神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 大畑 大介さん(元ラグビー日本代表・ラグビーワールドカップ2019アンバサダー)
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「自分を信じよう!~根拠はおのずとついてくる」



<第1部>

フェリシモ:
最初に大畑 大介さんのご活躍を映像でご覧いただきます。

(映像)

フェリシモ:
さっそくですが、大畑さんのポジションはどこになりますか?

大畑さん:
いちばん端っこのウイングです。サッカーでいうところのフォワード。最後に得点を決めるポジションです。ラグビーの場合は、前に進んでいかなきゃいけない中、ボールは後ろにつないでいかなきゃいけない。ラグビーって自己犠牲のスポーツなんです。自分の体を張って得たボールを隣の人間に託す。僕らは託されたボールを持って前に走る。より責任感が伴ってくる競技でもあります。自分はしんどい思いをして体を張ってボールをとって来たのにも関わらず、信用していない人にボール渡して、中途半端なプレイをされたら……。チームの中の意識にも関わること。最後にボールを託されるということは、チームの中でしっかりとしたパフォーマンス、もしくは、人間として認められたということ。と言うと、僕は世界記録を持っているので、世界一認められた男かなと思います(笑)。

フェリシモ:
映像の中にトライ数69という世界記録の話が出ました。素晴らしい記録ですね。

大畑さん:
はい。でも、自分の中では、あまり意識していなかったんです。世界記録ってとんでもない数だと思っていたので。ラスト10個くらいになってから、「あ、世界記録に近かってんや」と気づいて、狙いに行きました。やっぱり、2位とか3位とかではおもしろくないじゃないですか。1番が大好きですね!

フェリシモ:
ラグビー選手には体が大きな人も小さな人もいらっしゃいますね。

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大畑さん:
ラグビー選手には、体の大きな選手もいれば小さな選手もいます。運動能力も総合的に高い人もいれば、力が強い選手もいます。本当にバラバラです。適材適所でそれぞれが自分たちの仕事を全うしながら、お互いにいいところ悪いところを補い合ったり、高め合ったりするのがラグビーのよさです。僕の中ではラグビーは社会の縮図だと常に思っています。そこの中でそれぞれがひとりひとりの能力を発揮する、能力の長けた集団だと思います。

フェリシモ:
チームプレイを強調されるスポーツなんですね。

大畑さん:
そうなんです。でも、僕、団体行動苦手です。すごい人見知りですし……。

(会場:笑)

みなさん笑うとこ違いますよ(笑)。

フェリシモ:
大きな体の選手のポジションって決まってくるのですか?

大畑さん:
体を張って前線でボールをキープしてもらうのには、やはり体の大きな選手の方が有利です。ラグビーをしている人間=体が大きいというイメージを持たれるので、僕の場合は、実際会ったら結構小さいって言われることが多くて……。テンションを上げたい試合前に、観に来ている子どもたちに「あ、大畑や、ちっちゃ」って言われるんですよ。試合前のテンション上げたい時に言われるこのつらさ……(苦笑)。

フェリシモ:
ラグビーは子どもから始める方が多いんですか?

大畑さん:
大阪や兵庫県などスクールがあるところは小学生から始めるところもありますが、地方なら高校から始めるのが一般的です。

フェリシモ:
ラグビー全体の競技人口はどれくらいですか?

大畑さん:
男子の場合は世界的にも多いです。僕はいま女子チームをつくっているんですけど、女子はまだまです。来年度、1チームが動けるようになるので、そこから動き出そうと思っています。

フェリシモ:
ラグビーの女子チームはたくさんあるんですか?

大畑さん:
全然ないんです。女子チームの普及が僕の役割だと思っています。でも結構注目されてきています。

フェリシモ:
女子の選手を集めるということですが、経験者はなかなか少ないのでは?

大畑さん:
いまは陸上選手とかに声をかけたりしています。現役時代は人に頭を下げたくなくて、ラグビーをしていたんですよ。トップになれば、みんな頭を下げてくれると思っていたんでがんばろうと……。でも、引退して、こんなに自分が頭を下げるとは思ってもみませんでした(苦笑)。

フェリシモ:
引退後、社会に出ていかがですか?

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大畑さん:
社会人になって3年なんですけど、見たことのないものがこんなにいっぱいあるんだと、すごく新鮮です。ラグビーを続けていることは居心地がよかったんです。緊張感を持って自分の成長にずっとずっと向き合いながらチャレンジしていたところが、キャリアを積んで認めてもらって、居心地よくて、それが自分の中で怖くなって……。成長速度が止まっている自分がいる、というのを感じて、ラグビーをすごく突き詰めてきたけれど、大畑 大介の人生=ラグビーでもなかったし、大畑 大介をすごく伸ばすものを考えたら、この居心地のいいところから卒業しなければダメなんだなと思ったので、だからラグビーを辞めようと思いました。

フェリシモ:
そもそも大畑さんがラグビーを始めたきっかけは?

大畑さん:
野球が嫌いだったんです。僕は大阪で生まれ育ったんですが、大阪の小学校は、生徒も先生もみんな野球好き、みんなタイガースファンなんです。それが、子ども心にすごく嫌だったんです。みんなと同じことをするのがすごく嫌だったんです。運動には自信があったので、野球じゃないことでみんなを振り向かせたろうと思い、それがラグビーでした。実は、親父が学生時代ラグビーをしていたので、ほかの子の家に野球のボールやサッカーボールがあるのと同じように、うちの家には楕円のボールがあったんです。どっちに転ぶかわからないようなボールに対して、「これおもしろいな」って感じていました。

フェリシモ:
実際にお父さまから教わったことはありますか?

