神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「忍耐は苦しい けれどもその実は甘い」



<第1部>

「そうなんです。
私、今も走り続けているんです」。

みなさん、こんにちは。今回のお客さまで、これまでマラソンのご経験があると言う経験がある方、お手をあげていただけていただけますか?

(会場:挙手されるお客さまがちらほら…)

思いのほかたくさんいらっしゃって、うれしいです。そして明日の神戸マラソンを走られる方もいらっしゃるとのこと、大事なマラソンを控えて今日はありがとうございます。私も、今朝ハーバーランドを走ってまいりました。「潮風の道ランニングコース」という2、5㎞のコースがあります。神戸は歩道も広いので走りやすいです。いつもはポートライナーの下の道を空港の方に向かって走っていきます。空港に近づくと、空が抜けて見えて、自分は鳥になった気分になります。そんな自然の空気を感じながら、走るのは非常に気持ちいいものです。そうなんです。私、今も走り続けているんです。

「オールスター感謝祭」というテレビ番組をご存知ですか? 番組の中で、テレビ局のまわりをぐるぐるとタレントさんたちと一緒に走っています。この番組に15~16年くらい前から呼んでいただいております。このマラソン、ハンディがきびしいんですよ。でも、賞金が50万円かかっていたりするので、ついついがんばってしまう自分がいたりします。でも、谷川 真理は1番にならなくてもいいんです。一所懸命走っているアピールをすればいいんですね。
私「東京国際女子マラソン」で優勝したのが1991年です。今からなんと22年くらい前ですよ。さて私はいくつでしょうか?というくらい年数が経ってしまいました。「谷川 真理、まだがんばってるんだな」ということで、日本全国で1年間で市民レースと言われているものは、1600レースくらいあるんですね。そのうちの30本近く、呼んでいただいております。
明日は名古屋の豊川シティマラソンで走る予定になっています。先月の大阪マラソンは、連続3回走らせていただいています。今回はなんと4時間50分くらいかかってゴールしたんですね。というのも、今年2月末に半月板を損傷しまして、手術をしました。何十年も走ってくると、いろいろなところがぽんこつ状態になっていて、それまでもひざの調子がよくなかったんですけれど、手術をして、リハビリをしてようやくここ2ヵ月半くらい走れるようになりました。大阪マラソンでは、「制限時間7時間使っていいので最後まで走ってほしい」という要望があり、なんとか走りました。5時間近く走るとお腹がすきますね。途中、お新香巻きを食べ、そして三笠山を1/4個食べました。やー三笠山、おいしかったけど、甘かったです。やっぱり走っている時というのは唾液が若干乾燥気味になるので甘さをとても敏感に感じるんですね。そして途中いろいろな人とハイタッチをしたり、写真を撮りながら5時間、内容の濃いランニングをしました。明日の神戸マラソンも時間制限7時間ですね。7時間というとどのくらいのペースかと言うと、だいたい100mを1分くらいなんです。1㎞を10分くらいのペースでずっといくと、42,195㎞を7時間2分弱くらいなんです。そのくらいゆっくりしたペースです。ちなみに私の4時間50分、このペースというと、1㎞を6分45~50秒くらいのペースになります。
今年もいろいろな大会に呼んでいただいています。各地の大会ではそこならではの風景があります。海、山、温泉があったり、そこならではのおいしいものを食べることができ、しかも自分の好きな走りをここまで継続させていただいて、本当にしあわせだなあと感じています。

マラソンのルーツをご存知でしょうか? 紀元前490年にペルシャ戦争がありました。その戦争でギリシャ軍が勝ちました。その勝利の報告をするために、マラトンの丘からアテネまで40㎞弱の道をフィリッピデスという兵士が勝利の報告をするために走って、そして息絶えて亡くなってしまった、それが元でマラソンが始まったと言われています。マラソンというのは、戦いから生まれた競技ではないかなと思います。私はマラソンは1991年から取り組みました。

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中学、高校時代、私は陸上部でした。中学の時に陸上部に入って非常にトレーニングがきびしかったので、私は辞めてしまいました。今度高校に入ったら、どんなにきびしいトレーニングだったとしても3年間は継続するというのが目標でした。で、陸上部に入りました。案の定、毎日きびしい練習でした。私は中距離をやっていました。400mと800m。当時高校総体の女子の種目でいちばん長い距離と言えば、800mまでしかなかったんです。今でこそ3000mとかありますけど。先生が練習メニューを書いてくれます。その日の練習メニューが1000mのインターバル5本と書いてあるわけです。「あーあ、いやだな」と思っていると、マネージャーが「今日は先生職員会議で遅れるから」と……。「やったー」とばかりに、「走ってないけど記録を書いてね」と言って、走るのは実際5本中2本だけだったりと、さぼるんですよ。でも先生がいる時は練習をしていたので、高3の時に800mで、関東大会には行くことができました。

