を渡った大島までは来なかったんです。米軍がここに食料を落としたのは1週間後です。気仙沼の市内でお父さん、お母さんが働いているもんだから、気仙沼湾が火の海になった時に、みんな草を刈ったのが後ろにいる中学生たちだったんです。その中学生、そして子どもたちが、僕らが帰る時に泣きました。「帰らないで」って。「もう1回戻ってくるから」って12月25日フェリシモプレゼンツのミュージカルをこの大島に行くきっかけになった時です。

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南三陸町。そこでもふれあい遊びコンサートをやりました。うちのスタッフの両サイドは高校生です。高校生たちが自分の地域をイキイキさせるのは私たちだって立ち上がったんです。聞いてみたら、子ども会のジュニアリーダーというボランティアサークルなんです。宮城県は、全国に先駆けて、子ども会の育成をするジュニアリーダーというのを立ち上げているんです。実はその第1回のジュニアリーダーの育成されたのが僕だったんですよ。「新田君、あんたに活動してもらうと地域がイキイキするね」って言われて、「そうですか」って天井まで舞い上がり、しばらく落ちてこないのが僕だったんです。そのまま僕57歳まで来ちゃいましたけど。その後輩たちじゃないですか。

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この子どもたちのためになにかやんなきゃって、背中を押されるみたいに、僕らいろいろやりました。僕ひとりで人形劇をやるんです。保育所の所長が電話をかけてきてくれました。「新田さん、あんたいいことしてくれた」って。「津波の影響で、水に浸かったもんだから、お風呂に入れなくなったんだって。ところが僕の人形劇を見て『ゲラゲラ、うふふ』って笑って、その夜からお風呂に入れるようになった」って。「やっぱり、活動しなきゃ」ということになりました。

(スライド)
そして、僕がいろいろ活動をする、子どもの笑顔を支えましょう、元気を取り戻しましょうってやった時に、フェリシモの方から、さっきの絵本でご縁があったので、「フェリシモプレゼンツで子どもの映画を上映したいんだけど」と電話でいただいて、僕翌日、神戸に飛んできているんです。そこで「映画じゃなくて、被災地の子どもが舞台に上がるミュージカルを実はやりたいんです。映画は受け身。今度は子どもが舞台に上がることをやりたいんです」って、僕、2時間しゃべりっぱなしでプレゼンしたんです。その時、僕の頭の中ではもうミュージカルが出来上がって「子どもたちすごいなあ」って感動してるんです。そのことをずっとしゃべったら「わかりました。じゃあ、やりましょう」って言ってくれて、東北の子どもたちとつくる「こどもスマイルミュージカル~明けない夜はないから」を、去年の9月にしました。

(VTR)
ここは、閖上です。なんにもなくなりました。いまは、この建物もないです。ここに住んでいた子どもたちが最後に言います。僕が言わせたんじゃないです。「言いたい人」って聞いて、自分で手を挙げて、そして自分の言葉で話すところが最後に出てきますので、見てください。言葉に重みがあるんです。僕がサジェッションしたわけでもなんでもないんです。「言いたいことを明日自分の言葉で言って」って、それだけなんです。
練習は3日間。プロの方は4人です。子どもたちは30人手を挙げて、ステージの上にのってくれました。子どもが精一杯やる姿が心を打つんですよ。でね、町の人も「元気出たよー」ってみんな言ってくれるんです。
最後のこのシーン、僕大好きなんです。花束もらって、お母さんから「がんばったね」ってハグされるんですよ。解き放たれるんですよ。元気って、ふれあうことから出てくるんですよ。僕らはこれをやりたかったんだなあと思っています。

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みんな楽しくて仕方なかったんですって。

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気仙沼の中学生たちです。前回の9月は暑かったけれど、12月の気仙沼は寒かった。中学生たちも舞台に上がってくれました。自分たちで自分たちの島を守ろうって言って草を刈った連中です。それで、組み体操をステージにミュージカルに入れたステージでした。

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このおじさん、ニット帽かぶってたんですけど、だんだん深くかぶるんですよ、涙見せたくないから。「牡蠣職人やめようと思ったけど、子どもたちの演技見て力もらった、もう1回がんばってみるわ」って言ってくれました。