大畑さん:
ないんです。僕は小さいころにラグビースクールに通って、ラグビーを覚えました。運動はできていましたが、泣き虫であかんたれな子どもだったんですよ。

フェリシモ:
イメージはガキ大将的な……。

大畑さん:
みんなにそう思われるんですが、全然違って。プールに入ったら泳げなくて泣いたり、すべり台の上から降りられないって泣いたりとか……。本当にあかんたれでした。すごく母が大好きで、離れたくなくて……。幼稚園も塀を乗り越えて、帰ってたんですよ。家に帰ると怒られるんで、電柱に隠れていました(笑)。

フェリシモ:
そんなシャイな男の子がラグビーをずっと続けると思っていました?

大畑さん:
もともと人とうまくつきあうのが苦手で、小学校でさえ、みんなと仲よくできなかった子がラグビーを習いに行くんです。ラグビーって団体スポーツじゃないですか。ラグビースクールには、幼稚園や小学校低学年から始めている子も多いので、そのみんなの輪に入れないんです。でも、いちばんはじめの練習の時に、グランドの端から端まで「よーいどん」で走ったんです。その時、僕が誰よりもいちばん速かったんです。その瞬間、みんなが僕に興味を持ってくれたんですよね。「あ、ラグビーしたら、こんなにみんな振り向いてくれるんだ」と思った瞬間でした。自分を表現する武器を手に入れた瞬間でもあったんですね。この武器をもっともっと大きくしていったら……と思い、ラグビーをやろうと思いました。子どもなので、ひとつの成功体験が大きな自信につながったんだと思います。いままでなりたくてなれなかった自分だったんです。本当は素直にみんなと仲よくなりたい、打ち解けたい、でもラグビーでグランドに足を踏み入れたら、自分がいままで我慢していたものが全部開放できるという感覚があったので、なりたい自分になるには、ラグビーだと……。自分にとってのヒーローが、ラグビーしている大畑 大介だったんです。そのくらいから、完全に別人格をつくろうと思いましたね。変な子ですよね。

フェリシモ:
高校時代はスーパースターと同じクラスだったとか……。

大畑さん:
現在のスーパースターでしょ? 昔は俺がいちばんだったから(笑)。ボストンレッドソックスに行った上原 浩治とニューヨークヤンキースに行っている建山 義紀ですよね。この2人とは1年1組のクラスメイトでした。

フェリシモ:
当時は誰がいちばんモテました?

大畑さん:
そんなん言わずとも知れてるでしょ。当時も今も俺や!

フェリシモ:
みなさん、すごく活躍されていますね。

大畑さん:
すごいですよね。高校1年の時、上原は正直そんなにたいしたプレイヤーじゃなくて、体だけ大きかったんです。ラグビー部もまだまだそれほど強いチームでもなかったので、「ちょっと大きなやつがほしいから、上原を誘って来い」と監督に言われたんです。で、誘ったんですけど、かたくなに野球を続ける子だったんで、あまり真剣に誘わなかったんです。あの時僕が真剣に誘って、上原がラグビー部に入っていたら、いまの上原は、世界一の上原じゃなかったんです。だからいまの上原 浩治をつくったのは、俺なんです。

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(会場:笑)

フェリシモ:
いまも親交はありますか?

大畑さん:
先日は一緒に仕事をしました。高校の時の建山もすごかったですよ。人が投げるボールがこんなに曲がるんだっていうのを見たのが彼が投げたボールでした。とんでもないボールを投げるなーと。こんな3人が同じクラスでした。

フェリシモ:
高校は、ラグビーの強い高校だったのですか?

大畑さん:
強くなかったんです。実は高校入学する時に、小学校の時にラグビーを始めて、本当に僕はラグビーの天才やと思ってたんですよ。ボール持ったら簡単にトライ取れるし、試合によってはインゴールまで行ってトライをプレゼントしてあげたりとか……。小学校の後半くらいから、成長期による足の痛みで全然走れなくなって、自分の武器がどんどん小さくなってきた時期で、いちばん多感な時期に、自分の武器がいちばん小さくて。でもラグビーを辞めなかったのは、ラグビーから離れることが自分の武器がなくなることだという恐怖心があったから……という程度の小学生だったんです。高校に入学する時も、自分の中でひとつのものを突き詰めることが重要だと思ったので、ラグビーをやり切ろうと、20年間やろうと決めました。
その時、進学するにあたっても強豪校で大勢の選手のうちのひとりになるよりも、これからチームが強くなるであろう、そしてそこに入って自分自身が成長したことによって、プラスになるチームに行きたいという思いがありました。で、当時、大阪では5、6番手、全国大会には行ったことのない高校に進学したんです。

フェリシモ:
中学生のころからビジョンは見えていたんですね。

大畑さん:
しっかり人生設計を描けないといけないと思って……。夢だけ追いかけても意味がないと考えてやっていました。

フェリシモ:
高校の時はそうとう努力したのでは?

