神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 田尻 悟郎さん(関西大学 外国語学部教授)
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「こんな先生に出会いたかった! ~豊かな人生を送るために子どもたちに伝えること~」



<第1部>

私が教職をスタートしたのが神戸市でした。大学を卒業して、兵庫区の中学校に4年、灘区の中学校に5年勤めて、それからふるさと島根に帰り、あわせて26年間中学校の教員をしました。今は関西大学で教員を育成するための授業と、一般教養の英語を教えています。もう一つ大きな仕事が野球部の部長。160人のメンバーを見ています。僕はほとんど4回生の就職活動の支援をしています。今、いろいろな授業、部活動に携わらせてもらっていますが、その礎になるものは神戸市で教員をしていた時に築かせてもらいました。そこで偉大な先生方に出会い、いろいろな手法を教えてもらいましたので、その9年間がなければ、島根でもちゃんと授業ができていなかったような気もしますし、出会った生徒から学んだこともたくさんあります。教員として学び続ける、ということができたことが、自分ではよかったと思っています。 神戸市で教職をスタートしたのは、ちょうどテレビドラマの「3年B組金八先生」が始まったころ。全国的に校内暴力が吹き荒れ始めたころでした。ですから教員をするということは、子どもに負けないということでもありました。最初の職員会があったあとで、ある体育の先生に言われたことが「田尻くん、神戸市でなあ、教員をやろうと思ったらなあ、刺し違えてでも正義を守る勇気がいるぞ」でした。衝撃的でした。シンナーを吸って暴れるとか、煙草を吸うとか、脱走するなどということが日常茶飯事的に起きていたのです。急に砂場でバックドロップされたこともあるし、マットに簀巻きにされたこともあるし、子どもに負けてはいけないというその錯覚、誤解から僕は教師をスタートしてしまいました。先生をするということは、そういうことだと思ってしまったので、体をめちゃくちゃ鍛え、野球部を見ながら、子どもと戦うという感じです。傷つけた子もたくさんいます。 2007年に、最初の学校の野球部の同窓会がありました。僕が最初に教員になった時の生徒たちです。僕が今年56歳なので、その子たちは48歳です。たくさん集ってくれたんですが、来ていない子がいて気になって、「おい、あいつどうした? 来てへんやん?」って聞くと、「あいつ、先生のこと嫌いやで」と言われました。「なんで?」と聞くと、その子は背が低くて身長があまり伸びなくて、注射を打っていたらしいんですが、僕はその時知らなくて、英語の授業の比較級の勉強で、その子と背が高い子を比べて「Who is taller?(どっちが背が高い?)」って比較級を導入してしまい、本人は傷ついて泣いていたそうです。それが分からなかったんです。「あの子も来てないやん。あの子は?」「あの子も、先生のこと嫌いやで」……。(中略)そんなんでした。結局、授業が成立しないから、子どもたちの興味を引くために冗談を言い、その冗談で子どもたちを傷つけていたんです。あるいは、授業で勉強してないと、怒鳴る、野球でも自分の思い通りにならないと怒鳴る。ただそれだけの教員だったと思います。 いちばん印象に残っているのでは、最初の学校の野球の練習試合のときのこと。三振して帰ってきた瞬間に僕はその選手を殴ろうとしました。直前に彼の目に涙がたまっているのが見えました。でも、手は止められなかった。今でも忘れられません。失敗したらいちばん痛い思いをしているのは本人なのに、その本人を責めるような指導をする……。あの子の追いつめられた気持ちを考えてあげれば、何も言わずにまた次のプレイをさせればいいのに、僕の思い通りにならなかったから、殴るという……そういうタイプの教員でした。ですから、その子とは今でも連絡が取れません。そういうことをたくさんしました。

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二つ目の学校では、やっぱり僕ががーっとやるので、部員がみんなやめると言い出しました。僕も「やめちまえ!」みたいな……。保護者の方がしょっちゅう練習を見にきてくださいましたが、口出しもされないし、保護者さんたちが3年生を集めて、みんなで焼肉を食べに行って、「あの先生も一所懸命やっているから、もうちょっと続けてみいひんか」と説得してくださって、それでみんなは野球部の練習に来ていたそうです。僕は知らなかったんですけれど。「出てきたかー」くらいにしか思ってなかったんです。 卒業式の時に、保護者の方が謝恩会をしてくださったんです。最後に先生にメッセージをということで、生徒たちがメッセージをくれることになったんです。こっちとしては春には優勝もしたし、いい成績を残していた子たちだし、秋がベスト8、春が優勝、夏がベスト4なので、まあ「お世話になりました」から始まると思てるじゃないですか。そしたら最初に「2回戦で春の決勝で当たったところと当たって、最終回3点取られて4対1になった時、どう思いましたか?」って聞かれました。僕は、「負けたと思った」と言いました。「じゃあ、僕らがその裏に4点取ってひっくり返したのはなんでやと思います」と聞かれたので、「執念やったと思う」と答えたら、「いや、先生に対する恨みです」と言われました。「あれだけ耐えてがんばってきて、2回戦で負けたら、なんのためにがんばってきたんや」って言って、結束し、逆転したそうです。今は「ごめんな、ごめんな、ごめんな」ばかりです。

