神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「わからないことは楽しい ~『わからない』ものの先にあるもの~」



<第1部>

フェリシモ:
まずは藤本さんに自己紹介していただきたいと思っています。どのような作品を作っていらっしゃるのでしょうか。

藤本さん:
ぼくはもともと、電子音楽をやっていたのですが、80年代半ばから、どこにでもあるようなおもちゃのオルゴールを使って作品を作りはじめました。家にあったので、「これでもなにか作れるんじゃないか」と思って。それで作りはじめて、20、下手したら30年近く続けてきたわけです。

フェリシモ:
電子音楽自体どういったものなのですか?

藤本さん:
ラジオやテレビというのは、電子回路によって音楽や映像を見たりする機械なのですが、そういった電子回路を使って個人でも 音をつくったり、映像をつくるということが20世紀半ば1950年代からはじまりました。今だったら、コンピュータでいろんな映像とか音を作るコンピューターアートと言われていますけど、そういうのと同じように、コンピュータのない時代は電子機器で音楽を作ることが一番ハイテクな最先端でした。
当然こどものころは知らなかったのですが、新しいものやメカが好きな父親が道楽で腕時計をコレクションしたり、カメラとか新しいのがでると、買ってきたりしてたんです。私が機械に興味をもつきっかけがそれでした。
カメラとか買ったからといっても、撮影したものとかはあまり残っていないのですが、庭に暗室まで作っていました。

フェリシモ:
わざわざ? 写真をあまりとっていらっしゃらなかったのに?

藤本さん:
それは、引き伸ばして画像を見るっていうことへ興味があったということだったと思いますまた、飽きっぽい父親だったんです。新しいモノを買ったら、前のものがいらなくなる。それが全部僕のおもちゃになるんです。幼稚園のときにはすでに66という大きなカメラを首からぶら下げていたり、8ミリフィルムのカメラも子どものときに家に来て、小学1年か2年でアニメーションを撮ったりしていました。

フェリシモ:
早くないですか?

藤本さん:
そういうことのできるカメラが、父親から「払い下げ」ではないけれど、私のところに来て、「コマ撮り」ができるとわかって、そういうことをしていました。
その中のひとつとして、「テープレコーダー」がぼくの部屋にやってきたんです。 ネットで調べて、アメリカのアンペックスっていう、すごい音響メーカーのものをなぜか父親が買ってきたんです。これが小学校の時、ぼくの部屋にやってきました。

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フェリシモ:
一見テープレコーダーともわからないものに思えるのですが。

藤本さん:
ですよね。カセットだと、ガチャっと入れて音が聞こえるんです(テープを)実際に持ってきました。

フェリシモ:
こういったテープレコーダーをご存じの方いらっしゃいますかね。

藤本さん:
ほとんどいないでしょうね。使った人は。
多分だれも信じられないと思うけど、これをひっかけて、もうひとつ空の方にひっかけてまわして録音したり聞いたりするんです。今は大人だからこうやってますけどこれが小学校低学年の部屋にあったらどうなるか。まず、レバーをこうガチャってやるも、子どもにとってはすごい技だったんですよ。

フェリシモ:
レバーがあるんですか?

