神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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BACH(バッハ)代表・ブックディレクター 幅允孝さんがセレクト

BACH(バッハ)代表・ブックディレクター 幅允孝さんがセレクト。
毎日を楽しむための生活道具と厳選した本のリストをセットでお届け。

「本棚という世界を編集して伝えたいこと」



<第1部>

私は、BACHという会社をやっています。主に本屋さんをつくったり、異業種、例えば、美術館とか家具屋さんに本のコーナーをつくったり、ライブラリーをつくったりしています。ブックディレクターという肩書きは、恥ずかしくて自分では言えませんが……(苦笑)。僕が何をしたかったのかというと、やはり人に本を手に取ってもらいたかったんです。職業をつくろうと思ってつくったんではなくて、出版というシステムががんじがらめになっている今の世界を、脇道にそれながらも泳いでいたら、それが自然と仕事になっていたという感じです。

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「本棚という世界を編集して伝えたいこと」

僕はもともと本屋さんで働いていました。2002年、わずか10年前まで六本木の青山ブックセンターでエプロンをしながら本を売っていたんですけれど、2000年アマゾンジャパンという会社ができました。アマゾンジャパンって、そんなに脅威だと思ってなかったんです。「アメリカの通販屋さんが、本を日本にも売るんだろう、でも本屋には人は来てくれるだろう、大丈夫だろう」と思っていたら、驚くほど、人が本屋さんに来なくなったんです。日に日にお客さまが来なくなってくるあの感覚は今でも自分の中に刻まれていて、たまに思い出すとぞわっとするんですけれど、そういうインターネットで本を購入するということがみなさんの日常に近付いて行くころに僕は本屋さんにいたということです。人が本屋さんに来てくれない。数字もどんどん下がっていく、そしたらやっぱり人が本屋に来ないんだったら、人がいる場所に本を持って行くしかないなというふうに考えて、こういう仕事をするようになりました。僕が、やりたいのは本を手に取る機会をどれだけ世の中に健在させられるかということ。つまり本というのは100人読んだら100通りの読み方がある、その余白の大きさというか、余韻が本のいちばんいいところだと思うので、「この本をこういうふうに読みましょう」とは決して言えない。だけど、本を手に取らないとなかなかわからないところがあるんです。

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最近はインターネットでも、本の表紙画像が見れたり、目次が読めたり、最初の数ページが読めたりもします。買って読んでみると、「あれ?違ったな」ということもあるんです。同じ3分間を費やすなら、実存感のある紙束を手に取った方が精度が高いんじゃないかなと僕は思います。本というものをおもしろそうだなって手に取ってもらえる機会をどれだけつくれるか、自然に本を手に取りたくなるような状況をどういうふうにつくろうとしているのか、それが僕の仕事なんじゃないかなと思っています。自分の伝えたいことをなかなか伝わらなさそうな誰かに伝えるにはどうしたらいいのか、こんな本を読んでほしいのだけどどうしたらいいのか、読め読めって言っちゃ無理だから、それをどう伝えたいのか、そういうことを日々考えながら仕事をしています。



「自分の好きな本を 共有したいと願うこと」

やっぱり自分の初期衝動もここです。小さいころからずっと本を読んできました。大好きです。そのおもしろかった本をなんとか人に伝えたいと思うんですよね。自分が好きなものを自分以外の誰かが好きって言ってくれたらうれしい。自分の好きな本をシェアしたいな、この本を読んでほしいなというところから、僕のブックディレクターと言われる仕事もスタートしています。

みなさんも図書館や本屋さんに行くと、気が付けば、こんなに新刊が出ているとか、あの本が版元が切れてて手に入らないとか、そういう経験があるんじゃないかなと思います。

売れる本の数は年々減っているんですが、出るタイトルの数はすごく増えています。だいたい今80000タイトル弱が日本で出ていると言われています。1日に200数十冊の新しい本が世の中に出ている。もちろん誰1人そのすべてを読むことはできないし、網羅することすらむずかしい。こういう仕事をしていても、本屋さんに行って「あれ、こんな雑誌出てたっけな」という時もあれば、「あの本もうない」ということはたくさんあります。最近は、類書が多いですよね。出版社も、例えば社員食堂の本が売れたら、猫も杓子も、いろいろな社員食堂の本を出したり……。つまり本屋さんに行くと、何を手に取っていいのかわからない、そういうことがあるかもしれないのですが、それを整理整頓することが、僕の仕事なんじゃないかなと思っています。

本ってまだまだ自分たちの日常に機能するおもしろいツールだと思うんです。ただ、本屋さんに行ってもどの本を手に取っていいのかわからない。そういった時に、どういうふうに本を手に取ってもらえたら人がもっと本を好きになってもらえるんだろう、そういうことを考えています。