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僕は、神戸市で一所懸命ではありましたが、子どもたちをいっぱい傷つけてしまいました。島根に帰って、僕が先生だと知ると、生徒たちは怖かったそうです。ある時島根で、警察官になった同級生に会って、「おい田尻、何その目」って言われたんですよ。「お前、刑事の目やぞ」って。声をかけた瞬間、疑うような威圧するような目で見ていたみたいで、それを言われてすごくショックでした。「変わらないといけないな」と思いました。次の授業は英語だと言って保健室で泣いている子を考えると、このままじゃ通用しない、変わらなければいけないって思ったのが、10年目です。島根で二つ目の学校は、 たった100人の漁師町でしたが、非常に荒れている学校で、その学校を立て直すということで、がんばってきました。 その学校ですごくいい出会いがありました。 ALT(Assistant Language Teacherの略)でコンノマサキという人です。生まれも育ちもカナダですが顔は日本人、インチキ外国人と呼ばれていました。こいつが何でもやりたいことをやろうとするんです。「悟郎、これやろう」。「悟郎、アメフトやろう」、「今度フィッシング行こう」「スイミングしよう」、「英語の授業だからあかんで」って言うんですがもうやりたいことだらけで、「悟郎、教科書はおもしろくないから、教科書を全部単語や重要表現を洗い出して、それをアメフトを通して教えよう」とか言って、結局5年間教科書を使わなかったです。教科書の単語や重要表現を全部書き出して、そして教えるごとに黄色いマーカーで塗っていったんです。そしたら一応、入試の時安心じゃないですか。ある時、「マスターしてると思たらマルで囲もうか」という話になって、「これいけるやん」「これはちょっと自信ないな、ほな、今日の授業でやってみよかー」と授業に行って、「ダメやったかー」と帰る毎日で、そうすると「教えただけじゃダメなんや、定着しているかどうかも見ないといけないんや、定着してへんかったらやり直ししなあかんねん」と「俺は教えたぞ」という授業から、どうしたらできるようになるのかという授業に変わりました。この変化が僕にとってすごく大きなことでした。一方的に「覚えろ」という授業から「どうしたらできるようになるか」。 「これやってごらん」と言うと、できる子、間違って練習してしまう子、そういう子には「やり方が違うで」と教えればいいし、一所懸命練習しているのになかなか上達しない子に関しては、どういうアドバイスをすればできるようになるのかをひたすら考えるようになる。それで工夫ができるようになりました。一方的に黒板に書いてしゃべって、ノートを取りなさいという授業では、子どもも先生も伸びないということです。英語はスポーツなので、監督がずっとしゃべっていて選手がノートをとっているだけで上手になるはずがないんです。簡単な説明で選手を動かして、1人ずつ見てあげるっていう授業スタイルに変わったのは、その時です。 あと校長先生がよかったんです。好々爺、白髪の先生で、いろいろと許してくれる人でした。例えば夏休み前の暑い日に、生徒たちを海で泳がせてやりたいなあと思って、「先生、海に足浸かりに行ってもいいですか?」と言うと「じゃあ、わしも行く。わしは●●と●●と●●を見るから、君はほかの子をちゃんと見なさい。わしがついていくから」というので一緒に来てくださって「泳ぐだろ? わしが見てるから泳がせなさい。」とつきあってくださいました。この学校は、昼休みは、1、2年生は教室は出ないんです、3年がいばっていて体育館や外で遊ぶんです。これはあかんなあと思って、1、2年生を連れて外へ出て、サッカーやソフトボールをして、遊んで先生方にもお願いして、外で遊んでもらうようにしたんです。女子は女子で野イチゴを摘んでジャムをつくったりゼリーをつくったりして……。それを校長先生はすごく喜んでくれました。 いつも歩きながら、「いいねえ」とか、「楽しいなー」って言っておられる先生でした。総合体育大会の前日、壮行式に、校長先生が、壇上であいさつされました。「みなさん明日はいよいよ総合体育大会ですね、バスケット部の人は、昼休みは何をするのかな? シューティング練習かな? それともいつものようにサッカーに興じるのかな。テニス部の子は何をするのかな。乱打練習? それともいつものように男子に混じってソフトボールするんかな、バレー部の子は何するの? サーブカットの練習? それともいつものように外へ出て、大騒ぎをしてテニスするの? いろんなスポーツを楽しんでください、以上」。