先生には「お前は体育大学に行って、実業団でマラソンをやりなさい」とずっと言われていました。なぜかと言うと、1000m思い切り走ります、そうすると呼吸の戻り、回復が私は若干早かったんです。その辺を見られていたんでしょうか。あと、ちょうど女子マラソンが始まったばかりのころだったんです。一昨年はロンドンオリンピックがありました。その前は北京オリンピック、その前は、シスメックス野口 みずきさんのアテネオリンピック、そして高橋 尚子さんのシドニーオリンピック、その前は有森 裕子さんのアトランタ、バルセロナ、ソウル、ロスとありますけれど、そのくらい昔ですよ。
でも、私は陸上を継続するということはまったく考えてなかったんです。高校の3年間継続するのが目標だったので「先生、私は英語の専門学校に行きます」と言って、陸上とは関係のない学校へ行きました。そこで何をやったかというと、世間勉強。今までは陸上漬けだったのでほとんど遊んだことがなかったんですね。学校に行っても後ろの出入り口の席に座って、出席を取った後、こっそり抜け出してお茶を飲みに外へ行ってしまうんですね。両親には本当に申しわけないんですけど、勉強してなかったんです。で、何をやっていたかというと週末の夜は夜遊びをして、そして日曜はサーフィン。サーフィンに行けない日はスケボー、ローラースケート。とにかく体を動かすことが大好きでした。専門学校2年終わり、就職が決まりました。就職先は、箱根駅伝のスタート地点の東京・大手町の読売新聞社前なんですが、その読売新聞社のビルの隣に私の勤めた会社がありました。9時から5時20分までは仕事をします。相変わらす、金曜日や土曜日の夜は夜遊びをして、週末、日曜はサーフィンに行く生活です。髪は長くて顔は真っ黒で、ちょっと大手町にはふさわしくないOLでした。社会人になって3年目、4年目、人間関係にも慣れて、仕事にも慣れてきます。毎日同じことの繰り返しで、「あれ、私の人生このまんま終わっていいのかな? 何かおもしろいことはないのかな?」と毎日思っていました。そんな時に会社の同僚が、お弁当を持って皇居にお花見に行こう」って誘ってくれたんです。

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「きっかけ」

皇居のまわりをたくさんの人が走っていました。「わあ、私も明日から走ってみよう」って思ったのが、きっかけでした。それが、24歳の春です。私、走り始めました。実は今、夕方、皇居のまわりを3000人くらいの人が走っているんですよ。信じられないですよね。皇居というのは1周5㎞あります。都内も中でも信号なしで5㎞を走れるのは、河川敷は別にして、多分皇居しかないんですよ。その皇居のまわりに今、シャワーとロッカー室を貸し出しするところが16カ所くらいあるんですよ。なぜここまでランニング人口が増えたかというと、やはり2007年の東京マラソンの影響が大きいのではないのかなと思います。ちなみに東京マラソン、来年も3万5000人の定員に30万人以上の応募がありました。コースを説明しますと、新宿都庁前広場をスタートし、歌舞伎町の前を通って、皇居前広場を通ります。品川の方へちょっと行きまして、銀座に戻って来て、浅草・雷門の方へ向かって走って行きます。その時に真正面に雷門が見えてくるんです。ふだんは車に乗っている時に雷門が真正面に見えるんです。だけど、自分の走っている早さで、だんだん近づいてきます。
本当にたくさんの方が応援してくれているんですよね。1年365日あって、走れるのはたった1日しかありません。その日しか見れない光景ですよね。最終的には東京ビッグサイトがゴール。42,195㎞、本当に長いですが、沿道の応援があるから最後までがんばることができるって参加者の方は言っています。ボランティアの方々も大変です。雨でも風でも寒くても3万5000人のランナーのために給水、バナナを出し続けています。ランナーの中には「ありがとう」と言って給水を持って行かれる方もたくさんいらっしゃいます。自分のことに挑戦しているんだけれども、人とのつながりだったり感謝の気持ちになれたりするんですよね。でも、35㎞過ぎは自分との戦いになりますよ。「なんでこんなに苦しいことをやっているのか」と自問自答し始めたりしてしまいます。でも、抽選に当って晴れて参加できるんです。当たらないと走れないんです、そしてその日に向けて一所懸命トレーニングします。そして「やっぱり苦しい、苦しいけれども、自分はこれだけの練習をがんばってきた。じゃあもうちょっとがんばろうよ」って……。だからペースは落ちるけれどなかなか止まれない。42,195㎞、たった1本のラインを越えた時に、達成感、満足感を感じることができる、非常にわかりやすいスポーツではないかなと思います。今、都市型のマラソンも増えて来ています。みなさんも現場に行って、走っている方を見たりすると、「自分も走ってみよう」とそういうふうな気にもなれるのではないかなと思います。