藤本さん:
このことが(今の人には)もう通じない。

フェリシモ:
私のときには、カセットテープを入れてスイッチを押すだけでした。

藤本さん:
ボタンでしょう。機械式のレバーをガチャンガチャンって動かさないともう、動かなかったんですね。それが子どもの力では精一杯なんです。やると、ガチャンっていって急に動くと感動するんです。 テープレコーダーとかこういったものが、僕のおもちゃになるんですけど、親は飽きているから子ども部屋に置いても、何も教えてくれないんですよ。使い方も。自分でやるしかないんですよ。 ここにマイクロフォンをつなぐところがあって、誰でもやると思うのですが、最初自分の声を録音するんですよ。最初に聞いてみて「こんなにひどい声をしてたんだ」って思うんです。びっくりするところから始まって、それで音で遊べるっていうきっかけがテープレコーダーだったんです。 これが原点だと思えるんです、今から考えると。でも、自分の声聞いたっておもしろくないんですよね。変な声だし。 でもちょっと動かすと、速度が変わって自分の声が怪獣みたいな声になるとか、赤ちゃんみたいな声に変わってびっくりして、そうすると「あれなんか、いろいろ触ると音が変わるんだ」って、ひっくり返したり、鉛筆なんかでテープをゆすってみたりだとかするんです。 これが、ぼくにとって原点だったんです。この時は何か作品を作っているわけではなく、どうなるかって遊んでいただけだったんです。 ここで問題だったのが、友だちと話題を交わせないことです。誰もこんなものを持っていなかったから。いまでも音響の人が来たら驚きますよ。小学生でアンペックスを動かしていたらぼく、音響界で超エリートになってるはずだから。そのぐらいの機材を触っているから、こんなことやってるって友だちに話ができない。 逆に知られると、「ちょっと危ないやつ」って思われるかもしれないので、結局ひとりでやるしかなかった。自分のなかでは、これで何かやってやろうとか、おもしろいことをしようとか、作ろうなんて一切なくて、単に機械をさわって遊んでいたんですね。いろいろやって、実験してみると、いろいろおもしろかったんですけど、これが何になるかなんて全然わからなかったんです。 中学校に入ったときに、日曜日のお昼にラジオを聞いていたら自分がテープレコーダーで遊んでいたような、作っていたようなのと同じような音が聞こえてきてびっくりして。

フェリシモ:
投稿されたんですか?

藤本さん:
いや。でも「ぼくが作った音だ」って思って。NHK FMから聞こえてきて、「電子音楽です」って。一番新しい、ドイツから届いた音楽って紹介している番組だったんです。
そこで知ったのは、自分がやっていたことは、音楽だったことと、しかも電子音楽っていう名前がついていること。それが新しい、これからの音楽だっていわれていたので、急に興味をもったんです。それで、電子音楽ってなんだろうって思って、芸術的な、何かを自分で作ってみたいと思って。

フェリシモ:
今まで遊びだったのが……。

藤本さん:
急に、NHKから宣告された。「あなたがやっているのは電子音楽っていう、最先端の技術ですよ」って言われて、興味が出て、レコードを探したりとか、ラジオを聞き出したりして、自分なりにいろいろ興味を持つようになり電子音楽のコースがある大学があることを知りました。、大阪芸術大学の、音楽工学っていうところはその当時、NHKにしかなかったすごい電子音楽スタジオがあって、NHKで電子音楽スタジオをやっていた方が、教授をしていました。
そこでやっと電子音楽が学べるんだって思って入学したら、一切教えてくれなかったんです。機械の使い方を。

フェリシモ:
何を学ぶんですか?

藤本さん:
最初に学んだのは、最初の大きなテープレコーダーを持たされて、地下鉄や淀屋橋などの街中で録音させられたりとか、ケーブルをひたすら巻いたりとか。

フェリシモ:
最初は手伝いだったんですね。

藤本さん:
最初だけかと思っていたら、ずっと手伝いだった。で、すごい機械がスタジオにあるんですけど、こういった機械の使い方をいつ教えてくれるんだろうって思っていたけど、一切教えてくれなくって、教授がいろいろ機械を触っている横でじっとしているだけで、「これは教えてくれないんだ」ってわかって、みんなで先生がやっているのを横で見ながら「どこのフェーダーを触った」「この穴とこの穴をケーブルでつないだ」とか覚えておいて、終わってからみんな片づけた後、記憶をもとにスタジオでつないでみるんです。でも大体出ないんです。音が。でも「ピー」って音が鳴ったことがあって、感激するんです。大学で学んだことは、子どものころやってたことと同じだったんです。いろいろ手探り状態でなんか音がでた。
それがかえって今、役に立っているんです。
「何でそんなすごい設備の使い方を教えてくれないんだ」って思っていたんですが、結局その後、シンセサイザーっていう名前で浸透していったんです。すっごく安くてコンパクトになるので、個人で買えるようになったんです。すごい設備がいらなくなるのを、教授は知っていたので、使い方を覚えても賞味期限が2~3年だろうと。

フェリシモ:
たったそれだけなんですか。

藤本さん:
そんなもんだったんです、実際は。それよりももっと大切なことを学びなさいっていうことをだと思うんです。使い方ではなく本質を。その本質のひとつが、毎年三月に奈良の東大寺の二月堂である「お水取り」っていう儀式があったり、大阪の四天王寺で四月に雅楽の演奏があったりとか、関西は大阪、京都、奈良でいろいろな伝統行事があったのですが、それに必ず録音に行かされていました。

フェリシモ:
足で稼いでこい。という感じですか?