大畑さん:
しましたね。地区の代表にも入っていない高校でしたので、選手として試合に出るにはどうしたらいいかを考えた時に、みんなと同じ練習量だと追いつかないと思ったので、猛練習するしかない。「みんなが帰ってから練習しよう」と思いました。みんなが帰ってからバーベル担いで、グランドじゅう歩きまわって、ひたすら筋トレ。それをずっとずっと繰り返していました。なりたい自分になるにはどうすればいいかを考えたんですよね。で、その時に思い浮かんだのが、ガキの時に誰よりも足の早い自分の姿。その姿が思い浮かぶということは、それに近づければいいんじゃないかと……。近づけるにはどうしたらいいのかと考えた時に、足を速くするには筋力をつけよう、脚力をつければ足が速くなるだろうと思ったので、とことんやりました。

フェリシモ:
タイムは速くなったのですか?

大畑さん:
高校入学した時が50m7秒0くらいだったんですけど、1年間やり続けて、5秒9まで行ったんです。学校でいちばん足が速かったんです。陸上部より足が速かったんです。

フェリシモ:
ラグビー人生、怪我との戦いじゃないですか。

大畑さん:
僕の場合、基本、自爆型なんです。人に怪我させられたことはほとんどないんですよ。自分の体に自分の体がついてこなかったんです。

フェリシモ:
大畑さんって常に高い目標を描いているように思うのですが……。

大畑さん:
まわりから見たら高いかもしれませんが、自分では、背伸びして届くか届かないかぐらいがいちばんいいかなという感じですね。

フェリシモ:
小さいころからそう思考されていたんですか?

大畑さん:
ラグビーを始めた時に、ラグビーをしている大畑 大介がヒーローだったんです。僕はまわりにどう思われても平気なんです。自分の思っているヒーローになるために自分でがんばっていただけ。ヒーローは常にこうであるべきだという思いが、自分の中にあるんです。その人間になるためにがんばって来ただけですよね。まわりからしてみたら、「なんで、そんなしんどいこと言うの?」「なんで、そんなしんどいことしてるの?」と言われるんですけど、僕にとっては違うんですよね。「俺じゃないもん」っていう感じなんです。理想の大畑 大介は別人格なんです。

フェリシモ:
それは誰の影響ですか?

大畑さん:
親かな? 親にはめちゃくちゃ感謝しています。僕の親は脱サラをして自営でパン屋をしていたので、子どものころから自立心というか、親には迷惑をかけてはいけないというような感覚で育ったんで、すべて自分で処理をするような子どもに育ちましたね。感情を表現するのがへたくそな子どもに育ったのかも知れません。

フェリシモ:
大畑さんのお父さん、お母さんはどんな方ですか?

大畑さん:
ちょっと変わった親だと思います。「勉強しろ」とか「ラグビーもっとがんばれ」とか言われたことないんですよ。言われていたのは「自分の責任を取れない行動をとるな」ということと、「AとBという選択肢があるならば、しんどい方を選べ」と。「そうすることによって、大きなものが得られるから」と言われていました。それを擦り込まれていたので、シンプルにそういったものに対して、当てはめていたということですね。

フェリシモ:
大学のころのお話をお伺いします。入学してどんどん活躍し、日本代表にもなりましたが、当時京都産業大学は強かったんですか?

大畑さん:
強かったですよ。入学する前は、ベスト4でした。僕が入学して1年の時はベスト4でした。でも、僕正直同志社大学に行きたかったんです。でも同志社大学から断られたんです。それで京都産業大学に決めたんです。そしたら、その後、同志社大学から「来てくれ」と言われたんです。僕からしてみれば、振られた女にまたつきあってくれって言われたみたいで……(苦笑)。「見返したんねん」みたいな感じですよね。

フェリシモ:
高校生のころから活躍されていた大畑さんですが、大学ではキャプテンもされていましたよね。チームづくりで気をつけていたことはありますか?

大畑さん:
基本的にキャプテンやったって言うのも、対外的に日本代表になった選手がキャプテンをすることが脅威になるかなということでやったんです。いままで上の代までは、先生が決めていたんですが、僕らの年は自分たちでチームをつくろう、自分たちでキャプテンを決めて、チームをつくっていこうと……。そうすると、責任感も出てくるだろうと。僕の場合は、チームを引っ張るとか協調性のある人間ではなかったのですが、でも、日本代表ということもあるので、存在感でチームを引っ張っていったろうと思いました。その中でも3つのことだけはぶれずにやっていこうかなと思ったんです。まずは、ぶれない目標設定をしっかりすること、それからキャプテンとしての存在感、太い芯になろうと。もうひとつはチームの一体化。この3つをやればチームがうまくいくんじゃないかなと思ってやっていました。

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目標は最低でもお正月を越えること。正月を越えるということは、トップ4ということ。家族みなさん含めてみんなに「最低限トップ4まで行きます。正月はラグビーで忙しくなりますんで、家族のみなさんスケジュールは入れないでください」と言っていました。はじめはなかなかみなさん信じてくれなかったんですけど、ずっと同じことを言い続けると、みんなの中で完成していくんですね。俺ら、大学のトップチームになるには何をしなければいけないのかをみんなが考え始めるんです。そうすると、それぞれの練習態度、ふだんの態度がどんどん変わって行くんです。そうなってくると試合に出られない選手も、チームのために何ができるのかをそれぞれ考え始めて、試合に出る選手は、出られない選手がこれだけチームのためにがんばってくれているのに中途半端な気持ちではダメだと……。どんどんどんどん、お互いにいい影響を及ぼして、チームが一体化していくんですよね。そうして、チームがひとつになっていましたね。