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そんな皇居を毎日走っていました。私の走り始めた時の目標は、おしゃれなランナーになることだったんです。当時はランニングウェアと言っても、おしゃれなウェアが全然なかったんですよ。今はカラフルでファッショナブルなウェアが増えました。サングラス、アームウォーマーだったり、いろいろなグッズがあります。当時私はサーフィンをやっていたので、サーフィンのトレーナーや半パンツを履き、足にはピンクのレッグウォーマーをして髪の毛をポニーテールにしてちゃらちゃらして走っていました。そうしたら、男性ランナーの方が私を意識して、はあはあ言いながら追いついてきます。その男性ランナーを振り切るのが毎日楽しかったんですね。勝ち気というか、大変申しわけないんですけれど、知らない男性と無言の状態で走る、そして全員振り切ったという、毎日競争。苦しかったんですけど、それが楽しかったんです。ある日、ある男性ランナーに「あなたいいペースで走っていますね」って言われたんですよ。それで、都民マラソンで日本人でトップになったら、シドニーのマラソンン大会に招待してもらえるっていう話を聞いたんです。
「え!招待してもらえるんだ」と思って、絶対行こうって決めたんですよ。聞いた翌日から皇居2周10㎞を、お昼休みの間、まるまる走るようになりました。その甲斐があって日本人でトップになり、シドニーに招待してもらったんです。これが本当に楽しかったんです。飛行機は、ビジネスクラス、ワインをガンガン飲みながらこんな楽しいことはないと思いました。で、東京に戻って来て「このレースで優勝したらボストンマラソン派遣、ゴールドコーストマラソン派遣」とか、書いてあるわけです。「全部招待してもらおう、同じ苦しいことをするなら、おいしいものが付いていた方がいい」と思ってがんばりました。ほぼ馬にニンジン状態ですよね(笑)。
中学、高校時代と変わらない、同じ走ることなのに、こうも違うのかと思ったら、やっぱり目標だったんですね。中学、高校のころは、インターハイに行きたいんだ、強くなりたいんだ」というそういう気持ちしかなかった。なので、先生に「やれ」と言われても苦しさが100倍になり、しかも乗り越えることができなかったんです。でも24歳からの谷川 真理は、変わりました。「どうしたらシドニーに招待してもらえるんだ。もっと練習しなくてはいけないんだ」と思ったんですよね。

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「忍耐は苦しいけれども その実は甘い」

シドニーの招待を目指してがんばっていた時、私は中野坂上に住んでいて、近くの熊野神社のまわりの中央公園をよく走っていました。で、ある日、神社の中に入ったら、そこに今月の言葉があり、「忍耐は苦しいけれども その実は甘い」と掲げられていました。この「その実は甘い」というのが、シドニー招待ですよ。この言葉を思い出しつつ、やって参りました。でも自分にとって「オリンピックに行くんだ、世界陸上に行くんだ」という、すごく遠い目標ではなくて、ちょっぴりがんばったらクリアできそうな目標をつくる、それをクリアできたら、次はこれ、その次はこれ、と階段を一段ずつ上がるようにして、そしてその先にはオリンピックがあるのかな……なんて思いでやって行きました。

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「OL時代 シティトゥーサーフマラソン」

シドニーのシティトゥーサーフマラソンという14㎞のレースで、東京都とシドニーの友好親善ということで派遣させていただきました。

「プロ転向」
このあと私は、資生堂という実業団のチームに行くことになります。なぜこちらに入らせてもらったかと言うと、あるレースに出ました、そこに実業団の選手がたくさんいました。おもいがけず私はその選手に勝ってしまいました。そうしたらいろいろなチームから、「ぜひうちに来ないか」というお話をいただいたんです。でも、私はとてもマイペースなので、みんなと同じ時間に一緒にトレーニングをしてみんなと同じものを食べて、ちょっと戻ってお仕事をして、またみんなと一緒に走る……というのはむずかしいかなと思いました。走ることに関しては自由にやりたかったんですよ。
あとひとつ、皇居で知り合った仲間たちと1周5㎞のトレーニングをしたかったんです。そうしたら資生堂さんが「自由にやっていいですよ」と言ってくださったんです。それで資生堂さんに入社させていただきました。
この時、自分はもうプロのランナーになれたと思ったんですよね。いかにマラソンにおいて優勝するか、いい記録を出すか、それが自分にとっての仕事、これだけの環境を与えてもらったわけだから、もっとがんばろうと思って一所懸命練習をやらせていただきました。おかげさまで、マラソンを走るたびにいい自己記録を出すことができ、1991年の東京国際女子マラソンで優勝することができました。
4年くらい資生堂さんにお世話になり、その後、セゾングループの良品計画に移籍しました。この時も私ひとりのために陸上部をつくっていただいたんですよ。実業団の選手というのは、マラソンでいかによい結果を出すかというのが仕事ですから、ものすごいプレッシャーがありました。でも、私はとてもやりがいを感じました。私は企業に守られている、じゃあもっとがんばろうという気持ちが強かったです。