「え? うそ? 『今までの練習の成果を発揮して…』がないやん」っていうので、生徒もざわざわとしたんです。それで、壮行式が終わったら、生徒たちが僕のところにやって来て「校長先生は何が言いたかっただ?」「俺も分からん。何なんやろうな?」と言いながら、ずっと一緒に教室に歩いて帰ったんですよ。その時に子どもたちが言ったのが、「バスケット部はサッカーする、って言われたのは、多分バスケは、ドリブルしとる奴は必死だけれど、まわりを囲まれる。だからボール持ってないやつがどうやってスペースをつくってボールをもらってやるか、持ってない奴が持ってるやつをいかにケアしてあげるかっていうスポーツだから、それはサッカーも同じじゃないの」って、なって。「じゃあ、バレーがテニスをするのはなんで?」「多分ネットで挟まれているのが共通じゃない?」「ああ、そうかあ」「テニスがソフトボールするのは?」「両方とも棒切れ振り回すでしょ」、「はー」という話をしながらずっと教室へ帰るまで集団で話をしながら歩いたんです。その時に、「ああ、そうなんや」と思いました。答えを言わないということは、これだけ子どもたちの心に火をつけるんだ。簡単に答えを言わない、「どういうこと?」と思わせることがテクニックなんやと思いました。考えさせること、子どもにしゃべらせることなんです。とかく、大人は答えを決めてしまうことが多いので……。校長先生は、絶対答えを言われない方でした。子どもたちも、校長先生が大好きでした。退職される時、3年生たちが僕に「卒業証書のあまりってないですか? 買ってきてもらえませんか?」って連絡してきたんです。僕は片道20キロ、買いに行って、その子の家に行ったら3年生全員集まっているんです。1人1文字ずつみんなで卒業証書を書いているんです。それで、離任式の日、式が終わって、校長室にいると、卒業生たちが呼びに来て……。「体育館では、卒業したばかりの3年生が整列していました。そして、生徒会副会長だった生徒が、「卒業生入場」と言い、「卒業生 卒業証書授与。」と言って、校長先生に卒業証書を渡しました。全員が拍手しました。校長先生は、入り口のところで「ありがとう」と言われました。そういうことをする子どもたちを、育てる校長でした。70歳過ぎに亡くなられましたが、「わしもガンゴだけど胃を摘出してから変わったから、あんたもいつかは変われると思わんといけんで」とよく僕に言われて、「変われるからな、変われるからな」とおっしゃっていた校長先生でした。人間はいつまでも同じじゃない。昔いっぱい失敗しても、反省するのは大事だけれど、引きずってはいけない。過去は変えられないけれど、今日、明日は変えられるから、自分を少しでもよりよい人間になるように変えなさい、子どもは先生を選べないから,子どものために、少しでもいい人間になりなさい」と言われました。「そのいい人間になるために努力している姿を生徒に見せるのが教員の仕事だよ」って言われました。 次の校長も本当にいい先生でした。「あんた体育祭どうするかね」「僕はこうこうこうします」「わしは違うと思うな」「僕はこれでいけると思います」「ま、あんたみたいな性格の人間は、ほかのやつに何か言われたら余計反発するけん。わしはこれ以上言わんけん、あんた好きなようにやりなさい。その代わり失敗したらここで反省会じゃよ」と。ムキになってやりました。8割はうまく行きましたが2割失敗しました。校長先生に「文化祭どうだったかね」と聞かれ、「大失敗しました」、「その理由はなんかね」、「見通しが甘かったこと、考えが甘かったです」と言いました。うまくいくと「なかなかよかったで」と言って、お茶とまんじゅうをくれるんです。その日も机からまんじゅうを出してきて「まあ、食べなさい」と言うんです。僕は「いや、今回失敗したんで食べられません」と言いました。でも先生は「いいわ。あんたがいちばん痛い思いしたんだけん、痛い思いをしているということが分かって、安心した。分析もできちょるし、次はがんばりなさい」と言ってくれました。僕は、何も言えなくて無言で食べました。 この2人の校長に出会えたことが、僕の教員人生の中で、本当に大きかったです。自分1人じゃ何も分からないので、教えてもらわないといけない、と思いました。それとやっぱり人を動かす人は何かを持っておられる。まず人の話も聞いてくださるし、受け入れもしてくれる。その代わり痛い思いもさせられるし、痛い思いをした時は、いちばん痛い思いをしたのは本人だから、本人が痛い思いをしているかどうか、その上で分析ができているかどうかを確認される人たちでした。上司として見習うべき人たちだなと今でも思っています。