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「BACHの仕事」

最近多いのは、本のコーナーをつくるという仕事。「シボネ青山」は、家具屋さんの中にある本屋さんですし、「スーベニアフロムトーキョー」は、国立新美術館にあるミュージアムショップの中にある本屋さん、「トーキョーズトーキョー」は、羽田空港の雑貨屋さんの中にある本屋さんです。最近よくカフェなど、本屋ならざる場所で本があるというシーンは増えていると思いますが、なるべく本屋さん以外の場所で本を手に取ってもらうような機会をつくる、そういう意味でこういう本のコーナーをいろいろな場所につくるということもしています。あとライブラリーをつくる仕事も最近結構増えています。大阪の千里リハビリテーション病院、ここは脳卒中のリハビリテーションの専門の病院。あと、予備校につくったり、最近は海外からも依頼があります。出版業界はなかなかきびしいという中で、僕は本が傍らにあるということは、人はまだ、可能性を持っていると感じています。

仕事をする時、こういうことを考えています。本というと今まではパターン配本、「あなたのところは先週○○を10冊入れたから、今週も送っとくよ」とか、そういうオートマチックに本を売ることが考えられていたんですけど、僕はそこに、場所性だとか、どういう人が来るのか、もっと現場にいる人間、土地の雰囲気、地場、そういうものも全部含めて本というものは差し出されるべきなんじゃないかなと、いつも考えています。

よく「幅さんは自分が読んで好きな本をいろいろなお店に入れて楽しそう仕事ですね」って言われるんですけど。ただ「好きだからどうぞ」と言ってもおせっかいにしかならない。あんまり好きでもない上司に無理矢理居酒屋につきあわされたとか、映画のチケットを渡されて無理矢理観て来いとか、あまりうれしいことじゃないじゃないですか。僕はこの仕事をやっていて、自分の好きを誰かに伝えたい時、そのおせっかいが親切に変わる境界線みたいなのがある気がしていて、その境界線はどこなんだろうといつも考えながら仕事しています。「届けたい相手が両手をのばして届く範囲内に本を配信しなければ」とありますが、好きな本をただただおすすめめしてもおせっかいにしかならないので、相手の話を聞いて、ちょっと距離を縮めていきながら、本を差し出すということをやっています。

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九州大学のユーザーサイエンス機構という、児童文学をこどもに読んでもらう研究室があり、そこと一緒にイベントをした時のお話です。何か僕のおすすめの本を1冊、こどもたちに説明してくださいということで、僕は『宝島』という本を選びました。スティーブンソンの海洋冒険彈の代表作だと思ってるんですけど、もう大好きで大好きで、小さいころ何十辺以上読んでいた本です。これを20人くらいの小学生のところに、持っていって、あらすじ、みどころを説明するんだけど、残念ながらこどもたちは話を聞いてくれない。つまり、小さな両手をのばした内側には『宝島』は全然入っていなくて、外側にしかないんですよね。「これは、どんなに熱くしゃべってもおせっかいにしかなっていない」と話しながらわかってくるんです。そうすると、次に何をやるのかと言うと、僕は彼らののばした両手の内側の範囲にあるもので、『宝島』と繋がるものをいつも探すようにしています。要は、そのもの自体を真正面からごり押ししても届かない場合、彼らの手の内側にヒントがあるんじゃないんだと……。彼が絶対読んでいるであろう海洋冒険彈と言えば、漫画の『ワンピース』、日本でいちばん売れている漫画ですよね。『宝島』を熱く語るのはやめて、「『ワンピース』読んでいる人?」って聞くと、全員が「はーい」って手を挙げるんですよ。実は、『宝島』も『ワンピース』も史実の海賊志に基づいて書かれているので、登場人物の名前が結構一緒だったりする、あと片足のコックさん・ジョンシルマンという主要な登場人物がいるんですが、『ワンピース』でいうとサンジの師匠のゼフなんですよね。「ゼフがこのモデルかも知れないよ」って言うと、「関係ねーなー」って思っていたこどもたちが「何?何?」って聞いてくれるようになる。彼らの内側にあるものと外側にあるものが繋がった瞬間に、「ひょっとしたら、これ僕に関係あるかもしれない」って思ってくれるようになるんです。
『ワンピース』の作者尾田栄一郎さんも、自分が影響を受けた本の1冊に『宝島』をあげていらっしゃったりとか、そのほか、作品の類似点をあげると、今まで全然関係なかった『宝島』が『ワンピース』を知っている自分に近付いて来たように思え、興味を持ってくれるようになってくれる。「『宝島』を読むと『ワンピース』のこれからがわかるよ」と言うと嘘になるけれど、「わかるかもしれないから読んでみて」というすすめ方をすると手にとってくれることが増えるんですよ。好きな本をただただすすめてもダメなんですが、届けたい相手が両手を広げてて、届く範囲内にあるものにどういうふうに近付けて距離を縮めるのかを考えて本をすすめるようにしています。好奇心をどういうふうに持ってもらうのか、「おもしろそう」ってどういうふうに思わせるかだと思うんですよね