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「1994年パリマラソン 優勝!」
良品計画に移籍して初めての大会は「パリ国際マラソン」だったんですけれど、アメリカでトレーニングをしてそのままパリに入りました。セゾングループの会長がわざわざ東京から応援に来てくれていたんです。ものすごいプレッシャーでした。しかも、テレビで生放送されました。人としゃべれないくらい緊張しました。でも、おかげさまで大会新記録で優勝することができたので、本当にほっとしました。
その時のエピソードのひとつをお話します。私は海外のレースで走る時には、本番の2、3日前に、高級時計店とかに行くんですよ。そこで「優勝したらこの時計、2番だったらこの時計、3番ならこれ」と品定めをします。店主の方に「パリマラソン走るんですけど、優勝したらこの時計買いますよ」と言っていました。それで優勝したので買いに行ったら、店主がこんなに大きなバラの花束をご用意をしてくださっていたんです。さすがパリだなって感動しました。もう買わざるをえない状況ですよね。そういう国際マラソンで優勝するっていうのは、なかなかできないですから。記念に残る時計をその当時はよく買わさせていただきました。

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「クリス・ムーンさんとの出会い 走り続ける理由」

そのあともずっと走り続けるわけなんですが、何十年も走ってくると、いろいろな方との出会いがありました。私にとってのいちばん大きな出会いは、クリス・ムーンさんという方との出会いでした。これ(手にしたものを見せて)地雷なんです。日本にはもうありません。あるのはカンボジアとかアフガニスタンとか。1個300~500円くらいでつくれます。これを取り除くのに5万円も7万円もかかってしまいます。いまだに取り除かれていない地雷が5000万個とか言われています。なぜ私はこの地雷のことをやらせてもらっているかと言うと、1997年の東京国際女子マラソンで朝日新聞さんが、地雷問題のテーマを持ってやっていました。私はたまたま選手宣誓をすることになっていました。「自分には足があります。けれども、世界にはこの地雷によって足を失い走りたくても走れない子どもたちがいます。彼らに代わって、私は一所懸命走ります」と宣誓をさせてもらいました。翌年1998年が、長野オリンピックだったんですね。その時の最終聖火ランナーがクリス・ムーンさんだったんです。クリス・ムーンさんもモザンピークで、地雷の被害に遭い、右手右足をなくされた方でした。彼が「オリンピックの開会式の翌日に、箱根から東京まで約100キロ、そして東京に戻ってきてオリンピックに参加している70ヵ国の大使館に地雷廃絶の手紙を持って走りたい、その伴走をやってもらえないか」というお話をNPO法人「難民を助ける会」さんから声をかけてもらいました。「難民を助ける会」さんというのは、1979年のインドシナ難民を助ける会ということで発足した団体なんですけれども「ぜひ」ということで、私はクリスさんの伴走をすることになりました。

(スライド)
こちらがその模様です。クリスさんは、右足がひざから下がありません。右手も半分ありません。彼は走っている時は右手の義手は重いので外しています。箱根町役場前を午後1時にスタートしました。100㎞先の東京が仮のゴールなので、私はゆっくり走るだろうと思っていたんです。クリスさん、すごい速さで走りました。「え?そんな速さで行くんだ」と思って、私も走りました。みんなが見えなくなったら、すぐゆっくりのペースになったんですけどね。なぜかと言うと、スタート地点には、箱根町民、ブラスバンドの子どもたち、たくさんの人たちがいました。たくさんの人たちに見送ってもらったんです。クリスさんは「自分の片足、片腕が半分ない。こういう状況でもがんばって東京まで走って行くんだよ」っていうところをアピールしていたんですよね。私は、がつんと殴られたようなスタートでした。いろいろなことがありましたが、東京に入る多摩川のところ、ラスト10㎞くらいで、クリスさんが「足が痛い」と言いました。「じゃあ、義足を取りましょう」と……。義足をはずすと接点が大きな水ぶくれで血だらけになっているんです。片足は親指が血豆になって爪が浮き上がっている、体調も悪くなってしまって……。「クリス、あと10㎞なんだけど、明日も大使館を巡って30数㎞は走らないといけないから、この辺でやめにした方がいいんじゃないですか?」って言ったんですよ。でも「最後まで行く」って言ったんで「じゃあ、行きましょう」ということになり、14.15時間くらいかかって走り、カンボジア大使館に朝の4時くらいに着きました。そして、翌日も70ヵ国の大使館をまわりました。クリスさん、本当に精神力の強い人です。彼はイギリス人ということで、最終のゴールが英国大使館でした。

なぜ彼がそこまで強い精神力になるかと言ったら、そうなんですよ。取り除かれていない地雷を全部取り除きたいというすごく大きな目標があります。彼が生きている間じゅうに、地雷を全部取り除くことはむずかしいかもしれない。でも彼にとっては、その目標があるから、やり抜こうという、そういった強い精神力が生まれてくるのかなと感じました。私の「シドニーに招待してもらうんだー」という目標とは雲泥の差なんですが……。
彼がよく言っていたのが「言葉を多くするより行動を多くしたい」と。まさにその通りだと思います。彼が走っている姿を私たちは見るだけでいろいろなことを感じるんじゃないかなと思います。