フェリシモ:
チームが同じ目標に向かってがんばるところは、社会につながる気がしますね。

大畑さん:
それぞれがそれぞれの役割を見つけることが重要。与えられたことだけやってればいいってもんじゃないと思うので、組織の中にいる以上は、役割ってあると思うんですよね。それに対して、まわりから見たら小さな仕事かもしれないけれど、本人にとってはすごく大きな役割もあると思うので、それに対してまわりの人間がともに感謝し合うことが重要だと思います。補い合う力ってすごく大きいと思います。1+1が2のチームより、1+1が2、いくつでもいいと思うんですが、そういうことがどんどんふくらんでいくことが組織が大きくなることだと思います。そういうことを意識していましたね。

フェリシモ:
それから神戸製鋼に入社。このころ、大畑 大介=ラグビーの星みたいになったんじゃないかと……。

大畑さん:
どうでしょう。テレビに出るようになってからイメージ変わりましたよね。「スポーツマンNo.1」の印象が強いので、あの辺以降ですよね。現役の大畑 大介よりもテレビの大畑 大介の方が印象が強かったかも。だから「まだラグビーしていたんですか?」と言われることが多かったです。

フェリシモ:
番組ではいろいろなスポーツ選手と競っていましたね。トレーニングは常日頃から?

大畑さん:
ラグビーの場合は、すべての能力が必要。走らなきゃいけないし、倒れて、起きて、重いものを持って……。人間の能力って、使うものは伸びていくんですよ。使わないと退化していくんですよね。だから、プロ野球選手なんて能力むちゃくちゃ高いですから。

フェリシモ:
相当ストイックにされていたんじゃないですか?

大畑さん:
いえ、全然。「努力」って重い言葉だと思っていたので。なりたい自分になるために何をするのかしか考えてなかったです。だから、僕は人と一緒には練習しないんです。人と一緒に練習すると甘えが出るんですよね。逃げ道をつくってします。自分のライバルは昨日の自分だと思っていたんで、昨日までできていたことがなぜ今日できないんだという、それが嫌だったんです。だからひとりでひたすら練習していました。あと、邪魔されるのが嫌いなんです。自分のルーティン、ローテーションが決まっているから、リズムが狂うのが嫌なんです。

フェリシモ:
トレーニングもキツいと思うのですが、なぜ諦めることなくできたのですか?

大畑さん:
自分のことが大好きだから。なりたい自分になるためにはやらなきゃいけないと思っていたんです。それだけです。自分に対する期待値が高かったんです。まわりは本当に気にしないようにしていたんですね。まわりと比べないようにしたんです。比べると心が焦ってしまうので、とにかく自分のペースを乱さないようにやっていました。

フェリシモ:
その後、ラグビーのワールドカップにも二度ご出場されたんですよね。実際に海外と日本のラグビーの違いってありますか?

大畑さん:
やっぱり根づいている部分が、文化として違いますね。特にそれはウェールズに行って、すごく感じました。ウェールズ大会のウェールズとの試合ということで言えば、ホームグランド、ホスト国と試合をしたのですが、朝起きてホテルの窓を開けたら、道が全部真っ赤っかなんです。ウェールズのユニフォームカラーのファンがいっぱいなんです。そんな中で、グランドに行ったら、7万人の観衆がほぼ全員ウェールズファン。そこで試合ができたということは貴重な体験でした。

フェリシモ:
ラグビーは世界的にもすごく人気のスポーツなんですよね?

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大畑さん:
そうですね。ラグビーワールドカップというのは、サッカーワールドカップ、夏のオリンピックに次ぐ人気のスポーツの3番目のイベントと言われているんです。それが、2019年日本に来るということもありますので、僕自身はそういった経験をしたことを、日本で戦う子どもたちが日本で開催されるワールドカップの舞台で戦った時に、多くのお客さまの前で試合させてあげたいなという思いはあります。

フェリシモ:
ラグビーワールドカップは、世界三大大会に入るということですが、それが日本で開催されるというのはすごいことなんですね。

大畑さん:
自分が出るわけではないんですけれど、先に生きた人間として、後に続いてくれる人に「ラグビーやっててよかったな」と思ってほしいと思います。

フェリシモ:
大会アンバサダーを務められるということですが、日本でのラグビー人気はどうですか?

大畑さん:
2016年オリンピック競技になったり2019年ワールドカップが開催されることを、まだまだ知らない方も多いので、僕自身が講演させていただいたり、お知らせすることが重要だと思っています。

フェリシモ:
大会楽しみですよね?

大畑さん:
少しでも受け入れてもらえるような環境をつくりたいと思います。日本ではまだ根づいていないようなラグビーが2019年に日本でうまくいけば、日本国内でスポーツが根づいた証明になるのではないかと思うんですよね。そうなれば、2020年オリンピックは,当然成功につながっていくと思うので、2019年は成功させなきゃいけないと思っています。

フェリシモ:
重大な役割ですね。

大畑さん:
がっつり背負っていきたいです。

フェリシモ:
会場はどちらですか?

大畑さん:
ワールドカップの会場は2015年に決まります。

フェリシモ:
何チームくらい来るんですか?

大畑さん:
20チームです。

フェリシモ:
大畑さんは実際に海外にも行かれましたが、海外の生活はいかがでしたか?

大畑さん:
いい意味でも悪い意味でも楽しかったです。試合に出られる経験も出られない経験もしましたから。

フェリシモ:
レベルアップのために海外に行かれたのですか?