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「病院のライブラリーの仕事」

脳卒中のリハビリテーション専門病院の千里リハビリテーション病院のライブラリーをつくらせていただきました。理事長先生が本を好きな方でお電話をいただいて「脳卒中のリハビリに効く本を1500冊集めてください」というオーダーをいただいたんです。正直、「脳卒中のリハビリに効く本って何ですか?」って思ってしまいました。幸運にも自分や家族がそういう経験をしたことがなかったので、いろいろ調べて、脳卒中のだいたいの原因、症状がわかったんですが、でもなかなかどういう本を選んでいいのかわからないわけです。で、何をするかと言うと、とにかく話を聞きに行く。この時もインタビューをしに行きました。何十人もの患者さんにお会いしてお話を伺いました。ただ行くだけではなく、いろいろな本を持っていくんですけど、僕が注目したのは、病院では意外に時間があることだったんですよね。午前午後で1時間ちょっとのリハビリがあって、ごはんがあって、お風呂の時間があるんですけど、結構スペアな時間がある。今までばりばり仕事をされていた方が、入院されているのであれば、時間がたっぷりある、だから忙しくて今まで読めなかった本を読んでもらおうと思い、いわゆる長い小説を持って行ったんです。いろいろ持って行って「どうでしょう?」と聞くと「えんちゃう」と言ってくれるんです。だから、「こんな感じなのかな?」と思っていたんですが、ある時、年配の女性に怒られたんですよ。「あんたこんな本持ってきても読まれへんよ、私は1行1行下敷きを使わないと読めない、1000ページもの本、読めるかいな」みたいなことを言われて「そうですか。本当にごめんなさい。全然気付きませんでした」と。インタビューをしてただ話を聞くだけだとダメなんですよね。だいたい「いいね。いいね」としか答えてくれない。今まで出来ていたことが出来ないストレスがものすごく溜まっている人たちなので、赤の他人に「こんなの読めない」と言うのもストレスなんです。でも、インタビューを重ねているうちに、そこの地場とか本来あるべきものが見えてくる。教えてくれた女性が、長いのダメかもしれない文章を読ませるではなく、詩とか短歌とか、どこでも読み始めてどこでも読み終えられるような本を持って行って長いのと短いのを見せたら、ほぼ後者がいいと気が付いたり……。
もっと言うと文字を読むことすらむずかしい方も多々いらしたんです。ただドクターに伺うと、本のページをめくる行為は、指のリハビリによいということだったので、読むというより、開くことができる、飛び出す絵本、ぱらぱら漫画がリハビリにいいということがわかったり。パラパラしていると自分の手がどういうふうに動いているのがすぐ可視化できるじゃないですか。ああいうものがいいということがわかってきたりしました。あとは文字を読まなくても伝わるビジュアルブック、写真集はものすごく効果がありました。世の中にはたくさん風景、人物写真があるんですけど、これも話を聞いているうちにわかってきました。まず、いろいろな写真集をお見せするんですけど、反応がよかったのは、大阪万博の記念写真集でした。ものすごくみなさん見てくれる。聞いてもいないのに、芋づる式でいろいろな思い出話をしてくれるんです。男性の方には阪神タイガースの本が反響がよかったです。1985年優勝の記念写真集をお持ちすると、掛布、バース、岡田のクリーンナップがいかにすばらしかったのかを語ってくれて、講義を聞かされているような感じになったりしました。ただ写真集を持って行くというより、大阪、千里の地場に近いものを差し出すといいんだ、そんなふうに本を選んで行きました。

リハビリテーション病院の本棚に置いて、比較的みなさんに評判がよかったのを集めたのがこの「つかう本」です。ワークブック。これは、千里の病院と一緒につくったりもしました。脳卒中で入院してリハビリされると、書き取りの練習があるんですよ。まず国語ドリルの小学1年生版をまずやらされるわけです。すごくショッキングなわけです。今までいろいろな経験を積んできた方が、「また小学校1年かあ」と……。リハビリの現場って「手が動く」、「足が動く」ことが重要なんですけど、現場にして「手が動く」ことより「何をつかもう」と思えるのか、動いた足で「どこかに行きたい」って思えることの方が重要なんじゃなかろうかと。だから、例えば木村 伊兵衛の『パリ』という写真集がありました。木村 伊兵衛という固有名詞には誰も引っかからないんですけど、あの風景を見て「もう一度パリに行きたいなあ」と思うんです。足を治してこういうところに行きたい、モチベーションを喚起してくれる力って、どんなところにもあるんだってものすごく思ったわけです。いわゆる、「リハビリはこうあるべき」みたいなのとはまったく別のワークブックをつくろうということで、この「つかう本」をつくってみたりしています。