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島民みんなが集まってくれました。

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打ち上げです。あの中学生たちです。言うことがすごい。「ボランティアの人は帰って行きます、NPOの人も帰っていきます。ここの街は、島は、ここで生まれ育った私たちがやらないで誰がやるんですか。私たちに任せてください」って。この中学生、高校生たちを支えようと思って、僕らは子ども環境学会という団体をつくっています。

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大島を去るクリスマスの夜に子どもたちがサプライズで集まってくれたんです。そして「見上げれればー夜空にはー」って歌ってくれたんですよねー。そしたら、パトカーのおまわりさんがマイクを子どもたちに渡してくれたんです。

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全島全民ありがとうっていう気持ちで帰ってきました。

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南三陸です。気仙沼の子どもたちが3時間バスに乗って南三陸に来てくれたんです。「また私踊りたい」って。気仙沼、南三陸町の子どもたちが一緒になって踊りました。

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この高校生たちが、中学生たちを支えようって、子ども環境学会で、中学生、高校生の未来人サミットというのを岩手県と福島県、宮城県のリーダーたちを集めました。

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福島の高校生、すごかった。「100ミリシーベルト以上は危ないことはわかってる。だけど、0から100まではデータがないので、安全ですという学者と、危ないという学者で空中戦を行っている。僕は腹立たしい。それは、20年後、30年後に放射能の影響が出るって言ったって、ここにいる大人たち、みんな死んでしまうじゃないですか。
それを考えるのは、私たち中学生、高校生たちです。私たちの問題なんです。危ないという学者と大丈夫という学者に高校の授業に来てほしい、それぞれにちゃんと話してもらって、そしてそれを選ぶのは私たちです」と言うんです。もっともだと思いました。これからの日本をつくる若い連中を支える活動をずっとやっていきたいと思っています。

(スライド)
そして、ミュージカル「明けない夜はないから」で歌われた歌をもとに「絵本をつくろうプロジェクト」を立ち上げました。本当の絵本作家が被災地の子どもたちとコラボレーションしてつくるんです。これは一昨日の写真です。絵本作家の荒井 良二さんです。忙しい中、わざわざ名取まで来てくれてワークショップをしてくれました。このワークショップでできた絵を絵本にそのまましようというプロジェクトです。今年じゅうに、形になればいいかなって思っています。

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夜空とか太陽とか、あたたかいとかいろいろな表現を絵にしました。

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これが荒井さんが一昨日描いた作品です。

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隣の1年生が描いた絵です。「どっちが絵本作家の絵かわかんないな」って荒井さんが言ってました。こういうのが使われて絵本になるはずです。

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こんなのが荒井マジックにかかって、絵本に出てくればいいかなという感じ。これの元になった歌の「明けない夜はないから」が、実はyou tubeに出ていて、いまアクセスが6万件近くあるんです。

(VTR)

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「震災復興のためのメッセージソング
「明けない夜はないから」
被災した子どもたちが歌います。

「明けない夜はないから」

見上げれば夜空には 星がきらめく
いままで見たこともない たくさんの星
ふれあうだけで こんなにあたたかい
微笑むだけでつながれる 気持ちと気持ち
手を結び ゆっくりと立ち上がる
うつむいた 顔あげて ふみだすよ
一歩ずつ 一歩ずつ すすむために
明けない夜はないから

凍てついた夜空には にじむ星たち
深くはく真っ白な息 広がり消えた
うなずくだけで こんなにあたたかい
見つめるだけでつながれる 気持ちと気持ち
手を結び ゆっくりと 立ち上がる
たくさんの星たちが 見守るよ
前を向くぼくたちを 包むように
手を結び ゆっくりと 立ち上がる
たくさんの星たちが 見守るよ
前を向くぼくたちを 包むように
明けない夜はないから
明けない夜はないから

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地方紙の論説委員がコラムに書いてくれたんです。この「明けない夜はないから」を聞いた時に、「これだ」って、「臨場感だ」って。あの夜ものすごい星空で、たくさんの人が空に上がったんだなって思ったことを、詩にしたためたんですけど、それがすごく伝わってくるというようなことを書いていただきました。
一昨日の絵本のワークショップで子どもたちに、「3月11日の夜星空を見た人?」って初めて聞いてみたら「見た。見た」、「あれものすごかった」って。あの日の夜の星空はすごかったんだ、特別だったんだって改めて思いました。そして、お母さんは「この子、空を見ながら、泣いていたんだよ、余震もものすごく肌で感じて泣いてたんだ」
それを、歌にしました。今度は絵本という形で残しましょうということで、フェリシモさんとやっています。