大畑さん:
1999年、一度目のワールドカップに行って、自分の中では、全然力のない状態で行ったので、本当に通用しなくて……。だから自分の感覚は間違っていないんだなと思いました。中途半端な自分の自信で行ってみて、それが中途半端に成功したり、感覚がつかめていたなら、自分の中でのギャップがあったと思うんです。でも、浮わついた、力のない状態で、海外を経験してみて、力がなかったからこそ、のびしろがまだまだあるんだという気持ちになれました。そして2003年のワールドカップが自分にとっての集大成だという思いがあったので、2003年のワールドカップに対して100%自信を持って4年間過ごせるということを考えた時、何かを変えないと1999年と同じになるんじゃないかなと思いが生まれ、怖くなりました。それで「何を変えんねん」って考えた時に、てっとり早く変えれるものは環境かなと思い、海外に行きました。

フェリシモ:
怖くはなかったですか?

大畑さん:
そういった選択ができるうれしさがありました。物事って次のステージに行くためには何かを引きずっていてはダメだと思うんです。とにかく、誰も知らないところに行って、ゼロにリセットしたい。そこから何が積み上げられるかということしか考えていませんでした。

フェリシモ:
苦労されたことは?

大畑さん:
自分で望んで行ったので、苦労が自分にとってありがたかったです。ストレスがなければおもしろくないですし、答えの見えるものはやりたくないんですよ。答えの見えないものに対して、自分なりに答えを導いていく、答えをつくるのが自分の楽しみ。何も見えないものに対してチャレンジしていきたいという思いがありました。

フェリシモ:
日本にまた帰国され、トライの世界記録を目指されるのですが、世界記録はうれしかったですか?

大畑さん:
自分の中では、名刺を手に入れたくらいの感覚でした。でも、世界1位はとっておこうと思いました。この記録が取れる年は2006年だったんですが、この年はサッカーワールドカップの年なんです。だから、どんなに記録をつくってもサッカーワールドカップの期間に入ったら、勝てないと思ったんです。だからそれまでにやらないといけないんです。そうすると5月中にやらないとだめなんです。で、5月は14日が大阪で、そして母の日なんです。ここで、世界記録をつくったら、めっちゃいけると思って、各方面に「この日にやります」と宣言しました。で、記録達成して、世界記録をつくって、自分でも「すげーなって」思いました。試合後、ヒーローインタビュー的な感じで話をしながら、「母の日やし、おかんありがとー」って言ったら、音響が悪くて母には届いてなくて……(苦笑)。

フェリシモ:
2010年シーズン中に引退を決意されたということですが、怪我の影響が大きかったですか?

大畑さん:
いえ。怪我していなかったら、もっと早く辞めていました。2007年に辞めていました。2006年にキャプテンをして、自分の中では2003年ワールドカップが最後だと思っていたのですが、時間が経つにつれて、やっぱり勝てなかったことが悔しくて。まだチャレンジできるポジションにいる中、自分の中に残っていたものを2007年ワールドカップの舞台でしか返せない、という思いがあったんです。やっぱり2007年ワールドカップに出てなんとか日本の勝利のために貢献して終わりたいという思いがあって。正直もう体はボロボロだったんですよ。もう歩くのもつらくて……。座薬入れて、薬飲んで、試合してっていう日々が続いて、時には全然眠れないんですよ。肩もだめで、もう横になったら肩が離れていくみたいな……。それでもそんな素振りは見せずに試合はしていたんです。
自分の中で現役を長く続ける思いがなかった中で、でもやることだけはやろうと思っていた時、1月にアキレス腱を切って……。そこで寂しい出来事があったんです。それは、アキレス腱を切って家に帰った時に、親父に「こんなスポーツに出会わせてしまって悪かった」と言われたんです。家族は知っていたんです。歩けない息子、娘も抱っこできない息子、でも試合になったら平気な顔をして走り回っているというのを見て来た中で、最後の舞台に立てないかも知れない大きな怪我をしてしまった……。なぜ我が子にこんな重い十字架を背負わせてしまったんだろうと思ったみたいで、その言葉が出ちゃったんでしょうね。すごくつらくて……。

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大畑 大介がラグビーをすることによって、僕を見に来てくれたことによって、少しでも元気になってもらいたいという気持ちでプレイしてきた中、いちばん近くていちばん喜んでほしい人にいちばん悲しい思いをさせている……。これは絶対復帰しないとあかんと思い、それから、これまでにないくらいリハビリがんばりました。でも、ワールドカップの2週間前に、また別のアキレス腱を切ってしまい……。さすがにその時は泣きました。自分の中でもどうしたらいいかわからなくて……。
もう前に向ける要素が一切ないんです。目標がなくて、泣いて泣いてもう前に向けない、考えもつかないって考えた時に、建山から軽いメールが届いたんです。「お前日本ですごい騒ぎになってるぞ」って。僕は犬死にじゃなかったなと思いました。僕が怪我したことでも、ラグビーの宣伝ができたなって思いました、建山がポンって言ってくれたことがすごくうれしかったです。その時、自分はどんな形であれ、何か世の中にいろいろな影響を与えることができるんだなって感じたんですね。その時に、アキレス腱切ったのは、自分にとって大きな怪我かも知れない、アスリートにとってはすごく大きな怪我かも知れないけれど、世の中にも対人関係の怪我だったり、業務上のいろいろな怪我があると思います。問題、いろいろな思いを抱えている方がいると思うんです。それが、僕みたいにわかりやすく、グランドでぼろぼろの状態かも知れないけれど、前を向いてグランドに立つことができれば、誰かに何かメッセージを送ることができるんじゃないかと思ったんです。それで、とにかく戻ろう。戻ってから引退することは考えようと思ったんです。戻って、それからはその時その時のテーマをつくりながらやってきて、2010年のシーズンが自分にとっての最後の舞台かなと思い、引退を宣言しました。

フェリシモ:
ファンは悲しまれたのでは?