藤本さん:
それだけならいいんですけれど、こっちは時代の最先端の音楽を学びに行っているつもりなのに、何百年前の行事を観に行って来いっていう、わけのわからないこと言われて、そのころは何で行かなきゃいけないんだろうって思っていたんだけど、自分が今やっていることも、お水取りに毎年行って、視ていたことが、今の自分の表現に役に立っている。 それに気づいたのが、大学卒業して10年以上たって、初めて「こういうことを教えてくれていたんだ」っていうのがわかったのですが、その時は教授は亡くなられていたので、ダメな生徒だった。理解ができなくて。でも、それがすごくよかった。
そして、「電子音楽は未来の音楽だ」って制作を進めていたんですが、70年代になって僕は行き詰るんです。そのころは科学的な理論に基づいて、サインウェーブっていう、サイン・コサイン・タンジェントって、みなさんも習ったとおもうのですが「音は単純な波形で分析される」っていう理論に基づいて、逆に、「すべての音は、サインウェーブによって波形で合成できて、どんな音でも作れる。」っていう理論で電子音楽はスタートしたんです。 どんな音でも、合成して作れるはずだったんです。

フェリシモ:
はずだったということはできなかったんですね。

藤本さん:
最初はできると思ってやっていたんですが、やっても、やってもできない。思った通りの音が出ないし、バリエーションがでない。で、これはやっていても未来がないなって思ったんです。

フェリシモ:
最先端の音楽だと思っていたのに、未来がないって思われたんですね。

藤本さん:
それはやってると途中でわかってくるんですよ。80年代ぐらいになったときにアナログからデジタルに切り替わった時代で、ぼくは、デジタルに乗り遅れた、というかついていけなかった。
初めての若い人たちの方が、デジタルを使いこなしていた。初めからデジタルだったから。そういうのを見ていたときに、「自分はだめだな」って思って電子音楽を辞めた。 ほんとに辞めちゃって、家でぶらぶらしていました。辞めちゃったけれど、なにをしたらいいかなって思っていました。でも、何か作りたい気持ちは変わらない。 そんな時に、このオルゴールが本棚に置いてあったんです。「こんなおもちゃ」って思っていたれよく見たら、オルゴールっていうのはこう、ピンをはじいて一曲の情報がインプットされていて、それをいつでも演奏できる。いわば、コンピュータなんです。コンピュータだし、電子音楽でいう、楽器でもあった。機械であることに関しては同じだし、音を出す機械であるのなら、電子音楽の機材でなくても、これでもできるんじゃないかなって思って、まずここから初めてみようって思って始めたのが、今日ロビーに置いてある作品たちなんです。

フェリシモ:
未来がないと思ったときはショックでしたか?

藤本さん:
でも、疲れ果てたから。自分のなかで可能性がないとわかっているから、がんばったところで辛いだけだろうなって思って。認めなきゃいけないなって思いました。

藤本さん:
これ、一枚一枚のカードにフレーズが出るように穴をあけているんです。トランプなので、シャッフルすれば組み合わせが変わるんです。これだけでも、無限の作曲ができる。

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フェリシモ:
これは演奏をしているんですか?

