神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「見えないものをデザインする ~ともにはぐくむ ともにつながる ともにつたえる~」



<第1部>

フェリシモ:
最初に原田さんがどんなお仕事をされているかを知っていただくために、いくつか作品をご覧ください。

原田さん:
はじめまして。大阪でデザイン事務所をしている原田祐馬と言います。大阪で始めて7、8年になります。さきほどのご説明にあった「見えないものをデザインする」と言いながら、めっちゃ見えるものをデザインしているんですけれど、のちのち見えないデザインがどういうものかが少しずつ分かっていただけたらいいなと思います。多くはグラフィックデザインを中心として仕事をしています。が、時に空間のデザインをしたり、時にブックデザインをしたりといろいろな活動をしています。

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(スライド)
神戸の「マダムキキ」というスイーツの会社と一緒にしているパッケージのデザインです。パティシエ1人でパッケージを包む人たちも少人数だったので、少し手を加えながらパッケージを自分たちで組み立てられるものにしたいなと思い、ツートーンのパッケージをつくりました。下が瀬戸内をイメージして上が味をイメージしているパッケージです。

(スライド)
神戸の「アンリ・シャルパンティエ」の入社案内です。これは制作会社と組んでしたのですが、「アンリ・シャルパンティエ」のフィナンシェのいちばん小さなパッケージの中に、なんとか入社案内を封じ込めないかなと思い、こういうデザインをしました。中にフィナンシェも3つ入っていて、「お菓子の仕掛け方」という、お菓子をどういうふうに仕事に変えていくかということが分かるような、フィナンシェ2つ分の大きさの本が入っています。本当に小さな本なのですが、質問があって、そこで働いている人たちが、自分達が考えていることについて答えていくようになっています。なぜフィナンシェが入っているのかというと、ここがポイントなんです。ここに「目の前にある3つのフィナンシェをあなたはどのように使いますか?」という質問が書いてあります。これは僕ら側からのアイデアだったんですけど、それを受け取った人が3つとも食べて「ああ、おいしかったー」という人もいるだろうし、1つを誰かにプレゼントしたり。さまざまな形があるんじゃないかなと思い、実はこれを面接の1つめの質問にしています。そういったところまで関係性を築いてつくっています。

(スライド)
本の装丁もしています。専門書籍、特に建築が多いです。僕は実は建築出身で、建築家の友人も多いので、その繋がりもあって本のデザインをしています。これは『シェアをデザインする』(学芸出版社)。誰でも知っている書体を使おうと思い、ふだんグラフィックデザイナーが使ったら先生に怒られるようなMSゴシック、MS明朝という標準の書体だけで本文も表紙もデザインしています。

(スライド)
大阪でメディアの制作もしています。これは「SUPER」というフリーペーパーです。大阪市の方から、「大阪らしくないものをつくってほしい」という相談を受けました。「SUPER」というのは英語で「いいね」っていう意味なんですけど、それを「ええやん」って言ったらどうですかと提案し、「ええやん」と思えるものを紹介できるようなクリエイティブに特化したフリーペーパーをつくりましょうということで、約3年半10号まで発行しました。

(スライド)
それを見ていた人が「SUPER」みたいなフリーペーパーをつくりたいと言って来られました。茨木市からのお話でした。ちょうど僕が関わっていた小豆島と茨木市が、実は姉妹都市だったんです。なので相互の情報発信をしていくために、今、国際交流課とか親善系のことをやっている課とコミュニケーションを取って「小豆島と茨木」というフリーペーパーをつくりました。「親善大使」の「し」が「雑誌」の「し」になっています。中身としては、これはヤノベケンジさんの作品なのですが、両方の町に作品があるので紹介していたり、地元の子どもたちに「小豆島新聞」と「茨木新聞」をつくってもらったり、ワークショップをすることで、メディアのページとして落とし込んでいます。

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(スライド)
京都の「ホテル アンテルーム」のデザインをしました。最初はロゴマークデザインの依頼でしたが、担当の人と盛り上がり「あんなことしましょ、こんなことしましょ」と広がって、最終的にサインのデザインとか、ロゴマークもデザインのほか、1階に入るとギャラリーがあって、京都の若い作家を紹介できるような場所をつくりませんかという提案をしました。京都の九条と十条の間にあるので、「ギャラリー9.5」と名付け、定期的に展覧会の企画などをしています。1階を町の延長線上になるようにということで、レストランやカフェがあったりするんですけど、そこでも多数のイベントが行なわれるようにしています。あと、ホテルの部屋の中に、京都の若いアーティストに自分がストックしている作品を壁に飾ってもらって、買えるようにしたんです。実際にカタログが部屋に置いてあって、その作品がほしいという人は買える、売れたら次の作品を飾り、生の作品がいつでも見れるような、いつでもアートフェア状態にしています。

(スライド)
活動の話をしたいと思います。これは2010年くらいに行なっていた「あっという間ブック」という本をつくるプロジェクトです。その場で撮影して、編集して、デザインして、製本をして,写真集を持って帰ってもらうというプロジェクトです。写真のスタジオチーム、編集チームと、デザインチームと組んでやっていたんですが、こういった形で16ページの写真集をお客さんの目の前で、作業をして、レイアウトをするというところから公開していって、製本も自分たちでして、本が手元に残るおもしろさを何かできないかなと思って。デジタルデータは一切渡さずに、ぼろぼろになっていくというそういったものを、デザインしたらと思ってやったプロジェクトです。合計1週間くらいで300冊くらいの写真集をつくりました。