大畑さん:
自分ができることは何かなと考えた時に、いっぱい怪我してきたし、だらだらどこまでもプレイするんじゃないかと思われるのも嫌だった中で、「最後に、一緒にカウントダウンしてください」という意味も込めて、辞めるならば、1回くらいみんな観に来てくれるかなって思ったんです。先に宣言すれば、ふだんのシーズンよりも大畑 大介を観に来てくれる人が少しでも増えてくれるかなと思ったので、だから引退キャンペーンをしようと思いました。

フェリシモ:
シーズンの前に引退を宣言されたのですか?

大畑さん:
シーズン前です。仲のよい新聞記者と相談をして2010年8月にやったんですけど、一面で発表するという約束をしていたので、逆算して、いつがいちばんいいかを考えてました。集客がひとつのターゲットだったので、試合の1、2日前だと来られない人も多いだろうし、週末に情報を流してもよくない、それで1週間前の火曜の朝一に発表しようと練りました。新聞掲載前日は、遠足前の子どもみたいに眠れなくて……。ドキドキして、翌日テレビをつけて見たら「サッカー日本代表ザッケローニ就任」みたいな……(笑)。

フェリシモ:
引退してからの生活は変わりましたか?

大畑さん:
変わりましたね。さきほども言ったように、頭下げたくない性格だったのに、頭下げるようになり、びっくりしていますし……。いまは、新しいことが、いろいろできたりとか、自分の扉、引き出しがいっぱいあるんだなと実感しています。

フェリシモ:
引退後は、ラグビーを通じての人材育成とか、講演会、ラグビーの普及活動をされていると伺ったんですが、阪神淡路大震災のメモリアル月ということで……。

大畑さん:
東北の方に3月にも行かせていただきます。僕は、阪神淡路大震災が起きた3年後に神戸製鋼に入社しました。僕たちは、まだまだすべてができあがっていない状況の中、チームに入らせてもらい、少しでもみなさんの元気、勇気につながったらいいなという気持ちでラグビーをしてきました。僕たちがプレイするだけで、本当に街のみなさんが元気になって喜んでくれたんですよね。その元気になる姿、喜んでくれる姿を見て、僕らはもっともっとがんばらなあかんみたいな……。一方通行じゃないなって感じたんですよ。物事ってお互いそれぞれが持ち合ってこそ、いろいろな意味での大きなエネルギーが生まれるんだなって感じたんですね。それって結局、お互いが忘れないことが重要であったり、気持ちを持ち続けることが重要かなと思ったので、東日本大震災でも、できることを少しずつするのが重要だと感じています。神戸製鋼でラグビーをさせてもらったことは自分にとって大きな経験でしたね。

フェリシモ:
現在の活動は? 実際に子どもさんに指導されたりしているのですか?

大畑さん:
子どもたちとは、いまは一緒に遊んでいる段階ですね。昔は比率で言えば、楽しいことは限りなく少なかったと思います。いまは時代も変わってきていて、楽しい体験が、自分自身を向上させようかとか、まわりの人間を巻き込もうとかにつながっていくと思うので、技術うんぬんではなく、純粋にボールを持って走る楽しさを一緒になって遊んであげるのがいいのかなって思っています。グランドって楽しいんだなということが伝わればいいなと思います。それがラグビーの普及につながるのかなって思います。いちばん大切なのは子どもたちの笑顔だと思います。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
自分で目標を設定してなりたい自分に近づく努力をされていると思うのですが、自分の長所をさらに伸ばすことを意識していますか? それとも短所を克服しようと意識していますか?

大畑さん:
基本的には長所を伸ばしていこうかなという感覚を持ちながらなんですけれど、高校生の時の話ですが、僕、日本代表に選ばれたんですが、実は最終の段階で一度落とされているんです。一度落選して、遠征直前に怪我人が出て繰り上げという形で、代表に入りました。遠征に行く前の壮行会でみんなでごはんを食べたんです。その時にある先生に「君がなぜまず落ちたのかわかるか?」と聞かれて、「僕に力がないからですよね」って答えたら、先生が「君の力は評価したけれど、体が小さいからはずした」って言われたんです。すごくショックで、体が急に大きくなるわけもないし、何よりも体が小さい人間は上のステージには行けないのか……。ラグビーをする資格がないと言われたような気持ちにもなったんですけど、その時に、ふと思ったのが、自分のラグビーの能力を評価してくれた、それが自分の長所であって、体が小さいことが短所である。バランスで言うと、長所より短所の方が大きかったので、落選した。それがやはり、短所よりも長所が大きかったら、そんなことも言われずにしっかりと代表に選ばれているんじゃないかなと。その時に、中途半端な短所、長所含めて、どちらも中途半端な状態の中で、自分の足らない部分を隠すようなことをしたとしても、自分の力は伸びるわけでもなく、それよりも今のバランスでいう大きな短所、小さな長所をどんどん伸ばすことによって、大きな短所を小さな短所に見せることができれば、やはりそれは当然のごとく大きな長所を伸ばすことによって、すべてのことが補えると思ったので、それから自分の力のバランスを客観視しながら、伸び率、伸びるスピードを含めて、短所を頭に置きながら、長所を伸ばしていきました。

お客さま:
今後の夢はなんですか?