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これ(谷川 俊太郎『接吻』の詩)は、患者の方に書き取りをしてもらった詩のひとつです。本をそのまま書き写すのもいい書き取りだろうと。男性の患者の方だったんですけど、書き取りが大嫌い。「なかなかしてくれないんです。なんかいい方法ありませんかね?」とヘルパーさんに相談を受けて、「どんな方ですか?」と伺ったら、「チューおじさんです」って言うんです。「すぐチューをしたがるんですよ」って。たまにいますよね(笑)。で、「チューの本ありませんか?」って言われて、そう言えば谷川 俊太郎の『手紙』という本の中に、「接吻の時」という詩があったなと思って……。この詩は男の目線でチューをする直前の心理を書いたものなんですけど、「これだったら書き取りしてくれるんじゃない?」と思って渡したら、「チューだったら書いたるわー」みたいな感じで。(笑)時間をかけてゆっくりていねいに書いてくれて、書いたあと病室の枕元に飾ってくれたらしいです。そのあと、その患者さんが「こいつはチューのことをよくわかっている。谷川 俊太郎は何者だ?」って聞くんです。それで、「詩人で、ほかにもたくさん詩を書いている人なんですよ」と言うと「こいつの他の本を持って来い」って言って、ほかの本を読んでくれたんですよね。僕はその話を聞いてものすごくうれしかったです。患者さんにとって谷川 俊太郎さんは知らない存在だった、知らなくても、今後の人生とどこおりなく進んでいったであろう。でもそこで、谷川さんの詩に出合ってもらって、自分の中でのいい意味でのつまづきみたいなのがあって……。それってステキなことだなと思うし、僕が本をすすめる仕事をやっているのは、そういうためにやっているんじゃないかなって思います。
今は検索型の世の中だから、知っている単語を検索エンジンにタイプしてその範囲でしか、ものを調べたり、本を選んだりしないんです。そうではないところで、急に偶然出くわしてしまう。交通事故って言うと、言い方が悪いので、僕らはそれを「幸福な事故」って読んでるんですけど、その「幸福の事故」の誘発は、まだまだ本屋さんでできるんじゃないかなといつも思っています。

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「東京ミッドタウンパークライブラリー」

毎年ゴールデンウイークにパークライブラリーというイベントをやっています。名前の通り、施設の裏手の芝生広場で本を貸し出すというようなことをやっています。ライブラリーというけれど、本棚はなくて本はバスケットに入っています。バスケットの中に、本が3冊と敷物が入っていています。例えば、「こんなところに行きたいな」と書かれた名札の付いたバスケットの中には、旅の本や写真集が入っていたりします。そういうふうに本をセグメント分けしています。うれしいのは、たくさんの人がこれを借りてってくれる。敷物を広げて、本を読んでくれているんです。本に興味のある人だけじゃなく、そうじゃない方も借りていってくれるんです。おもしろいなと思ったのは、おじさん。奥様や娘さんはお買い物に行ってしまっていて、ひとり退屈そうなおじさんが「カゴをひとつ」みたいな感じで借りてってくれるんです。「どんな本がいいですか?」と聞くと、「何でもいいよ」みたいな感じ。おじさんにとっては、目的は敷物なんです。敷物がただだっていう……。「ただなら借りてやろう」って、芝生に広げて……。彼がほしいのは敷物だから、本は敷物の端の重しなんですよ(笑)。まわりには、屋台が出ていて、ビールとカレーでお腹もいっぱいになってきて、芝生も気持ちいいし、5月のさわやかな風も吹いていて気持ちいい。そんなものすごく余裕がある状態にいると、その重しである本をちょっと開き始めるんです。あるおじさんに「どうですか?その本」って聞くと、「ようわからんけど、この子、かわいいなあ」って。それは蒼井優さんの写真集だったんです。で「俺、5年ぶりくらいに本開いたわ」って。本に関わる仕事をしているはしくれとしては、5年間、本を開かない人がいることがショッキングで、びっくりしたんですけど、言い換えると、5年ぶりに本を開いてもらえる機会がつくれたのはよかったのかなと……。そういう経験をしました。

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本なんてちょっと面倒くさそうでも、1ページでも開いてみると、入ってくるものがあるんじゃなかろうかと……。実際、バスケットを50個用意して、1日8回転くらいするんです。1200回くらい、人が本を手にとってくれるんです。本を手にとってもらう時って、その人の精神的余裕、体力的ゆとり、そういうのがないとなかなか新しい本って出ないんじゃないかなと思いました。だから僕が本屋をつくる時には、カフェを併設したり、いすをたくさん置いたりしているのもそうです。座ってパラパラ見た方が響く可能性があるんじゃなかろうかなと思います。
世の中にはいい本悪い本というのがあって、いい本だけ読まれようとしている傾向がありますが、実は、本にいい悪いはないんじゃないのかなと思います。じゃあ何があるのかと言うと、今の自分に合う本と合わない本じゃないかと……。それは、食べ物に近いんじゃないかなと思います。「今日はお肉が食べたい」みたいな日あるじゃないですか。その一方で「今日は野菜と冷や奴ですっきりしたい」という日とか、本も一緒で、今日はなんだって理解できちゃうぞ、みたいな研ぎすまされた夜もあれば、今日は軽く、ギャグ漫画とかで済ませてしまおうという夜もあるわけですよね。
思うんですけど、自分の器としてどんと構えていれば、たいていの本は楽しめると思います。本にいい悪いがあるとすれば、読んだ本に自分が感動するか、ということの方が大切なんじゃなかろうかな。理想としては、どんな本を読んでも楽しくなれる人になるのがいちばんいいんじゃないかなと思います。つまんないなと思っても、どこかおもしろい点をみつけるというような、。僕もものをすすめる立場として、読んだ本のいい点、美点をうまく救いあげて差し出せたらいいなと思っています。