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彼の影響を受け、私はもっと地雷のことを勉強したいと2002年パキンスタンに行ってきました。アフガニスタンとの国境の10㎞くらい手前の街へ行ったのですが、目の前にはアフガニスタンの山々、まわりは美しい小麦畑、こんな美しい景色のいったいどこに恐ろしい地雷があるの?という感じです。でも、残念ながら地雷の被害に遭った子どもたちがたくさんいました。
ひとりの女の子がいすに座っていました。彼女は14歳、両足、ひざから下の部分がありませんでした。片腕もありませんでした。彼女を見た時に「いったい何を聞いたらいいのだろうか」と思いました。本当に絶句してしまいました。彼女に「どこで被害に遭ったのですか?」と聞いたら、「自分の家の庭先で」って言うんですよね。信じられませんでした。
彼らは、地雷でいつ手や足を失うかもしれない、そういう環境の中で、生きていかないといけないんです。そのことを私たちは忘れてはいけないのではないのかなと思います。1日も早く地雷がなくなる日が来てほしいと思います。

(スライド)
これは、わたしが地雷探知機を持っている写真です。地雷というのは1種類ではなく、こんなにたくさんの種類があります。後ろの大きなものは戦車を爆破させるものだったりします。

「谷川真理ハーフマラソン」
毎年1月に「谷川真理ハーフマラソン」を地雷廃絶のチャリティマラソンとして開催しています。第1回が2800人から始まりました。おかげさまで、今は1万人以上の方に参加していただいています。1回大会を開催するごとに約200万円くらいの寄付金が集まり、それを「難民を助ける会」さんに寄付させていただいています。
私は、このように走るということを軸に活動をさせてもらっています。ランニングに興味を持ってくださる方が増えていて、うれしい限りです。

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谷川 真理さんの
ウォーキング、ジョギングアドバイス

「定期的な運動のススメ
ランニングのメリット
1新陳代謝がよくなる
2生活習慣が変わる
3感性が豊かになる
4自信がつく
5仲間ができる
6距離感がつく」

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「新陳代謝がよくなる」、まさにそうですよね。私はたくさん食べて、たくさん走るので非常に代謝がいいんです。髪の毛とか爪、伸びるの早いんです。なので年齢もよくわかりませんということではないのかなと思います。いかがでしょうか?
「生活習慣が変わる」、今までまったく運動しない人たちが、「明日から運動します」ということになると、どのタイミングで歩いたり、走ったりするのか、ということになりますよね。「いつもより少し早く起きて朝歩こう」もしくは「早めに仕事を切り上げて、帰りは走って帰ろう」とか、どこかのタイミングで走る時間をつくるということで生活習慣が変わってきます。早寝早起きになったりします。
「感性が豊かになる」、外に出ました。「今日はキンモクセイの香りがしてきたなー」とか、「今日はおもいがけない夕日なんだー」とか、五感でいろいろなことを感じます。「今日はいつもより体が重いな」とか体の声を聞くこともできます。
「自信がつく」、これは自分はマラソンは絶対無理だと思っていたのに、ちょっとウォーキング、ちょっとジョギングを始めた、そうしたら知らないうちにフルマラソン走れた、完走できたんだーってね、自分が絶対できないと思っていたのに完走することができたということで自信がつく人が非常に多いです。女性は特にそうですね。自信がついて、今までは引っ込み思案だった人が、自分から前に出て行けるようになる人が多いですね。
「仲間ができる」、自分の職場と家との往復だけだったら人間関係もなかなか広がりません。ランニングを通していろいろな仲間たちと知り合うことができますよね。
そして「距離感がつく」。ふだん運動されていないと1㎞がどのくらいの距離かほとんどわからなかったりしますよね。でも、自分で走り始め42㎞走れるようになった。そうしたら、ここから大阪だと走って行ける距離なんだ、とか自分で距離感がつくようになります。自分の行動範囲がより広がるのではないのかなと思います。

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足腰は第2の心臓です。
人は鍛えれば鍛えるほど強くなるのです。