大畑さん:
いくつになっても何かをしたいと思える自分でいることが自分の目標かな。具体的に何がしたいってことはまったくないんですけど、何となく、いつまでも「あほやな」って思えるような、まわりからも「こいつあほちゃうか」と思われるような存在でいたいなと思います。あと当然、過去の財産をどこかで食べながら、行きていかないといけないと思うんですけど、それって所詮過去の財産。でも過去の財産を大きくするのか小さくするのかというのも、現在の自分自身にかかってくると思うので、何年かしてから「この人実はラグビーの人だったんだ」と思われるような人として生きていきたいなって思っています。なるべく過去の財産は過去の財産として置いておいて、あとはそれに対して付加価値をつけられるような人生を送っていきたいです。

お客さま:
2019年のワールドカップはどんな大会になってほしいですか? また、一般の方々にこんなことに協力してほしいということはありますか?

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大畑さん:
そうですね。少しでもラグビーに興味を持っていただけたら、段階を踏んで興味を持ってもらえたらいいかなって思います。常に言っているのが、みんなが当事者意識を持ってくれればすごくおもしろくなるんじゃないかと……。参加していく意識、ワールドカップが来るから観に行こうっていうのではなくて、ワールドカップが来た時に自分自身何ができるかとか、その時の思い出とワールドカップがうまくリンクしていければいいのかなって思います。ただ単に通り過ぎた中で、あの時ああいう大会があったなあというだけじゃなく、自分自身が何か当事者意識を持って、やることによって、思い出の中の1ページがラグビーワールドカップで思い出をつくってもらえるような大会になっていければいいのかなと思いますね。僕自身は、少しでも、頭の片隅にラグビーのワールドカップをみなさんの頭の片隅に入れてもらえるような活動をしていきたいなと思います。

お客さま:
いろいろなスポーツ選手と交流があると思いますが、スペーツ別に人間のタイプ、性格の特徴はありますか?

大畑さん:
あります。スポーツ別っていうか……、トップを取った奴は、まあ変なやつが多いです。自分のことが大好きです。

お客さま:
特に仲のいい選手はいますか?

大畑さん:
いちばん尊敬しているのは、柔道の野村 忠宏さん。オリンピック3連覇、現在も現役を続けている、あの人はすごいな。あれだけの結果を残しておきながら、可能性を求めてチャレンジする意識、どん欲に追い求めて、高みを目指して行く姿勢っていうのは、本当に尊敬します。あの人には、弱音を言ってしまう自分がいます。

お客さま:
怪我した時のモチベーションの維持の仕方はありますか?

大畑さん:
もともと怪我が多かったというところも含めてそうなんですけれど、怪我って、今現在あるところのマイナス。マイナスのところからゼロに戻すのって、常に心の中は不安の状態だと思うんですね。今現在うまくいってなかったら。過去のことってすごく大きくイメージしてしまうんですね。以前の自分っていうのが、どんどんかけ離れていってしまっているので、戻っているのに戻っていないような錯覚に陥ったり。だから僕の場合は、怪我をした瞬間をゼロにします。ゼロにすることによって、すべて積み上げていくということになるので、そうなっていくとすごく心が楽になります。焦りがいちばんの禁物です。物事の捉え方を少し変えるだけで、全然心の状態も変わってくると思います。やっぱり心っていうのは、重要だと思います。

お客さま:
あれだけの記録を残されながらも、怪我以外のスランプもあったと思います。スランプになった時、どういう形で切り抜けていらっしゃいましたか?

大畑さん:
スランプって、自分の中での期待の裏返しだと思うんですよね。自分ができるだろうと思ったことができなかったりすると、スランプになります。それって、自分に対するのびしろがまだまだあるという思いがあるので、乗り越えたらさらに大きな高い位置から見渡せるんじゃないかということも含めて言うと、自分にとってはチャレンジできる山がひとつできたなという感じ。だから、そういうものに対して、「来い!」って思っていました。物事ってなんでも簡単にできてしまうとおもしろくないと思うんです。今現在できていたことができないというのは、当然僕たちの場合はあります。単純に記録に挑戦する競技ではないので、いろいろな捉え方ができると思います。自分がよかった分、相手からプレッシャーを受けることによって、できていたことができなくなる、それもスランプと捉えるかどうかにしても……。何よりもスランプというのは、結果残した人間にしか言われないですし、自分自身ができていたからこそ言われることであって、だからどんどん、それを乗り越えたらさらに自分の持っているものがさらに伸びると思ってやっていました。だから、さまざまなストレス、スランプは自分ののびしろだと思ってやっていました。

お客さま:
横浜で女子校をやっています。最近の女の子は、自信のない子が多いなっていうことを日々実感しています。実際に大畑さんがラグビーをしている女の子をごらんになって、みんながみんな自信がある子じゃないと思うんですが、その自信のない子に自信を持たせるために心がけていることが、もしあればぜひお聞かせください。