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「伊勢丹 ビューティーアポセカリー」

最近やった仕事です。先月オープンしました。伊勢丹のビューティーアポセカリーは、女性のためのフロア、ナチュラルコスメの専門のフロアです。そこに置いてあるのは、ナチュラルコスメ、何を塗るかという以外に、どんな水を飲むかということで水のバー、シリアルなどのオーガニックの食品、ビオワインなどがあります。「そういうコーナーになぜ本が?」と思われると思いますが、精神的にたってないと女性の美しさって表れないんです。女性たちが何を求めて向かっているんだろうと、探りながら本を選んでいきました。

コスメは、1ヵ月比較的即効性の高いアイテムですが、遅効性、いつそれが効くかわからんのだけれど、例えば「こんな人のこんな詩を読んだから、美しくなるんじゃないの人は」というので、これは茨木 のりこさんの詩です。これ、お化粧とはまったく関係ないじゃないですか。お化粧の「け」の字も出てこないんです。でも、やっぱり、こういうものが自分の中にすとんと入っている。その引き出しがいつ開くのかはわからない、でもこういうのが1個あるだけで、何かちょっと背筋ののばし方が変わったりしないだろうか。そういう力って本にあると思うんですよね。機会があったら、行ってみてください。

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「そういった時代を迎えた今、
どうやったら誰かのSense of Wonderを
揺り動かすことができるのか?
     ↓
エディトリアルという考え方」

検索型の世の中になっているので、人はなかなか知らないものに、触手をのばしてくれない。やっぱり編集という考え方は重要なんじゃなかと思います。

僕がいちばん最初にさせていただいた「ツタヤトーキョー六本木」の本棚のつくり方についてです。そこには、旅、食、デザイン、アートという4ジャンルの本しか置かないって決めたんです。僕は、一般書店の本の分け方があまり好きじゃないんです。男性実用、女性実用とか、僕は料理が好きなんですけど、料理本は女性実用のコーナーに行かなきゃいけないんです。なんで文庫だけ版型で分かれていて、しかも出版社ごとに並んでいるのがストレスフル、それって流通の都合ですよね。もう少し、お客さま目線に向けて本棚を再編集することによって、今までと違う届き方ができるんじゃないかと考えたのがこちらです。

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僕は、ガブリエル ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が大好きなんですが、初めて、わからないことがおもしろいと思いました。全然わからんけどなんかすごい、と感動したんです。だけど、そこの店には外国文学コーナーがないんです。どうするかというと旅のコーナーの南米のあたりに、ガルシア=マルケスを入れてみるんです。
例えば、インドのコーナーを簡単にご説明します。いちばん左の本は、フランスの写真家のアンリ カルティエ=ブレッソン『IN INDIA』という写真集です。通常だったら写真集コーナーに置いてある本です、横尾 忠則さんの『インドへ』は通常美術コーナーに置いてある、隣の『インド夜想曲』というのはアントニオ タブッキというイタリアの作家が書いたロードムービーのような小説です。これを旅のコーナーに入れてもよかろうかと……。妹尾 河童さんの『河童の覗いたインド』なども入れました。本来なら別のコーナーになるはずの本をインドコーナーに再編集してみました。どうなるかと言うと、まずツタヤさんには「わかりにくいと言われたんですよ、大丈夫ですか?」と。でも、お客さまには好評でした。つまり、旅のコーナーに行くと、旅行ガイドが並んでいて、地図が並んでいて、ルポルタージュやエッセイが並んでいます。だから、そこにまさかアントニオ タブッキやブレッソンがあるとは思わないんです。けど、でもそこにあるから、びっくりして立ち止まってしまうという、いい意味でのポジティブなつまづき、「幸福な事故」を誘発するために、本棚の再編集が機能するんだなあということがわかりました。、本というのは1冊だとただの本なんですけど、連なると独特のアトモスフィアが自然と生じます。本自体はしゃべらないですが、本棚は雄弁。しかもその雄弁さは、本が連なることによって出てくる、僕の場合は、今までのジャンルを取り外して、必要な再編集することによって、こういうものに興味を持ってもらおうと思っています。

やってみて気付いたことです。これは、羽田空港の第2ターミナルにある「トーキョーズトーキョー」という雑貨と本のお店です。ここはどういうふうに本を置いてあるかというと地域別に置いてあるんです。日本の各地に出発する人たちに向けて、並べています。空港って、チェックインの簡素化によってどんどん滞留時間が短くなってるんですよね。本を選んでいる時間がないんですよね。だからここでは、限りなく本の数を減らしています。
昔は、本がたくさんあるのがいい本屋さんの優位性でした。今は、誰もがアマゾンにはかなわない。だとしたら、本が少ないということをメリットに転化できないかと考えて、あえてやりました。ある時期の「東北に行くならベスト1」です。『風の又三郎』にしてみました。
お店からのメッセージとしての1位です。ある月、日本でいちばん『風の又三郎』を売ったのがここなんですよ。と言っても60冊くらいなんですけど、でも1日2冊『風の又三郎』が売れるってすごいと思うんです。1冊ああいいうものを読んで東北の空港に降りるっていいと思うんですよね。一般書店に行くと、『風の又三郎』なかなか探せないと思うんですよね。言いたいことは、こういうことです。同じ本であっても、置く場所、環境を編集することによって、届き方って全然違ってくるんです。つまり文庫別のあいうえお順で置いてある『風の又三郎』と羽田空港の地場でこれから東北に向かおうとしている方に差し出す地場だと、相手への届き方がまったく違った印象を受けるのではなかろうかと……。それを環境の編集と呼んでいます。