足腰は第2の心臓と言われているくらい大事です。足腰がダメになってしまったら、きびしいですね。だから運動はやった方がいいと思うんです。1日24時間のうちの30分だけでもいいんです。それをすることによって自分の体が、もっと代謝がよくなり、前向きな気持ちになれたりすると思うんです。私は歩いたり走ったりして前にしか行かないので、気持ちもより前向きになるんじゃないのかなと思います。あとたくさん食べてたくさん走る、体の中の代謝もそうなんですけれども、精神的な代謝もよくなるんじゃないかなと思うんですよ。
例えば、24度の部屋にいても苦しくもつらくもないですよね。そういう体になってしまいますよ。でも外に出て、「わー、今日はこんなに冷たい風なんだー」「今日はこんな暑いんだな」という中で、吸ったり吐いたりするだけで、体の中から免疫力が向上できるのではないかなあと思います。あとは、運動すると心拍数が高くなります。走ると160拍とかになります。今まで滞っていた血液が急に流れるようになるので、肩こりや腰痛がなくなったり、体がより正常に動き出すのではないかと思います。
人間は鍛えれば鍛えるほど絶対強くなるんです。女優の森 みつこさんは毎日のようにヒンズースクワットを160回くらいされていたそうです。これを毎日やっている人とまったくやらない人、どんどん差がついていってしまいますよね。年齢を重ねていくと、体力、筋力の衰えは、自分でなんとかしようと思わない限り、どんどん衰えていってしまいます。でつらくなる、歩けなくなる、そうすると外へ行きたくなくなってしまう、どんどん負の連鎖が始まってしまいます。それで食べる、寝る、食べる、寝る、テレビ見る……体がどんどん大きくなり、しかも足腰に負担がかかり、筋力が低下してしまいます。だからもっともっとわがままになっていってしまう。でも外に出たらどうでしょう。「風が気持ちいい」とか、そういうことを感じることで体が元気になると思います。食べられる人っていう人は比較的元気です。でも食べてばかりじゃだめなんですよ。

「シューズ選び」
病院にお金をつぎ込むなら、その前に予防ですよね、病気をしない体つくりをしていただいた方が、人生が楽しくなると思うんです。病気になってからでは遅いです。どういうシューズを選んだらいいかと言いますと、夕方の時間帯に実際に足を入れてみます。そしてつま先の方に足を寄せておいて、かかとに指が1本入るくらい、ちょっと大きめのサイズを選んでください。そしてソウル部分が厚いものを選んでください。薄いものですと衝撃が大きくなります。

どういうふうに歩いたり走ったりしたらいいのかをご紹介します。
まずいちばんのポイントは、速く走ったり速く歩いたりするのはどういうことかというと、自分の体重移動をいかに速くするかということ。みなさんの足はどこから?というと、だいたいはこの付け根からが足ということになります。極端に言うと、足が出て、上半身は後付けになっているんですね。上半身は遅れながら移動しているということなんですよ。意識しないで歩くと、こうやって歩いています(谷川さん、実際に歩いてみせてくださる)。 今度はみぞおちから下が足だとイメージしてください。今度は骨盤からぐっと出しながら歩いてみます(谷川さん、実際に歩いてみせてくださる)。
どうですか? そうなんです。足が一瞬のうちに長くなったんです。骨盤から足を出すことによって、上半身の移動が早くなるんです。みなさん、これからはみぞおちから下が全部足だと思って歩いてください。そうすると、腰を曲げることができないので、姿勢をまっすぐ保つことができます。

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骨盤からぐっと出す、この動きをトレーニングとしてやる時は、座っておしり歩きをしてみてください(谷川さん、実際にやってみせてくださる)。骨盤から足を動かすという動きを、前にも後ろにもやってみてください。やってもらうと,体幹に刺激がいきます。これで骨盤から足を動かすという動きがスムーズになります。体幹って、すごく大事で、足を上げる時も太ももとふくらはぎの筋肉だけではなく、体の中をもっと筋力アップすることで足も上がりやすくなります。年齢を重ねると何にもないのにつまずく人はいますよね。足が上がっていないからつまずくんです。足を上げるには体幹が強くないと引きずったような歩き方になりますので、おしり歩きをぜひやってみてください。
あとは、ウォーキングだけなく、ちょっと小走りしてみてください。ウォーキングはそんなに足に負担がないんです。走るというのはジャンプしている時間がある、両足が設置していない時間があるのがランニングです。走るとその衝撃は、体重の3倍くらいあるんです。その衝撃が足腰にかかりますので、強化されやすいんです。あと消費エネルギーももちろん大きいです。目安としては、体重60kgの人が、1㎞走りました。そうすると60kcalの消費になるんです。2㎞走ると120kcalの消費と思ってください。走る方が消費も大きいですよね。最初の3分はゆっくり歩く、次の3分はものすごい速さで歩く、強弱を付けてあげて、次にランニングをした方がいいと思います。いきなり走り出してしまうと、まあ、いろいろな負荷がかかりますから、ちょっとずつやる。最終的には小1時間くらいゆっくり走り続けることができたら、ぎりぎりフル東京マラソン、神戸マラソンぎりぎり完走できるかなと思います。

筋トレもご紹介します。座って、前ももの筋肉を意識してまっすぐのばした足を上げる。これを15回、両足3~5セット。前ももの筋肉を意識しながら上げるのがポイントです。テレビを見ながらでも、してみてください。そのほか、ひざの下にバスタオルを入れて、下にぎゅーっと押し付ける、ぎゅっと押さえる力が筋肉の強化になります。自分の部屋で簡単にできる動きですから、ぜひやってみてください。