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最後の中学では、ALT(Assistant Language Teacherの略)からいろんなことを学びました。彼は役に立たないALTと言われていました。彼自身も「僕はだめ。なんにも役に立たない」と連発するんです。「なんでだろう?」とまわりの先生に聞いても「あれは役に立たん」と言うんです。週末に「僕は1学期の目標はこんなふうにしているから、こういうテストをつくるから」と学期の目標とテストを2つ渡して、「何かアイデアを持ってきて」と言ったんです。で、週が明けて「どう?」って聞くと、「何も思いつかなかった」と言いやがったんです。「こいつー」と思って、「もし時間が空いていたら、僕の授業においで」と誘ったんです。そしたらある時に来ないから、見たら、教室に入れない子たちを一所懸命入れようとしているんです。グループ学習できないし、「隣の人とペアつくって」と言っても、好きな友達同士くっつくような状況だったので、あぶれる子が出て来るじゃないですか。そういう子をじっくりと見てくれるんです。「こいつええとこあるやん」と思って。いろんな手法を教えてあげると彼もおもしろくなってきて、「おもしろい、おもしろい」と言い始めて、ある時「やってみるか?」と聞くと「やってみたい」と言って、本人の担当時間じゃないのに、僕の授業に来て手伝ってくれて、前に出てやり始めたんです。上手にできて、「よかったなー」って言うと「ゴロー、I'm happy」って言うんです。それで中間テストの直前に、勉強会をしました。10人ほど来てくれて、帰ろうかってなった時、「先生明日もやってくれる? 明日もする? スティーブンもいる? 来てくれる?」「スティーブン、サンキュー」って言って帰っていくんです。そしたら、スティーブンが泣いているんです。そして、こう言いました。「ゴロー、僕は日本に来て、初めて心の底から感謝の言葉を言われた」と。「どうしたんや、日本に来て何があったんや?」と聞いたら、彼の大親友がバイクの事故で死んじゃったんだそうです。人生って何なんやと思って放浪の旅に出て、辿り着いたのが日本でのALTという仕事だったそうです。 日本に7月末に来て、8月いっぱいは教育委員会にいて、9月にいよいよ学校が始まると思って喜びいさんで学校に行って子どもたちに話しかけたら、にやにやしながら友だちの方を向く、全然自分の方を向いてくれず、無視されていると思った。自分は必要ないのかなと。日本の先生にも、「教科書を読んでくれ」、「単語を発音してくれ」の2つだけを言われるだけ。それを言われるまで、ずっと待つ、時計を見るとまだ30分ある、30分が30年に思えたと言っていました。 その彼が、1学期の終わりに国に帰ることになりました。最後の離任式でいいスピーチをしたんです。彼がどれくらい苦しんだか、日本に来て、自分は必要のない人間だと思いながら給食を食べていたら手が震えて、味噌汁がこぼれたそうです。そしたらほかの先生たちがどっと笑って、自分のことかと思ったら違っていた。でも怖くて、こぼれた味噌汁をふいて、それから3ヵ月無断休職。その直後に僕は会っているので……。結局彼は人に必要とされていると感じられなかった。でも、その中で廊下を歩いていると「スティーブン、スティーブン」とみんなが声をかけてくれる、オールジャパニーズで分からなかったけれど、声をかけられるだけで、うれしかったという話をしたら、 いっぱい生徒が泣き始めて、それを見てスティーブンも泣いて……。A4で3枚分スピーチしてくれました。卒業式にも来たがっていたのですが、彼の次の仕事があったので、来れなくて送ってきた映像があります。