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「絆」ではなく「絆される」が
気持ちに寄り添っている気がします。

「絆」っていうのが、昨年の一文字になりましたが、僕らにはちょっと重いなっていうふうに思い始めている人たちがいるんですよ。「絆」って、ちょっと嘘くさい感じがしてるんです。だけど「絆」って、「絆される」という字にも使われるの。しゃべったことに心ひとつにして、その思いに同調する、それはすごく伝わるんですよ。
女川に行っておじいちゃんに、「なんにもなくなったね」って言って「んだな。なんにもねくなった、でも、こいつも海だ」って言って海の話をずっとして、「だけど少しずつがんばるかな」みたいな話に、そういうふうに絆されていく、そういうふうなことをひとつひとつを今日僕が話をして、みなさんを絆しにきたという感じです。みなさんにお裾分けとして、お話をさせていただきました。

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「元気」を育てよう。
元気は笑顔から育つんです。

地域によって違いますが、日本では、「気育て」と言って、元気、気を育てるために、えくぼ飯といって、生まれてから100日断つとお茶碗にてんこ盛りのごはんを持って、2つ穴をあけてえくぼをつくったんだって。人生どういうふうに過ごしてほしいかというと、お金持ちに育ってほしいとか、もの持ちに育ってほしいという人は、誰もいなかったって。人生生きる時に、笑顔がいっぱいあって、おもしろいおもしろいあーよかったって人生生きるのがいちばんいいんじゃないのって。

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「元気は笑顔から育つ」。だから日本の子育ては「高い高いー」ってやったり「いないいないばあー」ってやったり、飽きることなく笑顔を育てて来た。日本の12歳の子どもたちに「いま、何がしたいの?」って聞いたら、眉間にシワ寄せて「寝たい、休みたい」って。それが12歳のアンケートのトップなんですよ。元気がどこから出てくるんだ、どこで育てられるんだと思った時、ひとつは笑うことから始まるんじゃなかと思います。

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歌って大事。
ふれ合うって大事。

僕はおばあちゃん子だったんです。毎日、おばあちゃんは僕をお風呂に入れてくれるんです。「お風呂さんグルグルー、めぐろさんグルグルー、一本橋渡ってー、小石を拾ってー」、小石っていうのは鼻くそのことなんです。「今日はふたつあるなあ」って言って取ってくれて、「小池のまわりー。あーきれいになりんした」って、訛りながら歌を歌って僕の顔を洗ってくれたんですよ。 なんて、歌って大事だろう。
さっき、ミュージカルが終わって、子どもたちがお母さんにハグされましたね。「よくがんばったね」って。抱っこされる、ハグするって、いまのお母さんたちにあるんだろうか。
子どもが鼻出てるのに「はい、ティッシュ」って。そんな業務連絡みたいな会話を育ったら、元気の気の字も育たないんじゃないかな。いま被災地が、元気になれるって思っているものさしは、もしかしたら日本の子どもたちが全部元気になるしかけになるんじゃないかなっていう思いでやっています。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
いろいろなアイデアはどこから生まれてくるのですか?

新田さん:
僕自身は、いびつな人間と言ったらいいのかな。当たり前じゃないことが元気になるって、さっき、宮城県は宮城県、東北は東北でいいっていうようなことを言ったけれど、いま、12歳の子どもたちがいちばん言われて嫌な言葉は「変」って言われること。ひそひそ声で「あいつ変だよね」って言われるのが嫌なんですって。「変」って言われるのが嫌? 人間って変で当然じゃん。同じだったら気持ち悪いじゃん。いまの子どもたちは群れて、変である存在をつくってスポイルするんです。
アイデアはどこから生まれてくるのかっていうことなんだけど、いびつでひずんでいけば、ものの見方が違っていたり、いろいろするの。だから僕は、普通の人間よりもそのひずみ方が違うんだと思う。見方を変えてみようって思う気持ちが強いんだと思う。だから、何見ても何読んでも「いただきだ」って思うの。おもしろいってストックしちゃうの。「面白い」っていうのは、上向きで太陽があたるから面が白いの。「面倒」は、面が倒れているから「面倒」なんですよ。僕自身は、なんでも「おもしろい」って思う、そういうふうな57年間だったわけ。だから、アイデアはそのストック。そういうふうなことをおもしろがれる心持ちから来るかなって思います。

フェリシモ:
新田さんご自身は、さきほどジュニアリーダーのお話もされていたんですけど、自主的に動こうというスタンスからおもしろいことを見つけられるようになったのでしょうか?