「フォーム」
まず目線は、自分の身長の1,5倍くらいの前の路面。走っている時、自分の身長の目線の遠くを見ている人がいますが、それはダメなんです。なんでダメかと言うと、あまりにも視界が見え過ぎちゃうんんです。「えー。あの坂も登るの?」と思うと、35㎞過ぎはかなり精神的にも参ってしまいます。でも、自分の身長の1,5倍くらいの前の路面だと視界も狭くなります。集中力も高まります。あとは、リズムも刻みやすくなります。走っている時はリズムも必要ですから。次に腕ふり。手はたまごを軽く握っているような感じ、親指は中に入れないで外に出して、90度くらいにしてまっすぐ後ろに引くと言う感じです。足は骨盤から出すというのは基本なのですが、かかとから着く母指球に体重を載せる走り方が大人の方にはおすすめです。つま先だけで走る方が速く走れます。路面に対して、かかとを着かない、着いたと同時に地面を蹴っているんです。だから設置時間が非常に短いので、速く走れます。でも、みなさんがその走りをすると、ふくらはぎがパンパンになります。脚筋持久力がないと継続するのはむずかしいと思います。なので、みなさんはかかとから着いて母指球に体重を載せていくという走り方をおすすめします。でも、子どもには「かかとをつけないで走りなさい」と言った方が速く走れるようになります。子どもは柔軟な体をしているので、そういう走りに慣れていくともっと速く走れるようになるのではないかと思います。
いずれにしても、継続することが大事だと思います。自分でやろうという気持ちです。自分の気持ちをもって、挑戦することが大事なんじゃないかなと思います。みなさん、体が元気ということは人生の充実につながると思いますので、ぜひ、挑戦してみてはいかがでしょうか。
私からの言葉のプレゼントをしたいと思います。「忍耐は苦しい けれどもその実は甘い」どうもありがとうございました。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
谷川さんのようなトップランナーでも体のコンディションが悪いレースがあったと思います。そういう場合、何か工夫されたことはありますか? 強い精神力で乗り切られたのでしょうか?

谷川さん:
生身の体ですから、体調の悪い時も当然あります。フルマラソンの場合、非常に長いので、当然最初はゆっくり走ります、だんだんペースを上げるという感じの走りと、あとは、精神力で乗り切るという……これは大きいですよね。「病は気から」という言葉もあるように、精神力って大きいと思います。サッカー選手が、一所懸命ゲームをやって、実は骨折していたとか、「痛かったんだけど、最後までがんばってやった」、それは多分精神力でカバーしているんです。
例えば、走っている時にお腹が痛くなりました。どうするんだ。その場合は、私は鼻で吸って口で吐くみたいな、腹式呼吸をすると、特に横隔膜の痙攣による腹痛の場合にはよいと言われたりします。血流が悪くなって腹痛が起きたりしやすいんですよね。もちろん消化不良だったりもありますが、そういった時は腹式呼吸を何度も何度もやって、腹部の血流がよくなるように酸素を送り込んであげるんです。あとひとつ、腹痛が起きた、で、腹式呼吸をするんだけれど、そういうことを感じなくなるくらい集中して走ることです。「自分はなんのために走っているのか、この日のために練習してきて、ここでがんばっている、だからこの痛みなんか、関係ない!」ってくらい、集中することです。自分の気持ちです。

お客さま:
ひとりでの練習が多い、目標の設定がまずいのか自己満足で自分に負荷をかけることを怖がっています。何かアドバイスをいただけますか。

谷川さん:
人それぞれの楽しみ方があると思うんです。私の場合、これからは自己ベスト記録を出すのは極めてむずかしいので、何㎞を完走できたということが喜びにつながっていくんじゃないかなと思います。
私の経験からすると毎日同じペースで走っていても速くはなりません。最初の10分はゆっくり、次の5分~10分は速い動きをするとか、強弱をつけたり、だんだんペースを速めていったり……。強い負荷をかけると苦しいですよ、でもそれは慣れなんですよ。でもフルマラソンをしている人なら余裕をもって5分、10分のペースを刻んでいくことができるようになります。それはスピードがあるから。余裕を持って刻めるようになるんです。自分の目標がまずいからか? とおっしゃいますが、目標はあった方が良いんです、どういうトレーニングをして大会にのぞむかだと思います。

お客さま:
来年2月の東京マラソンで、幸運にも息子が走ります。親として無事完走してほしいと期待しています。初マラソンなので、何かアドバイスをしていただけるとうれしいです。