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「セレクトショップ < エディトリアルショップ」

こういう仕事をいくつか重ねてきた僕たちにとって大切なのは、セレクトよりエディットなんじゃないかなと思っています。世の中にはセレクトショップがたくさんあります。
世界中を見渡して、ものを選ぶことに力点が置かれています。そういうのがセレクトショップだとしたら、エディトリアルショップは、その選んだものを、どういうふうに並べるのか、どういう環境に置くのかそういうものに力点を置くのが編集型のお店だと思います。そうすると、さきほどの『風の又三郎』のようなことが起こります。作品自体がいいなと思うことは当然なのですが、それを手に取った時にどいういう環境、タイミングで差し出すかによって、実は、ちゃんと届くんじゃないか。世界中の見たこともないものを探す競争から外れることができる、見たことはあるけど実はよく知らないとか、聞いたことはあるけど読んだことない、そういうようなものの再発見をしてもらえる、新しいもの以外のものがコンテンツになるってことです。

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実際僕らが本屋さんをつくる時、新刊の割合は2割ないくらいです。どちらかというと読み継がれているものが多く、そういうものは何年経って読んでもちゃと人の心がつかめる、その可能性が高いんじゃないかなと思います。そういうシチュエーションでていねいに差し出して行きたいと考えています。 よく「ブックディレクターは本を選ぶのが仕事なんですか?」と聞かれます。選ぶのも仕事だけれど、その差し出し方がすごく重要なんじゃないかなって思います。

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「わたしがこどもだったころ」

こどものころ、本だけはお小遣い別制度だったんです。小学校低学年だから500円程度のお小遣いなんですけど、おやつをいろいろ買って、月のはじめの2日くらいでお金がなくなってしまうんです。で、残りの28日間は、駅前の小さな本屋さんに行くしかなかった。30坪くらいの小さなお店でしたが、こどもにとっては宇宙のように思えて、ずーっとそこで、本を読んでいました。超滞留型(笑)。母親がナイスだったのは、その本屋さんにツケで本を買うことを許してくれていたんです。しかも、どんな本でもよかったんです。今思えば幸運だったなあと思います。我々が本を編集する時に、漫画であろうが哲学書であろうがすべての本を並列に扱おうとよく言っています。いい本、悪い本、アカデミック、アングラなど、そういうのを気にせず、公平に見渡す目っていうのは、こどもの時に培われたんじゃなかろうかっていうのは、思ったりします。だんだん駅前にあるような小さなお店がなくなっていくのは寂しいですね。小さな子が店主と対話して本を買える空間がなくなっていくのは残念に思います。

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「わたしの読書の仕方」
・拝読
・よく噛んで読む(本の血肉化)
・本の読み方の自由(読書に敗北なし)

僕は何冊かの本を併読して、その日いちばん読みたい本を読むようにしています。そういう意味で言うと、読み方に正解はないんです。手に取って開いて、どうやって入れるのかが重要。そこで途中でやめたから、負けと認めるのは悔しいから、それは合わなかったんだから、しばらく寝ておいてね、みたいな感じで接しています。僕は、本はその中の1行でも心に残ればいいんじゃないと思っています。本を読むことが目的ではなく、読んだ本から得た情報が自分の日常生活のどこかの側面を1ミリでも上に上げることが重要なんじゃないかと思っています。本に踊らさせられるものじゃなく、自分のために有効に機能させるものなんじゃないかなと思います。だから、たくさん読めばいいってものでもない、量は関係ないと思うんです。その人にとって深く突き刺さっている本、言葉があれば、僕は何冊でも構わないと思っています。つまり、全体に関して同意をするより、その一言を引き出して来て、それを自分の明日朝起きるために使えるのかということが重要だと思っています。電子書籍でも同じ。あくまでも道具が変わっただけで、読む主体が人間であることが変わりないならば、実は変わらないんじゃないかと思います。

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「さあ、本屋へ行こう」
あとは、動物的な嗅覚に従い、
五感をつかって
本を手にとりひらこう。