新田さん:
それって大事な質問。実は、学術会議のトップだった金澤 一郎先生が、「中高生の時に何が必要かというと、役割を与えてそして認めること」っておっしゃったんです。だから僕がいま被災地で、子どもたちが元気になるしかけはここにあるよ、日本の中学生、高校生が元気になるしかけはここにあるよって言ったんですけど、実は僕が高校生の時に、「地域に高校生ががんばることっていいよね」ってやった僕を認めてくれたんですよ、褒めてくれたんですよ。それで「なんだ、俺役に立つじゃん」って思って。これを僕は「ステキな勘違い」って言ってるですが、人間ってステキな勘違いで生きられるんですよ。いまの中高生、脇目もふらずいい大学に入るために勉強、勉強、勉強、そしたら、役割なんか果たさない。中高生の時に、「あんたたちいいね。あんたのおかげでこの地域、日本がイキイキするよ。」と言われるようなそういう場があったことがとっても大事だったと思います。
僕は、変で見方が違った人とは違う中・高生だったんだけど、まわりの大人が「お前みたいなやつ、おもしろいよね。いてもいいよね」って、認めてくれたんです。

お客さま:
荒井 良二さんとの絵本づくりについて詳しく教えてください。子どもたちは何をしている時が楽しそうでしたか?

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新田さん:
荒井さんって手で絵を描くんです。その制作のさまを見るだけでも、子どもたちは楽しいと思います。「おとながそんなことしていいの?」なんて言いながら……。荒井さんは、「ちなみにこれは僕の絵だよ。これまねしちゃダメだよ」って。「みんなはどう描くの?」って、普通の先生は「こんなふうに描けばいいんだよ」って見本を見せるのね。だけど、違うんだからおもしろいんだよねっていうことをやっていると、子どもたちの概念が壊されていくんです。概念が壊されるのは楽しいことなの。「それぞれでいいよ」って言われるのが子どもたち、楽しかったみたいです。それが種になる。地震に遭った東北の子どもたちの種になるのが想像力だと思います。なんにもないところから湧き立っていく力をそこから生み出したいなと思いました。

フェリシモ:
さきほど、大きな紙に描いていましたが、子どもたちは心が解放されるのでしょうか?

新田さん:
それはありますね。大きな絵を描く機会があまりないですよね。実は神戸の時に、被災体験を絵にすると、心のケアにもつながりますよ、って言われていましたが、いまはあまり言われていません。無理矢理描かせられるとなると、「?」がつくんですが自分から描きたいとなると、もう子どもたちの心は自由。解放する、そのことが作品をつくることよりも「ああおもしろかった」という行為、時間が心のケアに繋がると思います。実感としては、創造する、身の内から出すことが、心のケアだと思います。

お客さま:
新田さんの人を動かす行動力はどこから来ていますか?

新田さん:
教育力というのは、その気にさせることなんです。「勉強しろ」って言うことじゃなく、勉強したくなる環境をつくってあげること。秋田の子どもたちがなぜ試験が3年連続日本一だったかというと、実は秋田は宿題がないんですよ。宿題はないけど、実は家庭学習ノートというのがあって、自分がやりたいのはどんどんやっていいですよ。そしたら、自分がやりたいことだからハナマルをもらう。だけど、ここからが問題。さすがに算数とか、なかなか自分でやらなかったりする。そこにお父さんが出てきて、お父さんが問題がつくったりするんです。「5+5」はさすがに簡単だけど、「5+7」だと指足んないよって言いながら問題つくるんです。そしたら担任の先生が「お父さんの問題の出し方がステキです」ってハナマルくれるんです。「それだったら、こんな問題どうだ」ってお父さんどんどん問題つくっちゃうんです。子どもの宿題に大人が参画してくるんです。福井は、おじいちゃんおばあちゃんが参画してるんです。
脳科学の先生たちがずっと調べていったら、脳みそっておもしろくて、「やだなー」という思いと一緒に入ったものっていうのは、覚えないんです。みなさん、ほら因数分解残ってないでしょう。ところが、喜びと一緒に入れたものは一生抜けないんですって。だとするとハナマルもらったなあというふうなことをどんどん伸ばすこと、そういうふうなことをお父さんも一緒にやったっていうのはうれしいですよ。人を巻き込むっていうのもそういうふうなことで、その気にさせることって、僕実は得意なんですよ。なぜ得意かというと、僕をその気にさせてくれた大人たちがいて、バトンタッチしてもらったんです。僕にステキな勘違いをさせてくれた人っていっぱいいて、その人はとうに忘れているんですけど、だけど僕は勝手に広めて、育ててその思いをまわりの学生たち、スタッフ、子どもたちにも言ってます。自己肯定力、自尊感覚、自分はいけるっていう思いはなんかそのへんで育つんじゃないかなと思います。