谷川さん:
いちばんはペース配分、これがとても大事です。マラソンはいつでも我慢なんです。スタートした時、テンションが高いのでペースが早くなるんです。「やっとこの日がやってきた」と思って、最初は速く走ってします、ここが問題です。速く走りたい気持ちを我慢するんです。今度、30㎞以降は止まりたいんです、ペースも落としたいんです。でも、ここでいかに我慢するかなんです。だから、頭を使って、走ってください。30㎞までがすごく長いウォーミングアップだという位置ずけなんです。残りの12,195㎞が本当のマラソンだと思って臨んでください。30㎞までいかに省エネ走行で走るか、です。エネルギーをいかに残しておくかです。みんな行けるところまで行って、25㎞くらいでチーン……となるんです。ペース配分をしっかりしてください。あとは、30㎞以降は自分との戦いになりますから、その地点になる前に、20㎞くらいで給水します。あと肩回しをしたり、肩の脱力とかやってあげる、あと腹式呼吸をする、そうすることによって血流がよくなって、後半まで若干引っ張りやすくなります。だんだん呼吸も浅くなってきますし、だんだん惰性で走るようになってくるので、ペースもどんどん落ちてきてしまうんですね。そこで気分転換のために脳に酸素を送ってあげるんです。脳から指令が行って、足や手が動くんです。なので、脳を寝かせないようにするために、ゼリーとかエネルギー補給も大事です。
あと、ふだんは自分の走っている時の息づかいや流れる景色がどうなのかということを感じながら走る。あとは、ターゲットを見つける、例えば「あのピンクの女性をしとめる」とか、「あの黄色い男子をしとめる」とか目標を決めて走ってもらうとがんばりやすいと思います。息子さん、ご検討をお祈りしています。

お客さま:
練習の時、気分がのらない時、モチベーションを上がらない時の克服法を教えてください。

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谷川さん:
自分が好きな音楽を聞くとか、いつもと違う場所を走ってみるとか。いつも同じコースだと飽きます。違うコースを走ることによって新しい発見があったりしますので、脳の活性化になります。1日24時間の間で、苦しい時間はつながらない、ほんのわずかなんです。たとえば1000メートルのインターバルを今日は5本やるということになれば、1000メートルを走る中で本当に苦しいのは最後の200メートル、1分なんです。それが5本なんで5分。その他の時間はご飯を食べたり、テレビを見たり、寝ている時間が圧倒的に多いです。じゃあ、どうしてこの5分は耐えられないのか? でも、そのたった5分を積み重ねることによって自分の目標に近づけるのではないかと思って私はやっていました。また、世界を見渡した時、自分はしあわせですよね、こういうふうに走ることに挑戦できるというのが。世界には戦争や災害で今の瞬間も大変な思いをしている人がたくさんいます。そういう人たちのことを思うと5分なんてわずかなことじゃないか、だいたいそこにつながっていくような気がします。

お客さま:
昨年くらいからバリバリ練習しています。第2の谷川 真理さんになるにはどうしたらいいですか? もう32歳です。

谷川さん:
それは、バリバリやるしかないですね。あとは一緒に走る仲間とか。と言いながら、私はひとりでやってたんですよ。いつも思っていたのですが、最大のライバルは自分自身なんです。例えば、隣の人はいい記録持ってるとか思いながら走るじゃないですか。それを思うだけでエネルギーを消費しちゃうと思うんです。プレッシャーのあまり、違うストレスが発生するんです、仕事の場合でも同じで自分と戦えばいいのに人と戦ってしまうんです。自分が最大のライバルで自分にいかに勝つかということを競争していたらより継続しやすいと思うんです。
自分自身ですよね、いかに自分を見つめてやるか。それには目標がとても大事です。私のように「シドニーに行きたい!」とか。いかに思い続けて、トレーニングを積み重ねるかが大事です。

お客さま:
マラソンの呼吸は、息を吐く方が吸うより多い方がよいと本で読んだことがあります。それでいいでしょうか?

谷川さん:
吐く、すごく大事です。呼吸って苦しくなるとどうしても早くなります。そうするといい酸素が入ってこないんです。しっかり吐くことによって吸えるようになるんです。だからしっかり吐いてください。ほとんど口呼吸です。鼻ではたまにしかしないです。なぜかと言うと、口の方がたくさん吸えて、たくさん吐けるんです。

フェリシモ:
最後に谷川さんにとってマラソンとは何なのか。メッセージをお願いします。

谷川さん:
マラソンとは、自分の人生がより充実できる手段ではないかと思います。

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Profile

谷川 真理(たにがわ まり)さん<マラソンランナー>

谷川 真理(たにがわ まり)さん
<マラソンランナー>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
24歳でマラソンを始め、1991年東京国際女子マラソン、1992年ゴールドコーストマラソン、1994年札幌国際ハーフマラソン、パリ国際マラソンで優勝。(1994年パリ国際マラソンでは大会新記録で優勝)
1992年に東京都都民文化栄誉賞、朝日スポーツ賞を受賞。マラソンランナーとして走り続け、1年に30本以上の大会に出場し2007年第1回東京マラソンでは2位に入賞。ライフワークはマラソンの楽しさを伝えること。「市民ランナーの星」としても親しまれている。また「地雷ではなく花をください」をテーマに2000年から谷川真理ハーフマラソン大会を開催し、毎年1万人のランナーが参加している。パキスタンやスーダンなど地雷の視察、また地雷の被害にあった子どもたちへのランニング指導、2009年にはコロンビアで地雷廃絶国際会議のスピーチを行うなど、マラソンを通じた地雷撤去活動のその功績が認められ、2009年、外務大臣表彰を受賞。「NPO法人難民を助ける会」理事も務めている。流通経済大学客員教授。

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