(映像)
これを卒業式で流しました。「わーっ」と拍手がありました。映像の中にあった、 飛行機が離陸するのは卒業という意味なんです。こんなことができるんですよ、本当は。人って力を持っているなと……。それを決めつけちゃいけないし、それを引き出すのが我々の仕事なんです。スティーブは最後に僕に手紙をくれました。「ゴローと出会って人生が変わった」っていう手紙、僕の宝物です。別に僕が何をしたわけじゃない、彼が自分の力を発揮しただけです。今はどうやって本人の持っている力を引き出して上げて、さらにできないことができるようになるまでつきあえるかっていうことを、仕事としています。

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野球部の子たちを見ていると、就職をする時に、好きな分野と得意な分野で選ぼうとします。誰も、嫌いな分野、苦手な分野の仕事を選ばないわけだから。となると、僕の仕事は、野球、英語、教職のおもしろさを教えて、好きになってもらうのが仕事だってことが分かりました。だって、就職する時に選ぶのは、好きなこととできることだから。「できることを増やすのは本人の努力しかない、僕らは、英語のおもしろさ、野球の奥の深さ、教職のすばらしさを教えるから、だから、君たちはできるようになるまで、歯を食いしばって努力しなさい、その代わり僕らも近くで応援するよ、共同作業やで。」という話をすると納得してくれるようになります。 それまでは、「俺の言うことを聞け」、「姿勢が悪い」、「声が小さい」、「協力しろ!」と言っていました。これは僕からの一方的なベクトルで、子どもから何も学んでいないんです。ある時「なんで今日そんな姿勢悪いん?」って聞いたら「だって授業おもしろくないもん」と言われました。そこで分かったことが、授業がおもしろくない時と分からない時は姿勢が悪いんだということ。声が小さいのは自信がなくて読めない時、グループで協力できないのは、何かクラスの中で人間関係のトラブルがあった時、初めて子どもたちから教えてもらいました。それから、子どもから学ぼうという姿勢ができるようになり、今は授業をしていても、「今こんなこと考えてるんと違うかな」、「この子のリアクションだったら、自分の言ったことマイナスだったな」というふうに、自分を振り返られるようになりました。授業というものは、自分が理想だと思って、準備したものを、修正する場で、そうして僕たちは上達していくわけだから、授業こそ僕らの勉強の場です。変われるようになってきたら、英語の授業もおもしろくなってきました。単に楽しい授業じゃなくて、ひょっとして将来英語を使うかもしれないと思って、英語がちょっとでもできるようになればいいなと思って授業をしています。基本的には、教室の中の生徒で、将来英語で飯を食う人はほとんどいません。だからその子たちが、「今は英語を全然使ってないけれども、先生の授業の中で学んだことは、今生きてるで」ということをつくらないといけないんですよ。となると、友だちと協力すること、一所懸命がんばって成功体験をしたこと、工夫したこと、っていうことが将来生きるわけであって、英語が必ずしも必要とは限らない。英語を通して何を、思ってもらうか、感じてもらうか、という授業に変わりました。 それが今の僕の授業です。いくつか、このあとご紹介していきたいと思います。
皆さん、今日本のサラリーマンの平均年収はいくらでしょう?

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(資料のスライド)
408万円。これが2012年の数字です。いちばんいいのは、電気、ガス供給業の517万8000円、いちばん低いのが飲食、サービス業の234万8000円。2012年にアメリカのノーベル経済学賞を取られた学者さんが、45万人を対象にして調べたのは、収入が多ければ多いほど生活が楽になるように、正比例していました。でも、収入が多ければ多いほどしあわせを感じているかというとそうじゃなく、お金が多いと、かえってケンカがおこったりする。さて、いちばんしあわせを感じている人が多かった年収はいくらだったでしょうか?

(資料のスライド) 当時の調査では75000ドルです。750万円くらいです。夫婦で750万円。人生80年だとすると、40年、人生の半分は仕事なんです。月~金曜までの仕事が充実していないと、人生は豊かにならないんですよ。仕事で得た収入で、土曜は家族それぞれが趣味を楽しんで、日曜は家族揃って食事をしたり、どこかに出かけたり……。それができる人は、世界中どこに行ってもしあわせになります。となると、どうやって夫婦で、仕事を楽しみながら750万円を稼ぐかっていうのが、学校で準備することなんですよ。だって、学校が終わった瞬間に社会人になるんです。となると、学校のいちばんの仕事は、子どもたちそれぞれが何をやりたいかを一所懸命考えて、やりたいことを決めて、その準備をすることです。大切なのは進学じゃない、人生を設計することなんです。だったら僕たち教員は、それぞれの授業で、「英語いいやろ?」、「理科いいやろ?」、「社会いいやろ?」、と訴え続けるのが本来の仕事なのに、実際は嫌いにさせています。僕たち教員は、子どもの好きなことを増やすのが仕事です。そして子どもは努力してできるものを増やしていくんです。子どもたちは、できなかったことが一所懸命やっているうちにできたら、本人は「やったー」と言い、横で先生は「よっしゃー、できたー、ついにやったなあ」となったら楽しいなと思います。
(中略)
子どもが自立していって、自分のやりたいことを見つける。やりたいことは毎日変わってもいいんです。やりたいことがあれば、元気だから。だからやりたいことを探すトレーニングをすること。野球部の子らに、「明日からお前は仕事をしないといけない、さあ、今やっていい仕事を3つ言え」と言うと、「えー。えっと、すき家かマクドか王将です」「みんな飲食やないか」みたいなやりとりをします。でも、こんなふうに3つ言わせていると、大学で企業説明があると、「おい、これお前が言うてたやつやで。行くか?」って言って、「ほな、行こか」と入って行くんですよ。それをやらないと、「行く?」「いや、まだ決まってないから……。ここに行くとは限らへんし」と素通りするんですよ。だから、毎日3つずつ言わせるトレーニングすると、やっぱり意識が高まります。それで人生を考えていくから。その中でじゃあ、英語の授業の中で何ができるかというと、クリエイティビティを伸ばすことなんです。日本は、地下資源の乏しい国だから、よその国から地下資源を輸入して、それをよその国の人が思いつかない加工をして、なおかつ追随できない精密さを誇ってきたから、こうやって発展したわけであって、それは今後も変わらないと思うので、人と違うことをしないといけないんですよ。 それを、ちょっとみなさんに経験していただきたいと思います。では、資料を見てください。