(スライド)
見えないものにデザインするということに移行していくと……。これは、2011年の映像。2009年から「DESIGNEAST」というプロジェクトをやっています。これは、関西から状況自体をデザインできないかなと思って、5人で始めたプロジェクトです。何かを発表しようとすると、東京のメディアを頼ったり、海外に展示をしたりということでしか、デザインを自分がしている実感が持てないという気持ち悪さがあるなと思っていて、その時に身内の人たちが、どんな活動をしているのかだとか、大阪、神戸、京都にそういった状況をつくると、若い人たちがどこで働きたくなるのかを実践しようと思って始めたプロジェクトです。見てのとおり、フードがあったり、バーがあったり、映画とか、トークイベントなどがたくさんあります。3日間、2500~3000人くらいのお客さまが毎年来てくれます。「00」から「05」の今もそうなんですけれど、手弁当でしています。財布は赤字、心は黒字。自分たちでどういったことができるのかなと、なった時にずっとやっているプロジェクトです。最初の「00」の時に協賛金を集めに行った時に、ビール1ケースしかくれなくて、それじゃ意味ないなあと思い始めて、じゃあ、行政とか企業に頼らずに個人で何ができるか、あとは、求められているかどうかがすごく分かるな……と思って。例えばお客さんが減ったらやめればいいだけのこと。自分たちで始めたことだから、自分たちで辞められるという、自分たちでたためる仕組みにしました。今は「05」をちょうどやっているんですけれど。

(映像) ワークショップもあって、お客さんたちが家具を自分たちで作るんです。1000円で図面を買って、1000円で材料を買うと、半額がデザイナーに入る仕組みになっていて、日本中のデザイナーにデザインを依頼します。お客さんがのこぎりで切ってやっていきます。

(映像)
今の言葉がポイントで、「あきたら色を塗ろうと思います」というのは、買った家具にはなかなか産まれないイメージ。自分で作ったからこそ、やってみたい、あとやり方を知っている、みたいなことになるんじゃないかなと思います。あと、壊れたら直せる……。こういった感じで、今も引き続き見えないものをデザインすることの1つの例かなと思っています。

(スライド)
現在の「DESIGNEAST05」の話を少しだけします。「05」は「キャンプ」というテーマになりました。僕たちが大阪で「DESIGNEAST」をやると、当たり前のように「また秋、大阪でまた『DESIGNEAST』行きますね」みたいなことになって、「まだ私行ったことないから行ってみたい」ってなるんですよ。でも、そうやって言われる筋合いないなあと思い始めたんです。なんか密集しているっているよりもてんでばらばらでたくさんの議論を日本中で行なわれるようなことができないかなと、思って、浜松と京都と佐賀と小豆島というふうにまわっていくような「DESIGNEASTキャンプ」というのを今年始めました。

(スライド)
これは京都です。リアルに参加者が一気に減って50人くらいになるんですよ。そうするとお客さんと1対1で話せるようになるんですよね。そうなると、お客さんと実行委員という関係ではなく、1対1の関係で、直接話せる現場になっていったんです。それを繋ぐために、例えばこれは京都の大見村という、今は廃村になった村なんですけど、1人だけその村に戻ったんですけど、その戻った人のための、仕事を手伝ったり、あとは自分たちがやってみたいことを一緒に活動した記録です。写真は雑草でソーダをつくりました。そんなふうに生きる知恵そのものを教えてもらったり、そういったものを使った晩餐会をやったり、キャンプファイヤーをしたり、朝ごはんを食べたり、24時間生活をともにするという実験を今年は始めました。

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「仕事のはじまりについて」

フェリシモ:
多岐に及んで仕事をされていますが、原田さんが今のような仕事に就かれた経緯を教えていただけますか? 

原田さん:
さきほどお話していたように僕自身が建築を学んでいて、そのあとグラフィックデザインの仕事をしているんですけれど、グラフィックデザインの専門的な学びはすべて独学。グラフィックデザインの仕事をするようになったきっかけは……。

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この写真にヒントがあります。この付箋がついている部分は僕なんです。もともと大学を出てから、もう少し勉強したいと思って、IMIという特殊な学校で現代美術、編集、グラフィックを学んでいたんです。その時にアーティストのヤノベケンジさんや神戸でも活躍している椿昇さんという方々に会って……。金沢21世紀美術館が開館する年、滞在制作をするというのがあって「原田、ついてこい」と言われ、半年間金沢に住んでプロジェクトをずっとやっていました。その記録がこれ。この本が僕のデザインのきっかけになっています。この本自体は、僕自身がデザインしています。そもそもここに写っている時にはデザインをするなんて微塵も思っていなかったんです。なぜすることになったかというと、ヤノベさんに僕が「今回の半年間の記録が膨大にあるし、これをドキュメントに残す必要があるんじゃないですか?」という話をしたんですよ。そうしたらヤノベさんが「本をつくろうよ。予算いくらくらいいる?」って言ってくれたんです。その時に僕はムキになって「僕らがつくりたいのに、なんでヤノベさんがお金出すとか言うんですか」と言ってしまったんです。それで自分たちの首をしめることに……。