フェリシモ:
最後にメッセージをお願いします。これからの将来世代を生きる子どもたちのために私たちひとりひとりができることはなんでしょうか?

新田さん:
バトンタッチだと思います。アイヌの人たちの教えに、「アイヌ」っていう言葉そのものに「人間」っていう意味があるんですよ。もうひとつ意味があって「アイヌ」って言葉に「大切な何かを次の世代の人に繋ぐ」という意味があるんです。「人間って何のために生まれてくるんだろう」って考えた時に、「大切な何かを次世代の人に繋ぐために、生まれてくるっていう哲学がアイヌの人たちの教えなんだ」って、僕ひとりで読み解いているんです。僕は僕で、僕を育ててくれた人がたくさんいます。作家灰谷 健次郎さんという方がいて、灰谷さんも僕にいろいろ教えてくれたんです。僕ができることは、僕に伝えてくれたものを、僕が次の世代に繋ぐことだと、僕は思っています。それが僕の仕事だって思っています。
僕がおばあちゃんの歌で繋がったように、ひとつの歌って大事なんですよって伝えたことを、みなさんも伝えてください。おばあちゃんの歌を、昨日のことのように覚えていること、ふれ合うということが人の何かをつくるんだよっていうこと、どんなにハイテクの時代が来ようがパソコンで繋がることはできないんです。ハイテクの次の時代はハイタッチの時代です。人は人で繋がっていくしかないの。手渡しで、次世代へ繋ぎゃなきゃだよねっていうのが僕が思っていることなんです。

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Profile

新田 新一郎(にった しんいちろう)さん<アトリエ自遊楽校(じゆうがっこう)主宰>

新田 新一郎(にった しんいちろう)さん
<アトリエ自遊楽校(じゆうがっこう)主宰>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
新田さんは教育・子ども文化・まちづくりなどをテーマに「地域の感動をプロデュース」することを仕事とされています。現在、仙台を拠点に全国各地で「遊び+美術」=「あそびじゅつ」をコンセプトにした「感じる力」を育てるワークショップを展開、その活動は文部省制作の「親の目・子の目」で全国放送され、こども環境学会の活動奨励賞を受賞するなど高い評価を受けています。子どもについての活動としてはほかにも、仙台子どもセンターの基本構想、子どもミュージカルのプロデュースなど「子どもが育つまちづくり」、「子どもの参画」を柱としたまちづくり事業を展開しておられます。また、「男女共同参画せんだいプラン」「加美町男女共同参画プラン」の策定や、生涯学習施設の活性化、商店街活性化にもかかわり、宮城県市町村の新規採用研修、東北六県中堅職員(市町村)研修など、公務員研修の講師を務められ、「人が、まちが、イキイキするために」さまざまな事業を展開した経験をもとにした講演は全国各地で反響を得ています。
また、全国の幼稚園連盟や保育士会などで講師としても活躍し、PTA向けや子育て支援向けの講演会なども手掛けられ、新田さんが企画した全く新しいタイプの研修会「保育学セミナー」では全国の保育士、幼稚園教諭から高い評価を得ています。東日本大震災では震災4日後に「子どもの笑顔元気プロジェクト」を立ち上げ、代表として被災地の子どもたちと子どもの現場を支援されました。中でも、フェリシモ主催で行った「こどもスマイルミュージカル」は、被災地の子どもたちが主人公となってわずか3日間の練習で舞台に上がるというもので、宮城県名取市、気仙沼大島、南三陸町で開催し、被災地の子どもたちと大人たちを元気づけ話題となりました。
プランニング開(かい)代表取締役・東北学院大学非常勤講師・こども環境学会理事・NPOみやぎ・せんだい子どもの丘副理事長・財団法人せんだい男女共同参画財団評議員を務めておられます。

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