(配付資料にある英語の活動を体験)

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<第2部>

お客さまとのQ&A(一部抜粋)

お客さま:
先生の授業は能力開発そのものではないかなと思います。どうやったら、かっとならず、相手の話を聞きながら汲み取って、相手の良さを導き出す見極めのポイントをぜひ教えてください。

田尻先生:
基本的に僕らの仕事は能力開発かなと思います。教師って決まり文句があって、「無理だ、むずかしい、時間がない」。これが口癖なんです。でも世の中、無理でむずかしくて、時間がないことをやりなさいって言われるわけであって、そこを社会の方はがんばっていらっしゃるので、僕らも諦めずに……と思ってやると、「この子、むずかしいな」ではなく、「この子のどこがいいところなんだろう? 何ができる子なんだろう」といろんなアプローチをやってみて、これハマる! というものを見つけるまでやります。大切なことは、成功体験を積ませること。それで自信がつき、意欲も出て、次にチャレンジできます。いかに成功するものをみつけられるかだと思います。試行錯誤しながら、その子が成功する、ヒットするものをみつけるのが、案外僕らの仕事なのかなと思います。

お客さま:
先生の話を聞いて、私も先生になって第2の人生をがんばりたいと思いました。エールを送ってください!

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田尻先生:
ほかの方もそうなのですが、今やりたいとか、これやってみようかなっていうのは、すごいしあわせなこと。何もやる気がおこらないことと比べると、やりたいことがあるのは最高にしあわせだから、それが失敗しようがうまくいこうが、それは結果論であって、失敗したら次のものをみつけて、「よし、これやろう!」っていうのがしあわせなんですよ。だから、第2の人生で「こういうことをやってみたい!」と思われる気持ちが大事だから、そういう気持ちを子どもにも持たせてあげてください。何回失敗しても七転び八起きです、次のものを見つけることが大事。ぜひチャレンジしてください。そして、うまくいったとしても、うまくいったことを使い回ししないこと。ちょっとずつ変えて変化させること。だって、世の中は変化しているし、子どもたちも変化している世の中で、大きくなっていくので、生まれた瞬間は何百年前と同じでも、育ち方は違うので、「最近の子どもらは……」じゃなくて、最近の子どもから学ばないといけないので、子どもから学ぶ姿勢があると、いっぱいいろんな感動があります。おもしろいアイデアがいっぱい出てくるのが子どもたちです。できない子ができるようになるまでつきあった時にはたまらない感動があります。

お客さま:
子どもが勉強しない、宿題ができないのですがどうしたらいいでしょうか?

田尻先生:
そんなことは、たいしたことないから。やりたいことが見つかればいいわけです。勉強は自分がやりたいことを決めた時に初めてスタートすると思います。今の勉強は将来ほとんどいらない。小学校でやっていることは使います。中学になって、英語、数学、理科も社会に出てもほとんど必要ないんです。なぜするかと言うと、ひょっとして今の授業の中に将来の仕事のヒントがあるかもしれないと思ってやるわけです。ただ、脳を鍛える、めんどうなことに向かって行くという精神的な鍛え方を含めて、やるべきことはやる、あるいは、提出物は期限までに出す、ていねいに仕上げる、これは絶対大事でしょ。社会に出たら、期限を守る、これは最低限の約束事です。そういう意味で、学校で学ぶことはたくさんあります。あとは、自分の考えを押し付けず、相手を知ることです。子どもは自分と違うんだから。 僕ね、中2の時すごい反抗期で母親に言ったことがあるんですよ。「お前に産んでくれって頼んだ覚えはない」。最低でしょ? うちの母親はおだやかだから「ごめんねー」とまず言ったんです。「あんたにそういう言葉を言わせてしまって、ごめんね」と言われたんです。僕はちょっと心がぎゅっとなってたじろいでしまいました。そのあとの言葉が強烈だった、「でもね、私もあんたが出て来ると思わなかったの」