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こういうファイルを自分でまとめて、出版社をまわって提案したんです。5、6社行ったんですけど、いたるところで断られて……。で、右往左往している時に、美術出版社の方が「おもしろいね、つくろうよ」って言ってくれました。「その代わり半分お金を用意して」と言われ、そこからが大変だったんです。この本をつくるのに、ファイルをブラッシュアップして、本の買取りをたくさん取り付けてきて、約150万円分くらいをゲットして「いけるようになりました」と美術出版社に言ったら、「分かりました。つくりましょう」と。「やったー」となっていたら、「で、誰がデザインするんですか?」と言われ。「どうしましょ」って言っていたら、「デザインを外注する予算はないですよ」と言われたんです。「じゃあ、僕つくります」って言って(笑)、いろんな本を見て……。建築って自分で勉強する時に、図面をサシではかりながらトレースしていくんですが、そういった方法に近く、自分が好きな本をサシではかって、その時にはポイントとか級という概念もなく、文字の大きさも分からずに何ミリみたいなことで、ずっとして仕上げた本です。

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「プロジェクトの上流から下流まで見渡すこと」

この時にすべての仕事の流れであるプロジェクトの始まる上流から下流まで見渡しながら仕事をすることが、非常におもしろいと思ったんですよね。ことが始まる、作品づくりを手伝う、美術館とやりとりをする、ボランティアの人を探す、その記録をどういうふうに取っていくか、それでどういうふうに本をつくっていくかまですべてをすると、なんて思いがこもったものがつくれるんだろう、と思って。ある時に、台湾のブックデザインの賞があって、めちゃくちゃラッキーな賞で、3冊までしかデザインしたことない人が出せる若手の賞だったんです。それを出したら、準グランプリをとったんです。その時の審査員杉浦康平さんに「しあわせな本ですね」って言われたんです。「本にしあわせってあるんだ」と思って、そういうしあわせな本をこれからもっとつくって行きたいなと思って仕事が始まりました。

フェリシモ:
原田さんのデザインがどうやって生まれていくのかをもう少し深堀りしていきます。作品をご紹介しながらお話を伺いたいと思います。真っ赤な色が印象的なポスターのお話を聞かせていただけますか?

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「奥村昭夫と仕事展」

原田さん:
これは展覧会の告知ポスターです。ほぼ見えませんよね? 真っ赤っかです。奥村昭夫さんは、グリコのロゴマークをデザインされた方でフェリシモさんともおつきあいがあるかと思います。牛乳石鹸の赤牛と青牛もデザインされている方です。このポスターは牛乳石鹸の赤牛の赤色です。ほぼ見えません。なぜかというと、すごく簡単で、ポスターってすごい情報が多いじゃないですか。美術館とかにポスターが貼られた時に、ほぼ情報がないように見えるがゆえに、こうやって近づいて凝視してしまうんです。それによって、ほかのポスターが一気に見えなくなって、このポスターから情報を得ようとする心理みたいなものを使って、デザインしました。こんなふうにうっすら文字がかかっています。実は広報物は重要なのではなく、そもそもdddギャラリーの方から「奥村昭夫の仕事展」の展覧会があります。その展覧会の広報物をどうですか」って最初言われたんですよね。企画書をよく見ていると「奥村昭夫の仕事」だったんです。今は「と」になっているんですけど。「の」ってことは奥村先生が今までデザインしたポスターが並ぶってことですか?」って聞いたら、「そうです。その通りです」と言われて……。「それ僕あんまり見たくないんですけど」と言ったんです。なぜなら奥村先生はまだまだめちゃくちゃお元気で、印刷物を見るよりその人の生き様みたいなものとか、活動そのものを見ることの方が今展覧会をやる意味があるんじゃないですか」と思って、生意気にも担当者に「の」ではなく「と」に変えていただけるのであれば,デザインしたいです」とお願いしたんです。そうしたら「企画書を出してください」と言われて、自分で企画書をつくりました。それで会場構成からすべてやることになりました。

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遠くに奥村先生がいてます。どういうことかと言いますと、週3、4回、奥村先生がここで働いているんです。働いている姿を見せながら、展示物を見る。そういったことができたらと思って、街角に迷ったような会場構成にしていて、展示物がほぼぱっと見では、見えないようにしています。奥まったところに行くと、奥村先生がデザインしているポスターがあったりします。

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ここに並んでいるのは、あえて低いところに商品があって。奥村先生はコンビニに並んでいる商品のデザインもされているので、低いところでも目立つデザインをされているのではないかと思って、全部あえて下の方に展示しました。なのでしゃがんで作品を見る構成になっています。

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奥村先生は日ごろこんなふうに仕事をしていました。デジタルアーカイブで作品も見れるようにしています。

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左はお客さん。ここで名刺のデザインを依頼できるような仕組みをつくりました。実際名刺のデザインをお願いして。確か8000円で100枚とかなんですよ。価格設定は先生がしました。そこで、ちょっとディスカッションをして名刺のデザインをしてもらいます。実際出来上がったものを奥村先生が説明をしてくれる「15分くらいでぱぱっとデザインしちゃうから」と言われたら帰れないじゃないですか。そしたらその間に展示物をゆっくり見れるという構造になっていて、長い時間展覧会の会場にいられるようなデザインにしました。

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今までデザインしたロゴマークがカードになっていて、牛乳石鹸の赤箱と同じサイズの箱に入れて持って帰れるようにしました。

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「みたらしだんご」

フェリシモ:
こちらは、みたらし団子のパッケージのデザインが、味を想像してしまうようなパッケージなのですが、どのような経緯でつくられましたか?