藤本さん:
演奏と作曲の両方です。トランプがすごいのは一枚で4方向切り替えられるところです。上下と裏表で。だから一枚で4パターンと、13×4で52枚ですから、無限の組み合わせができる。
で、オルゴールって言うのは、小さな音だと思われているけどこういう大きい音につけるとすごい響きを出す。
これは大阪の南港にあったさる服飾の会社のエントランスの展示の様子です。6階から7階吹き抜けの建物での展示です。この一つのボックスは1m80cmの幅20cm奥行30cmだから、大体人間と同じ。そこに3つのオルゴールを入れて計18本をこのエントランスロビーに展示してそこで鳴らすと、エントランスロビー全体が響きだすんですよ。オルゴールをやっていて分かったことは、音っていうのは、ここから出ているのではなく、空間全体が音を創りだしているということでした。オルゴールはいわゆる音源になるわけです。ピーンとかパーンとか。それが空間に響いて。もとの音は別にオルゴールでもなくいていいとわかりました。
音なんて、自分たちの周りにいくらでもあるし。それで、一番身近な音とはなんだろうって思って……。これは北九州の私立美術館の、書斎みたいな部屋があるんですけど、そこに枯葉を敷き詰めて。人がいないとまったく音がしません。この作品では、音源は何かというと、観客なんです。
枯葉は踏んだら音がするなんて誰でも知っているんですけど、こういった室内だと、枯葉を踏む音しか聞こえないんです。そうすると自分の踏む足の角度や強さで音が変わるんです。

フェリシモ:
ということは、私たちが演奏しているんですか?

藤本さん:
そう、毎日音を奏でている。

フェリシモ:
演奏となると上手に鳴らせる人もいるんですか? 下手な人ってどんなんですか?

藤本さん:
やっぱり歩き方のうまい人と下手な人がいるんですよ。
下手な人はシャカシャカシャカって歩く人ですね。

フェリシモ:
藤本さんの中で、上手だったなっていう人どんな感じでしたか?

藤本さん:
展覧会でみてると、結構うまいなって人いますね。聞いていて。ふだん、足音なんて気をつけて聞く機会ってないと思うんですよ。自分の足音も、他人の足音も。やっぱり意識的に聞くとうまい下手がある。それがしぐさだと思う。

フェリシモ:
演奏のうまい下手を聞いてるのではなく、しぐさの音を聞いてるということですか?

藤本さん:
結局そうなんです。最初はオルゴールという機械の出す音を作品と考えていたんですけど、音源って、人間が踏めばいいんだから、枯葉なんてどこにでもあるんだから枯葉でなくても床でもいいんだから、そのあとは石であったりとかいろんな素材を歩くとかやったんで、そうなると自分自身がモノを作らなくてよくなるんです。
そうなると、今の枯葉の作品もそうなんですけど、だれが創りだしているかというと、観客なんです。人がいないと音がしない、枯葉が敷いてあるだけなんですよ。そこに人が来て、じっとしててもいいし、動いてもいいし、走ってもいいし、それによってその時々の音が生まれるってことは、展覧会でいえば、観客が創りだしている、というか「作品」というのがやりながらわかってきた。

フェリシモ:
藤本さんが作品を作る、プラス、観客が作品を作る? というふたつのこと? でもない?

藤本さん:
作るのは観客、ぼくの役目は「仕掛け」をするだけですよね。普通の部屋だったら床なんですけど、そこに枯葉を敷いておくだけ。
こういう展示の場合は、枯葉の上を歩いてくださいなんて、一切指示は書かないんです。何にもない状態ですが、来た人はちょっと「ん?」って思いながらちょっと歩いてみる。そうして音を確かめてみる。ぼくは仕掛けているだけ、というか仕掛けを置いているだけ。

フェリシモ:
どうなるか分からないけどやってる感じですか?

藤本さん:
一応、ぼくの中ではこうなるのがノーマルというか、そうなると思って仕掛けるんですけど、展覧会のおもしろいのは、そうならない。意外なやり方になるのがおもしろくて。 展覧会っていうのは観客が実際に作っていくんだっていうことで……。
これは阪神香櫨園駅から10分ぐらいのところにある、西宮市大谷記念美術館のロビーです。もともと大谷家っていう、長者番付日本一にもなったっていうお金持ちの人のお家と収蔵品が全て西宮市に収蔵されてできた美術館です。 ここで、1997年から2006年まで、毎年1日だけの展覧会を10年間やったんです。

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フェリシモ:
10年間、長いですね。

藤本さん:
多分、他にはないと思いますけど。
これが、10回のうちの6回目の展覧会なんですけど、この映像は開館5分前。人がだれも入っていない状態。展示も全て終わって、ぼくが美術館を独り占めにしている状態。

フェリシモ:
先ほどのお話ですけど、なんで展覧会をたった1日だけしようと思ったんですか?