大畑さん:
実は女子チームはつくってる方で、指導はしていないんです。でも、女子、男子、年齢関わらず、自信って、その子の成功体験ひとつだと思うんですよね。それに対してどういうふうに褒めてあげるか、やっぱりみてあげないと褒め言葉も薄くなったりとか、うさん臭くなると思うんです。常に視線を投げ掛けながら、その子ができた瞬間の顔の表情って変わると思うんです。それをダイレクトに、時差を開けずに褒めてあげるということ。あと、僕自身、子どもが生まれて感覚がめちゃくちゃ変わったんです。それまでは、僕天才なんで(笑)、できるところのレベルが高かったんですね。だから「なんでできないの?」っていうことがすごくあったんですよ。後輩にもそうでした。そういう時って人間付き合いがうまくいかなかったんです。でも、子どもが生まれてから、寝返りひとつ、発する言葉ひとつ、純粋に褒めてあげたら、いろいろなことができていくんですね。そういうことを見てから、褒めるってこんなに素晴らしいことなんだなって。それから、後輩にもそうですけど、すごく褒められるようになったんです。今までは減点法、どんなによくてもゼロなんです。でも子どもが生まれてからは、ゼロからスタートしていくので、何ができても「すごいやん」とか、加点法で接することができるようになりました。それから人間関係がすごくうまくいくようになったんですよね。だから、何よりもこちら側の感覚としては、物事を加点法で見てあげられるようになれば、それがプラスに作用するんじゃないかなと思います。

フェリシモ:
最後に、神戸学校を振り返って、自分を信じる大切さについてひと言お願いします。

大畑さん:
自分を信じてなかったらここまで来れてなかったと思います。常に思っているんですけど、自分の可能性を引き伸ばすのもなくしてしまうのも、すべて自分だと思うんですよね。自分の可能性を信じて、自分でその可能性の殻を破ったからこそ、さらにもう一度階段を上っていこうという思いにもなりますし。人に見てもらって、人に引っ張って上げてもらうのは非常に楽かも知れないけれど逆に言えば、何か失敗した時に逃げれる方向にもつながると思うんですよね。その代わりに自分自身で一歩踏み出して、できるできないに関わらず継続したら、やったことが大きな財産になるし、いろいろな場面につながっていくと思います。そして、どうなったとしても、結局自分の意識のもと、責任を伴いながらやるということは、いろいろなことを経験するよりも、いろいろな場面に出合ったとしても、解決策が出てくると思うんですよね。だから、やっぱり引き出しが多い方が有利だと思います。
いちばん大事なのは、練習量、経験値、経験に勝る財産はないと常に思っていますので、自分を信じてひとつのことに対してチャレンジし続けることが大事。努力は必ず報われるとは言いませんが、その努力をしたことが、大きな糧になることは間違いありません。僕自身は本当に限りなく大きな可能性を秘めた人間だと思いながら、常にチャレンジして行きたいと思いますし、そうすることによって、見えなかったものが見えてきたり……。
あかんかった自分を冷静に判断できるようになったりするし。とにかく、自分を信じるということは、勘違いするんじゃなくて、自分に対してもしっかり客観視できないといけないと思うので、だから、自分のいい部分、悪い部分もしっかりみつめ、それを信じて、チャレンジすることができれば……。頭の中に思い描けるものはなれるものだと思っていますので、そういうものひとつでも多く見つけてもらえればいいのかなと思います。また、自分がやったことできたことを素直に喜んでもらえれば、さらにステージを上げていけるんじゃないかなと思います。自分自身の自尊心を自分自身が褒めてあげて、さらにエネルギーを大きくしていってもらいたいです。なりたい自分に「なりたい!」という思いを持ち続ければ大きなエネルギーになっていくと思いますので、だから自分をとことん信じてください。信じ続ければ形として現れると思います。

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Profile

大畑 大介(おおはた だいすけ)さん<元ラグビー日本代表・ラグビーワールドカップ2019年アンバサダー>

大畑 大介(おおはた だいすけ)さん
<元ラグビー日本代表・ラグビーワールドカップ2019年アンバサダー>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1975年生まれ。小学校3年生からラグビーを始め、東海大仰星高校時代には高校日本代表に選出される。京都産業大学へ進み日本代表として活躍、1998年に神戸製鋼に入社し、日本のトライゲッター、エースとして活躍し、世界にその決定力を印象づけた。2001年には世界への飛翔を見据えて、オーストラリアのノーザンサバーブ・クラブでプレーし、2003年にはフランス・モンフェランに入団を果たす。2003~2004年シーズンからはラグビートップリーグの神戸製鋼コベルコスティーラーズにプロ選手として契約を交わす。その後日本代表キャプテンを務めるなどラグビー日本代表の牽引者として、W杯に2度(1999年、2003年)の出場を果たす。2度のアキレス腱断裂を経験するも「為せば成る!」の不屈の精神で、代表試合トライ数世界新記録を樹立、その記録を69トライまで伸ばす。卓越した運動能力はラグビーに留まらず、スポーツ界全体でも高い評価を受けおり、TBSテレビ系「スポーツマンNO1決定戦」では、他のスポーツ競技の有名選手と競い2度の優勝を成し遂げている。2010年~2011年のシーズンをもって現役を引退。現在はラグビーの普及やラグビーを通じた人材育成、またラグビー協会と共に2019年に日本で開催されるW杯ラグビーを成功させるべく、メディア、講演等で精力的に活動中である。2012年より追手門学院地域文化創造機構の客員特別教授に就任しスポーツを通じた人材育成や街づくりに関する活動にかかわりながら、同大学の女子ラグビー部のプロデューサーとして女子ラグビー選手を五輪に輩出すべく活動している。趣味は「子育て」。2人の子どもを持つ父親として積極的に育児に関わっている。
著書に『信じる力」(KKベストセラーズ)、『不屈の「心体」なぜ闘い続けるのか』(文藝春秋)、『トライ』(PHP研究所)がある。

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