原田さん:
神戸の和菓子の会社・高山堂さんと組んだ仕事です。僕が、ぱっと買いたいかわいい、おいしいお土産をリサーチしていたころ、僕が働いているデザイン室にお客さんとして高山堂の若社長が来てくれたんです。その時に「もしかしてお土産とかつくってますか?」って聞いたんです。「つくってます」って言われて、「工場見学に行っていいですか?」というところから始まりました。事務所のメンバーで工場見学に行って、その時に「売れていない商品ってどんなのがあるのですか?」というところ始まって、それがみたらし団子だったんです。おいしいのだけれど、大きくて食べづらくてもったいないなあと思っていたんですけど、そのあとに、連絡があって「みたらしだんごをリニューアルしたいのだけれどどうですか?」というお話をいただきました。「女性が一口で食べられるサイズに工場のライン上変更できますか?」」と聞いたところ、「なんとか変えられるよ」ってなったんです。それから味の相談。「カツオの味がきついですね? 昆布をベースにしませんか?」と話すと、なんと日本中の昆布を集めてくれて、みんなで味見をしながら味を改善していった結果が、この羅臼昆布になったり、奈良の米あめを使うようになったり、小豆島の山六醤油を入れて香ばしさを出したり、旨味を出したりとなっていきました。パッケージは、酔っぱらったお父さんが持って帰ってきそうなデザインです。みたらしだんごなのですが、串にささっていなくて自分でつまようじで刺して食べる構造になっています。

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ポイントはここから。僕がパッケージ以外でデザインしたのは2つあります。この断面の比率。タレとお餅のバランスがうまさを引き出していると思っていて、工場の人たちと食べ続けて、なんとなく分かってきて、編み出した比率です。もう1つは食感とおいしい顔をいちばん大事だなあと思って、おみやげをあげて「おいしかったよ」と言われるのがうれしいじゃないですか。プロジェクトが立ち上がるところから商品が売れて、誰かが食べるところまで時間帯全体を考えてやっています。

フェリシモ:
今からみなさんにスイッチワークショップに参加していただきたいと思います。

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原田さん:
「スイッチワークショップ」とは、なんぞやというのを説明します。すごく短い時間でいろいろなものをたくさん書いてみるワークショップです。これをすることによって日頃の視点が変わるようなきっかけをつくるワークショップです。では、始めてみたいと思います。僕が今から言うものを30秒で描き切ってください。描き切るのがポイントです。全部を描くことを意識してください。では「世界地図」を描いてください。用意スタート。描き切ってくださいね。むちゃくちゃでもいいので。

はいストップ。いちどみなさん見せてください。まわりの人同士で見せ合いっこしてください。自分がいる場所に点をうってください。本当は答え合わせをするともっとおもしろいんですけれど、また答え合わせをしてください。

では、2つめ。1分で、いつもよく行くお店の間取り図を書いてください。スタート。

はいストップ。ではみなさん見せてください。カフェですか? すごいですね。コンビニですか? ローソン? すごい。さっきの世界地図より認識力が強いので結構描けると思います。

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次、3つめ。最近のみなさんにもっとも身近なもの。人によっては10秒に1回くらい触っている、携帯電話の画面を描写してください。ホーム画面を思い出して、描写してください。スタート。

はい。それでは、みなさん答え合わせをしてみてください。日頃使っているボタンはよく描けるんですよね。例えばラインを娘さんとやりとりしているとかだったら、ラインを描けたりとか、あとは時計の位置とか、バッテリーとか……。でもみなさん毎日見ている道具ですよね。それが、コンビニより描けないという悲しい現実です。なぜ描けないかというと、明確な理由があって、これがみなさんの体と同じようなものになってしまっているということなんです。突然自分の手を描けと言われているようなものに近いと思います。自分のパソコンのデスクトップを描けと言われているようなことと近くて……。靴を脱がずに足を描いているようなものです。でも毎日は見ているものなんです。実は世界と繋がっている装置ですが、世界地図と同じくらいおぼろげなんですよね。みなさんが日々自然と触っている道具っていうのはどれだけ見ていないかが分かります。こういったことを大学で日々やっています。

フェリシモ:
瀬戸内国際芸術祭において小豆島で展開した醤の里+坂手港プロジェクトはどのようなものですか? 

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原田さん:
小豆島に行かれたことある人いらっしゃいますか? どこから行かれますか? 20年くらい前に行った人は結構いると思うんですよね。それには大きな理由があって、阪神淡路大震災があったあとに、関西と小豆島を繋ぐ定期航路がなくなったんです。この数年前にそれが復活して、その時にタイミングよく昨年に瀬戸内国際芸術祭がありました。直島、犬島などいろんな島々で、島を巡って、アートを楽しむツーリズムみたいなものを2010年からやってます。2013年には小豆島が初めて公式に関わることになって、2012年ぐらいの時に僕と編集者の多田さんと神戸在住の椿昇さんと、小豆島の醤の里から未来構想をしてほしいと商工会から椿さんに依頼があって、僕と多田さんがそれを手伝って企画を考えたことがあったんですね。その縁があって、瀬戸内国際芸術祭のディレクターに椿さんが任命されて、「一緒にやるぞ」となりました。「DESIGNEAST」でやっていたような状況そのものをデザインすることが小豆島では重要じゃないかということから始まりました。それが2012年。で、2013年度が瀬戸内国際芸術祭で、これが僕らが活動している坂手港という港です。ここと、港から車で5分、自転車で15分くらいのところにある醤油の醤の里の企画運営をしています。企画運営をやっています。分かりやすく言うと、お祭りをしたり、鏡開きをしたり、「行ってらっしゃい」と言ったり、「ただいま」と言ったり、地元の高校生たちとワークショップをしていたり。