藤本さん:
音楽のコンサートって1日あれば十分でしょう。だから展覧会だって、1ヵ月2ヵ月やらなくても1日だけで充分だと思ったんです。

藤本さん:
これは開館5分後ですね。

フェリシモ:
小さい子もたくさんいますね。

藤本さん:
それで、勝手に触り出すんですよ。

フェリシモ:
触っていいともどこにも書いていないんですね。

藤本さん:
6回目となるとみんなわかってくるんで。小さい子は体当たりする子もいるんですよ。こういう作品に。

フェリシモ:
ヒャっとしないんですか?

藤本さん:
いや。監視員つけてないし、その横で親が笑っているっていう。ものすごくおもしろい展覧会になったんですけど。
実は、観客が入るとどうなるかと言うと、オルゴールの音は聞こえなくなっちゃうんですよ。みんなが、ざわざわしているから。ということは、もしこの作品がオルゴールの音を体験してもらうというという目的であれば、実は観客はいない方がいい。理想的なんです。

フェリシモ:
ではお客さまが入った瞬間、目的は変わってくるんですか?

藤本さん:
でもこの展覧会の目的はお客さまが主役なんですよ。この展示室に枯葉を敷くんですけど、枯葉を踏みながら足音を感じるんですけど、だいたいみんな掘り返したりとか、巻き上げたり、下手すると寝ちゃうとか。

フェリシモ:
寝ちゃうのは下手な見方ですか?

藤本さん:
いや、びっくりしちゃった。こういうやり方があるんだ、って。

フェリシモ:
本日のテーマは「わからないは楽しい~わからないの先にあるもの~」なのですが、藤本さん自身、わからないことが楽しいと思うことはありましたか?

藤本さん:
この作品もそうですけど、自分のなかでは枯葉を踏んでいるときに、「こんな音がするんだ、ちょっとした見方で違う」っていうことで、作品を作るんだけど、展示すると観客ひとりひとり全く違う扱い方をする。そうするとぼくが刺激を受ける。「え~、なんでこんなことするんだ。」とか。それが訳がわかんないんですよ。こんな枯葉を舞い上げるとか、予測していなかったし、しかも美術館の展示室であんな興奮するなんてことは、ありえないと思っていたら、平気でピクニックやってるんですよ。あそこでで騒ぐしピクニックするし。みんな記念撮影してるし。でもそれがこんどは自分にとっての刺激になってくるし、思い通りになってたら多分、次にやる必要がなくなってくる。

フェリシモ:
思った通りの結果が得られることは嬉しくなかったんですか?

藤本さん:
そうですね。確かめるだけになるから。そうすると、美術館で展覧会をするときはいつも言われるんですよ。お客さんにわかりやすいように説明してくれとか。どこに何があるか、サインをちゃんとしてとか、何時にこれをやるとかを求められるんですけど、この展覧会では一切やらなかったんですよ。

フェリシモ:
怒られないんですか?

藤本さん:
一回やってみたんですね。どこに作品があるかだれもわからないし、ふだんは入れないところにも作品はある。この作品だって使い方もわからないからみんな謎の顔してるんですよね。そうしたらもう、大騒ぎになってただ遊びまくっているだけかなって思っていたら、静かに聞いてほしい作品はちゃんと静かに聞いている。

フェリシモ:
ぱっとみてわからないものでも、どうにかしてみようとしているのですか?

藤本さん:
そう、観客のほうから、説明がないから、自分で考えないといけないんだという考えが起きたみたい。これはロビーに置いてある作品ですけど(作品:PRINTED EYE)、のぞいて押すっていうことは何も書いていない。けれど、他の人がやっているのを見て、「ああするんだな」と見て自分でやってみる。
観客が先生になっている。っていうことが繰り返されている。この作品はふだんは地下の入れないところに展示されてんです。だから、この日この作品にたどり着いた人はほとんどいなかったんですよ。

フェリシモ:
見られなくてもいいんですか?

藤本さん:
はい。後半からは、そういうぼくと観客との騙し合いになってきて。来年はこうするだろうなっていう観客の声が聞こえてきたんですよ。来年はきっとここでこうするだろうねって。絶対裏切ってやるって思って。

フェリシモ:
要望は聞かないんですか?