(会場:笑)

て、言われたんですよ。「私とお父さんが子どもがほしくてね、出雲大社や八重垣神社へ行っていっぱい手を合わせてきたら、あんたが出てきたの。だけん、子どもをください、子どもをください、五体満足の子どもをくださいってお願いしてあんたが出てきたけん、神さまにお願いした以上は、あんたが1人立ちする以上は、私は見んといけんわね。だけん、あんたが18歳になって仕事をするようになって、家庭を持つようになるまでは、私はごはんはつくらしてもらいたい」って言われたんです。「親子は出会いだけん、いずれあんたは自分の所帯を持って自分の人生を歩み始めるけん、それまでは母親としてあんたにごはんをつくることを楽しませてもらいたい。それが神さまに対する恩返しでもあるので、だけん、あんたにそういうことを言わせたことは謝る」と言われたんです。その時は「うるさい、くそばばあ」としか言えませんでしたが、僕の一生の言葉です。僕の人生を支えてくれる言葉です。「親子は出会いだ」って言われました。すごく強烈な言葉でした。 だから自分の子どもだと思わない方がいい、いずれ巣立っていくから。巣立っていく時に、自分の家庭と自分の仕事を大事にできる子に育てるのが家庭教育、学校教育の仕事です。だから、今勉強をできない子は、なんか夢中になって人の役に立つことをしてほしいなと願い続けて関わることが大事だと思います。

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お客さま:
中学3年間で英語が話せるようになりますか?

田尻先生:
なります。絶対なります。

お客さま:
教員になりたかったら大学時代に何かしておくことはありますか?

田尻先生:
授業というのは家でできないことをする場なんです。家でできることは家でして、学校ででしかできないことをする。例えば、音読1つとっても、まず音読は1人1人が正しく読めるようにしてあげないと、さきほどのようなリスニングができなくなるんです。まず1人1人が正しくできるようにして、いっぱい量をこなしてそのあと、がんばって良かったなこんなことができるようになったな、と成果をはかる3つの段階があります。1人ずつが正しく読めるようになるのは学校しかない、もしくは家で英語が堪能な方にやってもらう、次、練習は自分1人でできます。正しい発音とイントネーションと区切りさえ分かっていれば。最後、「がんばって良かったな」、「できるようになったな」と確かめるのは誰かと一緒じゃないとできない。となると、学校でできることは、1人ずつが正しく読めるようにしてあげること、成果をはかること、大量の練習は家でやればいいんです。学校では、学校でしかできないことをしてください。夢中になったことでムダはありません。なんでもいい。野球に夢中になっていた子たちが仕事をしたら、仕事を夢中になってやります。体力があるので、持久力もあります。野球で身につけているから。彼らは野球で、体力、忍耐力、礼儀作法を身につけているので、これを今度は仕事に生かし始めたら、3年あれば十分普通に勉強した人に追いつきます。だから、スポーツしていた人は出世する人がいたりするんですよ。大学時代にも何かに熱中するといいと思います。

お客さま:
幼児の英語教育は早く始めた方がいいですか? 

田尻先生:
そうですね。それは音なの。幼児の英語をがんばったってしょうがないんですよ。ビジネス英語を身につけないといけないと。だから大人になってからでも十分間に合います。ただ発音はなかなかできないかな。

お客さま:
英語カラオケは役立ちますか? 

田尻先生:
めっちゃ役立ちます。

お客さま:
聞いているだけで英語はできるようになりますか?

田尻先生:
うーん、ノーコメント! NHKの番組などで、まず聞いて真似をすること。次に書いてネイティブにチェックしてもらうこと。誰かにチェックしてもらわないと壁が来ます。日常会話で終わります。だから外国人の知り合いがいるといいんです。

お客さま:
社会人2年目の真っ最中です。組織の中で働くのはむずかしいと感じる毎日です。上司は「組織でうまくやるならアホになれ」、先輩は「理不尽なことに耐えてなんぼや」と言います。なんだか違う気がするのですが、これが社会ってものでしょうか? 今やめるのは「ゆとり」の甘えでしょうか?