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これは高校生と大阪のデザイナー3人が、ワークショップをした時の写真です。実は僕がほとんど出てきていないと思うのですが、企画運営をしていて、主体ではあるけれど、たくさんの人、たくさんのデザイナーに声をかけて、多様な状況を島につくってみるとどうなるか実験をしていました。このプロジェクトの全体のテーマが、「観光から関係へ」。そのコピーのもとみんなでプロジェクトを行いました。なので、例えばこの高校生と一緒にやったプロジェクトは非常に重要でした。高校を卒業するとみんな島を離れるんです、理由は明確にあって、高校以上の学校が島にないので、ほとんどの高校生がいなくなります。なので、だいたい18~25歳の人口が極端に少ないんです。先に高校生や中学生と僕らがコミュニケーションをとって、この島の他者から見た魅力を伝えておくことで、遠くに行っていても帰ってきたくなるような状況、お客さんもそうなんですけど、何度も来たくなるような島にできないかなと思って……。だいたい旅って、1回行ったらいい、みたいなところがあるじゃないですか。そうじゃなくて何度も行ってみたい場所にどうやって魅力づけしていくかみたいなことを、高校生たちと一緒に考えてやりました。実際に卒業したこの子たちは、今年の夏も帰ってきてくれて一緒にワークショップをやったりとか、そういったことが生まれていっています。 スライド劇団ままごとという劇団があって、お散歩演劇というのをやっています。街中を知るための1つの装置でもあります。1つの物語をつくって、歩きながら演劇を経験する。劇場がないので、町自体を舞台にしてやっています。 スライドアーティストの人も関わっています。アーティストの方々も作品を展示するだけではなく、そこに滞在してもらって地元の人たちと交流をしながら制作してもらいます。作品に対して、子どもが辛辣な意見を言うみたいな状況も経験できる楽しい場所にしていけたらと思って設定しています。春、夏、秋と違うアーティストが滞在しています。

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これは「スタジオL」の山崎亮さんたちが、地元の人達とタレビンに廃棄になった醤油を入れて、醤油の壁をつくるワークショップをして、展示しています。

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あとは「グラフ」の服部さんたちに形ラボという展示をしていただいたり

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「ドットアーキテクツ」というチームに300万円の住宅をつくってもらったり

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これはヤノベケンジさんとビートたけしさんの合作の作品。そのあと、町の人たちが「ビート神社をつくりたい」と言って、神様を鎮めるために、神社をつくりました。こういったように町の人たちと関われる状況が生まれていきました。

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地元のおばあちゃんとワークショップをしていたり、演劇が町の中で繰り広げられていたり。

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これは、清水久和さんがつくった「オリーブのリーゼント」という作品。手前が敷地の持ち主の岩ちゃんというおじさん。作品がかわいくなり過ぎて、毎朝磨いて、最終的に自分もリーゼントをするようになって、「リーゼントのおじさん」って自分で言い始めて、こうやって写真を撮ってあげるってことをするようになりました。

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ジャンボフェリーは神戸港から出ています。この航路が復活したことが非常に重要でした。

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五分五分の関係と呼んでいるのですが、僕らと地元の人たちがわいわいとして、一緒に考えてやりましょう、みたいなことを少しずつ実践していっています。

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こうやって関わってデザイナーやアーティストが移住するようになりました。そういう人が、地域興し協力隊となって、町の子どもたちに絵画教室を開いています。高校に美術の授業がないので、絵を描く楽しさを教えるというのでやってくれています。

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今年も夏の期間だけ、もっともっと地元の人と密着した形で、プロジェクトをつくっていけたらと言って、やっています。

フェリシモ:
行きたいというよりも、混ぜてほしいと思うようなプロジェクトですね。

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原田さん:
実際何度も来るお客さんが出てきて、地元のおっちゃんたちと仲良くなって遊んだりとか、地元の子どもと仲良くなって、その子に会いに来たりする、そういう状況が少しずつ生まれてきています。実際にはどんどん人口が減少していって、特にこういう橋がかかっていない島なので……。島内には3万人が住んでいますが、年間500人ずつ減っていっているので、下手したら、30年すればすごく人が減ってしまうのではないかと危惧していて、それで関係人口をどう増やすか、を僕らの1つのテーマとして、プロジェクトを進めていっています。関係者を増やす、ちょっとずつ足を運ぶような場所になればおもしろいなと思っています。

フェリシモ:
私たちとデザインの距離についてお伺いしたいと思います。デザインは私たちにとってかっこよかったり、美しかったり特別な世界と思ってしまいがちです。もしかして私たちでもできているデザインの発想はありますか? ヒントになるようなことがあれば教えていただけますか?