藤本さん:
その通りにするの嫌だから、絶対知らなかった場所に展示してやろうと思って。 これは、椅子に座る作品何ですけど、水をはってあるんですね。だから絶対作品行けないまでだろうと思って、困らせてやるって。

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藤本さん:
けれど、映像を見たら観客の方が上手だったってことがよく分かります。入っちゃう。大喜びなんですよ。

フェリシモ:
喜ばれてますよ。

藤本さん:
6回目になると、観客の方も受けて立つっていうか、自分でなんとかしてやろうってなってきてたんですよ。それが、他の一般的な展覧会とは違うとこです。そうなるともっと悔しくなるんで。この作品はいわゆる椅子とか机をしまっている倉庫の中に展示して、扉も全部閉めておいたんですよ。中に展示物があるなんてわからないようにしておいて。好奇心の強い人が、開けると、中がこういう状態になってるっていう。

フェリシモ:
もしこれが、10年間の一番最初の年の展覧会だと開けようとすら思わないんじゃないですか?

藤本さん:
そうでしょうね。多分。毎年やっていたから、リピーターが今度は想像してくれるんですよ。そういう人がやたらいろんなドアを開けだしてくる。「ここにあるかも」って。一回は事務室の中に展示してあって、そういうところまでやったので、それを知った人は全て開けだす。
これは茶室ですね。炉をきってあるところ。映像見てびっくりしたんですけど、ガラスの破片の上にオルゴールをのせたんですよ。ガラスの破片って危険なんでだけど平気で手で持って遊んでいるんですよ。

フェリシモ:
危険だとか書かないんですか?

藤本さん:
書いてないし、当然危険なんですよ。見りゃわかるでしょ。 もう、積極的になってるからふだんはやらないだろうけど、手でつかんで音を出しているんです。 ここは蔵があって、二階のところに点滅するライトだけの展示なんだけど、観客は必死に理解しようとするんですよ。これは一体どんな意味があるんだろうって。

フェリシモ:
わからないまま見ちゃうってことでしょうかね。

藤本さん:
うん。だから、わからなくても怒らないんですよ。みんな。わからないことっていったいなんなんだろうって覗き込んだりだとか、自分から積極的になってくる。

フェリシモ:
10年間のうちに訓練されたんですね

藤本さん:
毎年やっているっていうのは、一つは慣れる。慣れると飽きる。飽きるともっと刺激が欲しいっていう関係になってくる。それはやっているぼくの側も同じなんです。同じことすると飽きちゃう。刺激が欲しいから。かといって自分の新しい作品がドンドン作れるわけではないんですよ。アイデアなんてそんなにバリエーションがわかないので。 そうすると、今度は作品をおもちゃとしてどこに隠してやろうとか、こんな風にしたらみんな困るだろうな。とかって考えながら展示をしていく。

フェリシモ:
喜んでもらうとは正反対のことにも思えますが、結果として喜んでもらえてますね。

藤本さん:
そう、結果として喜んでくれるんですよ。 すごかったのは、10回やるので新聞社の人とかに必ず聞かれたのは、「最後、10回目はどうなるんでしょうね」って。 大体10回目はグランドフィナーレですよね。こう、盛り上げて最後、花火かなんかダーンとやって、終わるっていうイメージで言われて。 「みんな絶対そう思ってるだろうな」って思って、クライマックスを9回目にしたんですよ。9回目にすべての作品とすべての展示で一番密度のある展覧会にした。それで、10回目どうしたかっていうと、作品展示しなかったんですよ。わずかに4点ぐらいしか。それはやってやろうってずっと思っていて。それまでは次の年も人来てもらわないと困るんで、なんとかつなげる努力はしていたんですね。

フェリシモ:
いわゆるリピーター獲得というやつですね。

藤本さん:
そうそう。来年も来てやろう……っていう。でも10回目は次の年来てもらわなくてもいいんですよ。来た人は「な~んだ」って言ってあきれて帰ったって全然問題ないから。 9回目は少なくともちょっとお客さんのことを考えてやってた。10回目だけは「自分だけのためだけにやろう」って。作品がない展覧会をやったんですけれど。どういうことやったかと言うと、まさに展示室に何もないんですけど、美術館の開けられる扉とかそういうの全て開けたんです。

フェリシモ:
ドアとかですか? 窓とかドアとか? トイレのドアも?