あとは、本屋さんへ行ってください。僕は、本屋さんは行くという行為は狩猟的な行為なんじゃないかと思っています。リアルな本屋さんでは、特にタイトルも知らないし、名前も知らないけど、なんかにおうってあるじゃないですか。あれって、すごく重要な本能的な感覚。最近は身体というものが、必要じゃないようにすら思える。ネットが繋がっていてボタンが押せれば、仕事もできるし、本も買える。とはいえ、やっぱりSFの世界にはならなくて、愚鈍かと思うような身体から結局離れられないんだということに気付いたのが東日本大震災でした。身体が結局自分のよりしろであるんだっていうことを思い出しました。今、ランニングブーム。走ると息が切れるとか膝が痛いとかいうのは、確からしさを求めることだと思うんですよ。自分が基盤として寄り添っている身体に確からしさを望み、求める行為に近いんじゃないかと思います。僕は、そういう意味では、本屋さんに行って知らない本をクンクンにおうのも、人間が身体ベースで動いている、何か持っている何か大切な直感を使うことだと思います。よく言うんですけど、本屋さんに行く時は、トイレを済ませて、お腹をほどほどに満たして、うしろのスケジュールを入れないで、荷物を軽くして行くと、いい本に出くわせると思います。

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で、僕は迷ったら買うというふうにしているんです。ぜひみなさんも行って、本を手に取ってもらえたらうれしいです。

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<第2部>

「紙の本 モニターの本」

電子書籍というものが少しずつ我々の耳によく聴こえるようになってきて、「それってどうなんだろう?使えるの?」興味があると思うので、僕なりに考えていることをお話しします。僕は電子書籍と紙の本、両方使っています。両方いいところがあるんです。そもそも、僕は何で読んでも構わないと思っています。読んで、自分の中に入って来た情報、ことが、自分にとって機能して毎日がおもしろおかしくなるんだったら、何でもいいんです。ただ道具としては、種類がまったく違うものだから、その違いを理解した上で使い分けることが大切です。

電子リーダーは、本としての実存感はないです。僕は、本は中身はもちろん、その装丁も含めて記憶と結びついていることが多々あります。例えば、ツルゲーネフの『初恋』の文庫版は、非常に薄いんです。こんなに薄いのに、濃厚でおもしろかったな。その薄さも含めて覚えているんです。『失われた時を求めて』もその分厚さも含めてプルーストだったりします。電子書籍になると、思い出す術がコンテンツしかないんです。本というのは、読んだら、どんどん忘れて行くものだと思っています。読んだ端からどんどん忘れていくので、自分の身体に近いところに並べておきます。そうすると、忘れてもそこに見えている安心感があります。データという遠い場所に置いておいても、すぐに取り出してみることができない。例えば、デジカメで撮った写真も、意外によく見るのは出力した紙の実存感の方だったりします。

ただ、紙の本が商品である以上、電子化の波というのはある程度逆らえないところではあるのかなと思います。印刷、紙、物流のコストとか、在庫のリスクとか、そういうものをまったく持たなくてよい電子出版の方に今は流れていく。要は紙の本を売り続けることに限界、むずかしいという時に、唯一のっかるしかない、かけてみようという対象が電子書籍です。巷をにぎわせているということは、可能性を感じているのだと思います。

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電子リーダーを利用する時に、どのような形で保存するのか、取捨選択の方法を明快にしなきゃいけないなって思います。ちなみに電子リーダーと僕が読んでいるのは、一般的に電子書籍と言われているのですが、僕はどうしても、書籍と呼ぶにはちょっと違うんじゃないかなと。要は読む道具なので、あえてこういう言い方でいいかなと思っています。今後は、これは紙で取っておく、これは電子でいいかなと使い分ける世の中になるのかも、ひょっとしたら。紙の本を手に取って、レジに行ったら「これはこのままお持ち帰りになりますか?それとも電子にして、データにしますか?」というふうになるかもしれない。どちらかを駆逐するということではなく、あくまでも主体の人間が使いやすい方、道具として使いきっていくということが大切なんじゃないかなと思います。

僕、電子書籍、使い始めて気付いたことがあります。それは、紙の本を読むってことは、フィジカルな行為だということ。結構身体を使ってるんだなと思いました。電子書籍がなかったころには、そんなことは意識していなくて、普通に紙の本を読んでいました。目と脳みそで読んでいるんでしょ、くらいの感覚。読み比べてみるといかに紙の本がフィジカルなものなのかと気付きました。例えば、読み戻りという行為、すごく身体を使った行為だと思ったんですよね。『百年の孤独』も読み戻りの小説だと思うんです。「あれ?この人死んでなかったっけ?」って思ってぱっと戻るんですよ。戻る時に、ぴったりとは行かなくても、近いページに戻れるのは、指先の感覚と記憶の交差点をまさぐってるんです「この辺かなって」。電子書籍にはそれができない。数量は表示されるんだけれど、「だいたい、この辺かな?」とダイレクトに反映されにくい。紙の本の読書はフィジカルなんです。
一方、脳卒中のリハビリ病院では、電子書籍をいくつか採用しました。身体が使えない人にとって、読書って苦痛を伴うものなんです。ページをめくることすらむずかしいとか……。触れるだけでページがめくられるとか、文字の大きさも変えられるとか、電子書籍は万全な身体でなくても、本を読むことができるツールとして、いい存在なんじゃないかなと思います。