原田さん:
2本の映像を見てください。

(映像)
これは「タラップサーフィン」という映像。海外の方のプロジェクトです。見てのとおりです。スケートボードをしている人が大波に乗っています。これは実際このエリアに海がないんですよね。で、遊びとして始めたことがこういった映像におさめられているのですが、すごく発明的な遊びだなと思って……。いたって、誰でも思いつくことじゃないですか。これこそ生きるデザインだなと僕は思っていて、実際に海に行くよりこっちの方がおもしろくなっているくらいの映像だなと。かつ、共同しないといけないのがおもしろいと思っていて、いろんな人が集って押さえて、1人がすべれるという特別な時間があって、非常にいいな。これって誰でもできて、どれだけ本気で遊べるかだと思います。小学生とかだったら発明しそう。そういう視点というのを、それぞれみんなが持っていればそれがデザインなんじゃないかな。どんなきれいなポスターも、かなわないなと思います。見ているだけでやりたくなります。

(映像)
僕の教え子がつくった卒業制作作品。「BBクッキング」というプロジェクト。彼女は滋賀県出身です。見ての通り、ブラックバスです。獣害の問題で困っていて、県や市のいろんな活動はあるんですが、個人でできることが非常に少なくて……。電気ショックで駆除するとか、僕らにはできないし、そんな駆除の仕方をしたくなかったりするじゃないですか。彼女が思ったのが、釣りをしている人に声をかけて「釣れたブラックバスをください」と言って、目の前でさばいて料理をすると……。実際琵琶湖はすごくきれいなので、ブラックバスも臭くないんですよね。で、料理をして、まわりの人たちにふるまう、同時に魚をくれた人にはレシピをあげています。「catch&リリース」ではなく「catch&eat」というプロジェクトです。うちのゼミでは、空間演出学科なので、デザインに対して社会に何ができるかを考えなさいということを常日頃から言っていて、そういうプロセスの中に自分の住んでいるエリアの問題を発見するようなことをやっていて、彼女の場合はいたってシンプルなんですが、獣害のブラックバスを見つけて、それを料理する方法、料理して食べている人がいないかリサーチして、インタビューに行って、実践もして、最終的にこのプロジェクトが、滋賀県の人とか、漁業組合の人たちを巻き込み始めて、ブラックバス改めビワスズキと呼ぼうと流れが変わっていっていて、農家の人達と「ビワスズキを食べる会」をしています。卒業制作だからといって、それで終わるのではなくて、自分で次のフェイズに持っていけるようなプロジェクトをみんなにつくってもらうようにしています。 デザイン学科なのですが、みんな行政に就職したりとか、デザイン企業ではない一般企業に入って、自分の創造力みたいなものを仕事に変えさせていくようなことをどんどんやっていると思います。毎日が楽しい方がいいじゃないですか。その人自身が楽しめることを大学でみつけられるかどうかというのをしっかりやっています。こういったことがそれぞれの発想に繋がっていく、そんな活動をしています。何もかもがデザインって言いたくはないんですけど、遊びから発想されるものの方が分かりやすく、より開かれたものになって行くのではないかと思っています。

フェリシモ:
原田さんはデザイナーという肩書きで仕事をされていますが、どんな部分に魅力を感じていらっしゃいますか? 

原田さん:
デザインという言葉もそうなのですが、40年くらい前でデザインというとファッションのことをさしていたと思うんです。それが80~90年代には広告とかをさすようになってきているんですけど、デザインっていう言葉って便利で、その時代のニーズに合わせて、職業が変わっていけるような気がしていて、例えば僕が今やっているデザイナーとしてやってはいるけれど、成果としてだけ見えるだろうし、地域が元気になっていく種まきでもあるし、土づくりみたいなものになっていると思います。デザインという意味の幅の広さがデザイナーになるおもしろさかなと思います。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
本来デザイナーという職業は、そこまでコミュニケーション能力がなくてもできそうな気がしますが、原田さんのお仕事の話を伺っていると、コミュニケーション能力がかなり引き上げられて、まわりの人とコミュニケーションを取りながら、まわりの方も巻き込んでいかれています。そういった能力はどのように築かれて、どう開拓していきましたか?

原田さん:
コミュニケーション能力は、僕は多分低くはないと思います。どういったところでっていうと、僕自身がずっと小学校3年生くらいから20歳くらいまで、ラグビーをやっていたんですけれど、ラグビースクールだったので20歳くらい時は指導者としても関わっていて、右も左もわからない子どもたちにラグビーを教えていた経験っていうのが、僕のコミュニケーション能力をつける1つの練習だったんじゃないかなと思います。それを実践していくにあたって、「金沢21世紀美術館」のプロジェクトなど、アーティストのプロジェクトを手伝って、翻訳者のように、アーティストが考えていることをまわりの人たちに物事を伝える役割を担った時に、アーティストが考えていることっていうのはどういうことなんだろうかと自分で読み取って、それを伝えないといけない、そこでより実践していったということが僕にとってコミュニケーションをとる楽しさに繋がっていったんじゃないかと思います。

お客さま:
日々、どんなモノやコトからインスプレーションを受けていますか? 

原田さん:
僕は本をよく読みます。特に移動中によく読みます。今日は少ない方ですが5冊くらい持ってきていて、いつも10冊、15冊持っているので「歩く図書館」のような感じです。何かあったら、それを開いて読んでいます。最近のおすすめの本、言っていいですか。臼田夜半の「ネロの木靴」という本です。「フランダースの犬」のその後の話を臼田夜半さんが書いています。「ユイ・モヤイ・テツダイ」って分かりますか? 昔の暮らしの中で、「ユイ」は互い助けること、「モヤイ」が一緒に助けること、中心があって一緒に助けていくこと、「テツダイ」が、見返りを求めない助け。そういうふうなお互いの関係性を築くために、労働を通して関係性を築いていくということが、その本には書かれているんではないかなと思って感動したんです。そういうことから、僕が次やっているプロジェクトでそれがどういうふうに町で生きているのかを見たくなったり聞いてみたくなったりするので、本は重要なインスピレーションの源です。

お客さま:
ワークショプの発想はどこから思いつくのでしょうか? 