藤本さん:
トイレのドアはさすがに……。開けててもよかったかも。
ドアではなくて……展示ケースってありますよね。そのケースの扉なんです。美術館の壁にガラスのケースを置いて。あれのなかにも何も展示しない。その代わり、展示ケースの両側の扉のところに、ステップ、階段を置いておいたんですよ。展示ケースの中に入れるような仕掛けは作っておく。そうやったら、みんな来ても何もないから困るだろうって、見てたんですけれど、そしたらまた裏切られたっていうか、ガラスケースの中に人が歩いてたんですよ。 要は、ガラスケースの中を通るってことは、観客が作品になるわけですね。ケースの中で。

フェリシモ:
それは予定してたんですか?

藤本さん:
まあ、入れるようにはしてたけど、そんなに喜んでみんな入るとは。そうすると友だちがみんな、写メを撮っていく。何も展示していないところ楽しそうに歩いて。一日くつろいでいくんですよ。

フェリシモ:
丸一日、4点しか作品ないのに。

藤本さん:
うん。だからその時は、観客ってすごいなって。 本当にぼくの考えた展覧会っていうのは、作品がなくても成り立つっていうのがよく分かったんです。

フェリシモ:
展覧会や美術館っていうのが、「作品ありき」であると思っていたのが、作品なんかなくてもいいっていうのがすごく意外です。

藤本さん:
成り立ってしまったんですよ。じゃあ美術館っていうのは建物がいるかって言ったら、別に庭とかでもやっていたし、今日もロビーでもできるし、なんなら人の家でもできるし、どこでもいいから美術館って別になくても、展覧会ってできる。 でも観客がないと、展覧会はできないんですよ。作品と空間だけではただの倉庫ですよね。 だから観客が大事だって言うのは10年間やってわかったんですよ。
この一日だけの展覧会っていうのは97年に始まったんですけど、この展覧会自体は94年にプランを出していたんですよ。 でも、そのときは美術館に断られたんですよ。多分意味が分からなかったんでしょうね。普通は作品作ってみんなで一緒にやるというものなのですが、ぼくは展覧会のワークショップをやりたいって、観客が主役で展覧会を体験するっていうプランで出したんだけど、結局またの機会にしましょうって言われてそして震災が起こったんですよ。大谷記念美術館あたりはもっとも、それこそ阪神高速がぐにゃっと崩れた、ああいったほとんどやられてしまった大きな被害があった地域のひとつで、1年間、美術館は閉館していた。 その95年に美術館から電話があって、その前の年にぼくがプランを出していたのを来年やらないかって言われたんです。 どうも、美術館の学芸員の人も、考えが変わったみたいで。美術館について。

フェリシモ:
震災がきっかけで? なにがあったんですか?

藤本さん:
関西の美術館は阪神淡路大震災のとき、いろいろな対応をしたんですけど、例えば芦屋の美術館は遺体の安置所となりました。大谷記念美術館は近隣の被災した方々を入れたんですよ。避難場所になってしばらくそこで生活するという決断をされたんですよね。 かなり復旧するまで、みんなそこで暮らしてたんです。 そういった決断がとても非難された。「なんてことするんだ」と。不思議でしょう。要は、「美術館は美術作品という宝物のようなものを保管している場所に一般市民を入れるなんて何事だ」と言われたらしいんですよ。 それを言われた時に、学芸員の方は、「美術館は一体誰のために、何のためにあるんだと考えて、それは人のためであって、作品のためではない」と自分たちのやったことは正しいんだと。人のための、人がいてこその美術館をやっていくということで、ぼくが出していたプランと結びついたようです。それで、美術館の再開後、ワークショップから始めたんです。10月の毎週土曜日の4回を収蔵庫とか、庭とかでやったんですけど、それがとても評判が良くて、そ美術館の方から「来年もやりましょう」って言われた。ぼくは断ったんです。「無理です」って。毎週展覧会をひとつずつやるようなものなので、肉体的にがたがたになっちゃって、四週目は。その時の記録写真を見たら、毎週頬がげそーってなっていて死ぬなって思った。でも、こんなことは二度とできないと思って、「せっかく言ってきてくれるんだから」と、休館日など、そういうときの1日だけをぼくに使わせてくれるならと引き受けました。毎週土曜日、美術館のいろいろな場所でやってたので、全部使って一回、自分の作品だけで美術館体験したいなって思って。それ、プライベートでいいなって思った。