田尻先生:
正しいかどうか分からないのですが、そういう考え方、逃げ方はあると思います。世の中は、本当に理不尽だから。与えられた場で、苦しいだろうけれども、1個でも2個でも……と思っている人には最終的にはまわりがついて来るので、やっぱり嘆いていてもよくはならない、少しでもよくなるよう努力するしかない。それでもまわりが理不尽で、理不尽過ぎたらやめたらいい。ただし、転職できる力をつけておかないとダメです。転職は恐れてはいけません。僕らは安定はないんです。どうやって、今ある状況をベターにしていくかというと、僕のモットーは「Better than Yesterday」です。その代わり、次の仕事があるとは限らへん。次の仕事があるっていうこと、次の仕事があるような力をつけていかないと転職は無理です。だから僕は、当然中学校から転職をすることを子どもたちにも可能性としてあるから、準備しなさい。そのために、好きなこと、できることを増やしておきなさいということ、資格を取っておきなさいということを言っています。

田尻先生:
英語に関する質問が多かったので、英語の話をします。英語ができるかどうかは1つの語順を知っているかどうかなんですよ。英語の単語を並べる順番を語順と言います。

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(語順表のスライド)
こういう順番があります。誰が、何が、どうするの? 誰を? 何を? どのように? どこ? いつ? なぜ? だいたいこの順番です。あるいは、誰がどうするの? 誰が何をあげるの? 誰が何を見せるの? と、人、モノという順番で来るパターンと、誰をなんと名づけたの? 誰をなんと呼んでいるの? 誰をどんな状態にしちゃったの? の表現があります。では、みなさん、英語にしてください。

(会場:実践)
「私は」
「I」
「勉強しています」
「study」
「英語を」
「English 」
「一所懸命」
「hard」
「自分の部屋で」
「in my room」
「毎晩」
「every night」

これが中1の目標なんです。これができれば。「なぜ?」と聞かれたら
「その理由はね」
「because」
「僕は」
「I」
「好きなんですよ」
「like」
「僕の英語の先生が」
「my English teacher」
「とても」
「very much」
という文章が語順表を使ってつくれます。

(中略)
この語順表さえ持っていれば、ほぼ会話がいけます。ちょこっとした前置詞とか冠詞の間違いがあっても、必ず意味が通じます。あとQ&Aはコツがあるので、外国人と会話をしたいという人は、疑問文のつくり方を知っておかないといけないんですよ。
こんなふうにコツさえ分かれば会話できます。だから中学英語で十分会話できます。ビジネスになったら表現を知らないといけなくなるのですが会話レベルなら中学英語で8割方言えます。

お客さま:
教師に向いていないタイプはどういうタイプですか?

田尻先生:
1つだけ。子どもが嫌いな人。子どもが嫌いじゃなければ、いっぱい感動して好きになれるから。子どもはステキだから、だから諦めちゃだめ。うまくいかなければ、いろいろな人の援助を受けて、成功体験を積めば、絶対、自信がつくから。それをするのが我々ベテランの教員のする仕事です。年が上であればあるほど、いっぱい失敗もしてるし、経験もしているから、年が上の人ほど、下を育てることをがんばっていかないと、次の世代を育ててくれなくなるので、持てるものをすべて渡していくのが、僕らベテランの仕事だと思っています。

フェリシモ:
最後に、田尻先生を突き動かす根底にあるものをお聞かせいただけますか?

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田尻先生:
おもしろいもん! 子どもといると!! 僕の研究室に来られた時、いっぱい学生がいたでしょ? もう入れ替わり立ち替わり入ってきて、もう楽しくて楽しくて仕方がないんです。

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田尻 悟郎(たじり ごろう)さん<関西大学 外国語学部教授>

田尻 悟郎(たじり ごろう)さん
<関西大学 外国語学部教授>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1958年、島根県松江市生まれ。島根大学教育学部中学校教員養成課程英語科卒業後、神戸市の公立中学校2校、島根県の公立中学校5校に26年間勤務したのち、2007年4月より関西大学教授。2009年4月より外国語学部・大学院外国語教育学研究科教授。2001年10月(財)語学教育研究所よりパーマー賞受賞。
『英文法 これが最後のやり直し!』(DHC)、『(英語)授業改革論』、『自己表現お助けブック』、『楽しいフォニックス』、『生徒の心に火をつける』(いずれも教育出版)、『Talk and Talk Book 1~3』(正進社)、『チャンツで楽習! 決定版』(NHK出版)など、著書多数。NHK総合テレビ『プロフェッショナル 仕事の流儀』など、テレビ出演も多数。2012年~2014年度NHKEテレ『テレビで基礎英語』の監修、講師。

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