原田さん:
ワークショップに関しては、自分が経験したらおもしろいだろうなということを付箋に書いていって、それを実践できるかどうかを申し訳ないですが自分のゼミ生で実験をしています。

お客さま:
今後の活動の予定といつかこんなことがやってみたいとこうことがあれば教えてください。

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原田さん:
今後の活動は、ひとまず2016年までは小豆島のプロジェクトに関わっていきます。そのあとも気持ちとしては関わり続けたいなと思っています。あとは、徳島の脇町という「うだつ」の残るエリアの地域をもう一度考えていくという若いグループに呼んでもらって、一緒にワークショップをしながら、そこで何ができるかな……という話をしていたり、あと山口県の阿東という地区があるのですが、山口市ってどんどん合併して市が大きくなっているんです。阿東は端っこの端っこなんですけど、例えば牛肉が有名だったり、お米が有名だったりするんですけれど、山口市の全体の一部でしかないことによって、そこの地域の人が流れ込んでしまって、よい状況ではなくなってきているので、ワイカムっていう山口情報芸術センターというところと一緒に「地域に潜るアジア展」というのを28日までやっていたんですけど、その展覧会の関わりでやっていると楽しくなってしまって、阿東にたびたび通いながら、地元のおじいちゃんと話をしたり、いろんなことをやっています。 将来的には、学校をつくりたいなと思っています「DESIGN EAST」自体も学校のプロジェクトに近いなと思っていたり、小豆島も学校のような気がしていて……。学び続けられる場をつくりたいと思っています。

お客さま:
コトを起こす際に、企画やまわりの人を巻き込む手段はどのようにしていますか? 

原田さん:
僕、強引だってよく言われます。巻き込み確認せずに巻き込むんです。僕がお世話になっている椿昇さんは、いい意味でめちゃくちゃ強引な人です。「おい原田、行くぞ」としか言ってくれへんみたいな(笑)。「明日ここ行ってきてくれ」と言われたらバングラデシュやった、みたいな(笑)。それはそれで自分の中ではすごく学びが多いので、それを学びだと僕は思っていて、関わってもらいたい人をみつけたら、「ちょっと小豆島行かへん」くらいの誘い方で、一緒に行ってみて、その人がその場で感じたことをやってもらいたいので、「こんなことをやってほしい」というわけではないので、この人が関わったらなんかおもしろくなるんじゃないかと思うと、連れて行って、その人が「こんなことがやりたい」と言えばやるという感じです。外側の巻き込み方は、島に行ってみたいという人の巻き込み方というのは、広報物でどういうふうな戦略をつくるのか、誰に言えば話が広がって行くかにすごく気をつけながら、いろんな人を巻き込むようにしています。

お客さま:
アイデアを発想する上で、いちばん気を使っていることはありますか? 

原田さん:
あります。誰にでも何でもアイデアを話すことです。ものを見た時にぱっと思いついたら、大切にせずに全部話して、好きに使ってくださいというのをやりまくるようにしていて、そしたらそれが返ってくると思っていて、なんか困っていることがあって「これにアイデアない?」って聞いたら、アイデアが返ってきて、一緒につくりあげたりすることができるので、アイデアを考える時はほかの人のアイデアを考えるように常にしています。なので、相談がなくても見たものに対して「こうあればいいのに」と常に思うようにしています。「自分やったらこうするのに」、というアイデアをどんどん自分の中に貯めるようにしています。

フェリシモ:
原田さんの日常の中で築かれる観察力はどのように培われたものでしょうか? 

原田さん:
ラグビーをやっていたのは僕の中で大きかったと思います。スクラムハーフというポジションで、このポジションは真ん中なので、敵も見ないといけないし、味方も見ないといけないおもしろさがあります。 その時に「あっちに行けば抜けられるんじゃないか」とか、「こっちにまわせば点が取れるんじゃないか」とか、常に頭をフル回転しながら、敵も味方も観察するっていうことを自然とやらせてもらっていたことが大きいなと思います。どんなチームをつくればいいだろうか、このプロジェクトをする時に誰に声をかければおもしろくなるかな……とかを考えるきっかけがラグビーになっている気がして……。今も常にフィードバックしてやってます。

フェリシモ:
小豆島のプロジェクトではアートとデザインがたくさん混じったようなステキなプロジェクトになっていたのですが、アートとデザインの違いを教えていただけますか?