電子リーダーになるとどういう読み方になるのか、僕なりに考えたことを話します。電子書籍のいいところは、検索したら、コンテンツだけじゃなく中身でも出てくるようになってくるんじゃないかと思います。だからものを調べる時、便利ではある。でも言い換えるとそこしか読まないかも知れない。今、人が興味のあるのは時間の短縮。本も結論しか読まないというようなことになってしまうんじゃないか。実際海外実用書だと、1冊配信ではなく、さらに細かく分けたような配信が広がっています。「ここだけ読みたい」と物語が分断されたような読書が広がってくるんじゃないかと思います。
あともうひとつは、物語の構造で考えると、電子書籍は直線的物語、リニアなものしか書かれなかったりするんじゃないかと思います。読み戻りがむずかしいので、そういう物語が増える気がします。大きな複雑な物語が書かれなくなったり……。僕は物語が先にあって、それを再生する道具として電子書籍があるべきだと思うんですけど、読まれるものが、こういうツールだからこういうものしか書かれなくなるとか、そういうことは怖いことじゃないかなと思っています。重要なのは情報がしっかり伝わること。情報を紙から得ようがモニターから得ようが、取り出した情報が人の日常でちゃんと機能することだと思います。

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「本を読む人の美点は
情報収集力にあるのではない。
また秩序だて、
分類する能力にあるわけでもない。
読書を通じて知ったことを、解釈し、
関連づけ、変貌させる才能にこそある。」

『図書館 愛書家の楽園』を書いたアルベルト マングェルの言葉です。これは僕の読書観に近く、いつも大切に思っている言葉です。さっきも言ったようにインターフェイスが変わると読み方が変わる、読みやすいものも変わる、だけど重要なのは、読んだそれを自分の中で解釈し、関連づけ、変貌させる、そして明日朝起きた時に食べる朝ご飯に変貌することもあれば、自分のこどもに対する接し方に変貌することも……、いろいろな変貌のさせ方があると思いますが、やっぱり、僕らの日常に関わる何かに変貌させるギフトみたいな。本を読んでいることによって得られるものなんじゃないかなと考えています。電子書籍、一度試してみてください。

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お客さまとのQ&A

お客さま:
書店に行って、何を持って「お、これは?」と思える本を選ばれるのでしょうか。

幅さん:
直感ですね。固有名詞より、本のしつらい、たたずまいとか……。なんかおもしろそうなものないかなとふらっとしているだけなんです。すると、何か発見する。いつも本屋さんに行く時は、あえてルートを決めないようにしています。自発的に迷う感じにしています。あとは、迷ったら買う、ということでしょうか。

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お客さま:
うちの奥さんは、私が本を買って読むことには何も言わないのですが、本を保管することに不満があって、廃品回収の時になると「そろそろ捨てる本はないの?」とか「読まない本はいらないんじゃないの?」って言われるんです。本に理解はあるんですが、保管に関してはきびしい奥さんに、何か効果的なメッセージをお願いします。あと、自宅での読書空間、読書の楽しみ方はありますか?

幅さん:
もう、「これは俺の友だちなんだ」と叫ぶしかないですよね(笑)。何かが宿っちゃってる、離れがたい存在の本ってあると思うんです。あと、誰かにあげるというのは僕は悪くないと思っています。廃品回収だと行く末がわからないじゃないですか。でも、自分がそれを誰かにあげて喜ばれるシチュエーションがあるんだったら、あげて、目の前には見えないけれど、本が旅して読み継がれているかもしれないと夢想すると、ちょっとは少し救われるのかと……。
僕が家で本を読む時は、パジャマ着て、イモ焼酎飲みながらグダッとソファに横たわって読んでいたり、ベッドの中とか、力を抜きすぎるくらい抜いて読んでいます。どこでも読める。閉塞した場所だと読書って、とかく個の問題に陥っていきがちなので「おもしろかったよ」と言っても、それを見ているまわりの人は疎外感を感じるかもしれないから、パブリックな場所で読む方が、今後の家庭生活にいいのかも知れません、読んですごく熱中している姿が微笑ましい、と勝手におせっかいしてみます。

フェリシモ:
最後に、みなさんが明日からもっといろいろな本と出会えることを願って本の可能性についてお話ください。

幅さん:
とにかく本を手にとって面倒くさがらずに開いてみる、開いてみて、偶然見えたその1ページにひょっとしたら何かがあるかも知れません。僕は僕で、その本を差し出すみたいなことを工夫しながらやっていきたいと思います。みなさんが、本を読む日々がしあわせなものであることを願っています。

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Profile

幅 允孝(はば よしたか)さん<BACH(バッハ)代表・ブックディレクター>

幅 允孝(はば よしたか)さん
<BACH(バッハ)代表・ブックディレクター>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
人と本がもうすこし上手く出会えるよう、様々な場所で本の提案をしている。羽田空港と原宿にある「Tokyo's Tokyo」や、二子玉川「フォーティーファイブ・アール」などショップでの選書や、千里リハビリテーション病院のライブラリー制作など、その活動範囲は本の居場所と共に多岐にわたる。著作に『幅書店の88冊』(マガジンハウス)がある。
www.bach-inc.com

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