原田さん:
西洋と日本でも違うと思います。日本のアートはどちらかというと工芸的なものづくりとそれを展示するということなんですが、西洋の今のアートはコンセプトを考えて、それをうまく外注してうまく作品を作り上げるというプロジェクトみたいなものなんです。今小豆島のものは、その中間にいてるような気がしています。 分かりやすく説明してくれと言われた時に言うのは、アートは「?」で、デザインは「!」です。デザインは問題を見つけて、ニーズを聞かされて、ニーズに対して発明的な答えを提案するような仕事だと思っていて、アートって呼ばれるものは、個人の社会の間から生まれてくる有象無象としたものが突然ポンッとアーティストの手から離れて、作品となって現れることだと僕は思っていて、それを見て頭の中に「?」が出続けることみたいな、そういう役割があるんじゃないかなと思います。でも、アーティストとアートはちょっと違うと思っていて、デザイナーとデザインもちょっと違うと思っています。どちらかというと僕は人の方がおもしろいと思います。

フェリシモ:
よいデザイン、悪いデザインをどのように原田さんの中で決めていらっしゃいますか?

原田さん:
例えば、ピストルの玉って悪いデザインですか? デザインは悪くないですよね。でもそれをつくったことによって、悪いことが起きていますよね。2つの相反するものがそこには存在しているなとデザインに関しては思っています。例えば、美術館の広報物で言うと、「きれいにかっこよくデザインしてくれ」って言われるんです。やってみるんですけど、実はきれいでかっこよくデザインしたことが、90%くらいの人を拒絶している可能性があるんじゃないかなと思っていて、「私には関係ないや」と美術館に行ったことない人が思ってしまったりとか、あるような気がしていて、その展覧会が、誰に向けているのか、誰に開く必要があるのかっていうことを常に考えて僕はデザインをしていて、その開き方が合っていればよいデザインだと思っていたりします。 あとは、小豆島とかでも良いデザインというところで言うと、ワークショップのちらしとかは、最初僕らがつくってたんですけど、なんかしゅっとなるんですよね。回覧板とかに入れても人の心に届いていない気がしたんですよね。最終的に役場の人にワードでつくってもらったら、それが飛び抜けて良くて、すごい伝わるんですよね。文字の大きさとかも、極端に大きかったりして……。「ああ、町の人に届けたいものは、町の人が考えてつくった方が届きやすいんじゃないかな」と思って、僕らがデザインするのではなく、役場の行政の人たちに「この内容をアーティストやデザイナーと直接話してもらって、デザインしてください」ってお願いしたら、それが楽しくなったみたいで、どんどんいい意味でエスカレートしていくんです。そういうふうな形で自分の手から離す、デザインしないことを選ぶみたいなことを最近はしています。

フェリシモ:
神戸学校のテーマ「ともにはぐくむ ともにつながる ともにつたえる」という言葉が原田さんのお仕事の向き合い方とすごく合っているなと感じました。これから原田さんがたくさんの人たちとともにつくっていきたい未来とはどんなものでしょうか?

原田さん:
例えば、家の前の木があります。その木は役場の人が植えたとして銀杏がいっぱい落ちて臭いとするじゃないですか、そしたらそれを今は、「銀杏が落ちて臭いやないか」と連絡するんです。そうではないだろうと、よくよく考えればいいと思うんです。「緑がいっぱいほしい」って言ったのは誰? というところとか……。そういったことがもっと自分たちの町に返っていくようなことが、全員ができるようになるのが、僕はいいんじゃないかなと思っていて、さきほども話していた、ユイ・モヤイ・テツダイという、誰もができることをもう少しやっていかないと、2050年になったら人口が1億人をきると言われている世の中で、どんなことが、どんな町ができるんだろうと……。「北斗の拳」みたいな町になっていたら嫌じゃないですか。そういう町にならないように(笑)、ならないとは思いますが、あまりいいふうにもならないと思っていて、その状況を全部誰かのせいにして町を自分たちのものとしないみたいなことはよくないと思うんです。 もう少し日常的なことで変化していくと、わざわざきれいな看板がなくても町はきれいになるだろうし、暮らしももっと楽しくなるような気がします。小豆島から神戸に帰ってきて、いつもショックを受けることがあるんです。島ではすれ違う人に「こんにちは」って挨拶して、「バイバイ」と手を振っているのに、神戸港に着いた瞬間、みんな手にスマートフォンを持ちながら歩いていて、すれ違う人とも挨拶しないんです。当たり前だけど、しなくてもいいような気もするんだけど、それをするような社会になるとどんなふうになるのかなと、なんとなく想像しながら暮らしています。例えばコンビ二ではお店の人がびっくりするくらい大きな声で「ありがとう」って言うようにしていたりとか、そういうことを1人ひとりが心がけたら、おもしろくなるんじゃないかなと思っているんです。なので、「ともに」っていうところは、実は個人にも返ってくるところで、個人の思いが誰かと繋がっていくことで、「ともに」ってなっていく……。楽しく生きるために何をしたらいいかを考える方がいい。ムダなことを省くのではなくて、ムダなことをつくる、そういうことの方がむずかしいじゃないですか。そういうことを僕はやっていけたらいいなと思います。

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Profile

原田 祐馬(はらだ ゆうま)さん<デザイナー>

原田 祐馬(はらだ ゆうま)さん
<デザイナー>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1979年大阪生まれ。UMA/design farm 代表。2007年、UMA/design farm を設立。アートディレクター/デザイナーとして、さまざまなメディアのデザインを手がける。DESIGNEASTディレクター、GALLERY9.5ディレクター、瀬戸内国際芸術祭2013/アート小豆島・豊島2014 小豆島 醤の郷+坂手港プロジェクト ディレクターなど多数のプロジェクトに携わる。京都造形芸術大学非常勤講師。共著に『小豆島にみる日本の未来のつくり方』(2014年/誠文堂新光社)。
http://umamu.jp

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