フェリシモ:
プライベートってどういうことですか。

藤本さん:
贅沢に美術館を独占したい、やってみたいんですって言ったら、みなさん黙りこくっちゃったんですね。相手が。「うーん」って言われて。ちょっと無謀なこと言ったかなって思っていたら、しばらくして、「わかりました」っていうんですよ。「10年間やりましょう」って言うんですよ。ぼくは一日だけやれたらいいと思っていたら、10年間って言われて、逆にこっちが無言になって、「どうしよう、10年何かできるわけない」って。無理だと思いましたよ。そんな。10年後って考えられますか?

フェリシモ:
35歳まで。

藤本さん:
「なにか毎年やれ」っていきなり言われ、でもここで、できませんって言われたら1日もできなくなると思って。

フェリシモ:
その一日を守りますね。

藤本さん:
うん。ぼくは一日さえできればいいから。そんな、10年なんて言ってるけど。計画って大体2、3年でこう、消えてくものが多いから、とりあえず10年って言って2、3年だろうから。というつもりで引き受けたんですね。 だから、ぼくが考えたわけでもなく、10年間のなんですけど。 でも、10年間やったおかげで面白かったのが、 97年最初の年は、ほとんど外部っていうか、大阪とか京都とかのちょっと遠方の人が見に来てくれた。「変わったことやってるな」って。それが3,4年目になると先ほどの6回目の映像を見ていただければわかるんですけど、小っちゃい子どもと親ですね。近隣の人たちなんですね。

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フェリシモ:
最初は近所の人はいなかったんですか?

藤本さん:
まったく。なぜかっていうと、97年なんて、大谷美術館の周り、ほとんど住宅地なんですけど、全壊だったんです。そのあとすぐきれいになったんですけど、全部建売の新築ばかり。ということは、みんなやられてるんですよ。みんな二重ローンで苦しんでいるっていうのが現状だったんですよ。そんな、美術館に行くどころじゃなかったと思うんですよね。それが多分、4年5年たって少し落ち着いて、子どもも大きくなってきたときに、毎年こういうことをやっているってことで、徐々に美術館に来ていただくようになってそれ以降、ほとんど午前中は近隣の家族の大集合。 ぼくが推測するには、その人たちも、たぶん震災のときは美術館でしばらく生活していた人が多いと思うんですよね。 だから愛着があるんじゃないのかな。それこそが美術館の役割だし、美術館にとっていちばんしあわせな形。人と結びついて、ちゃんと生きた形となって動いている。住んでいる人たちにとっても、自分たちの住んでいる地域にそういう美術館があってよかったっていう実感があるのだと思う。 それが、ちょっと落ち着いてからは、そういった人たちが美術館に行くようになって、今度は美術館を支える立場になっている。地元で愛されている。 地元の人が支えないと、美術館ってのは、すぐに閉鎖の危機になるぐらいのものですけど、この大谷の場合はそういう関係ちゃんと、人と美術館が結びついていて、そういった場所でぼくの展覧会ができたのは結果として良かった。

フェリシモ:
結果としてということは10年間続けてみなければ、わからなかったってことですか

藤本さん:
結局そうです。もう一つ10年間というのが、97年から、2006年ということは20世紀から21世紀と又にかけていたんですね。その間に、前にも言ったようにメディアの人に1回目から2回目のころに「10回目のころはどうなっているんでしょうね」って質問されるんですよ。そんなのわかるわけないんですよ。 「10年後はわかりません。ぼく、死んでるかもしれないし、美術館もなくなっているかもしれないし」って冗談で言ってたら、芦屋市立美術博物館ですね、お隣の。そこは実質なくなってしまったんですね。まだ建物自体はありますけど、景気を境にして状況はドンドン変わっていった。だから、その中で、こういう展覧会をやれたことで社会とのつながりとか、自分の役割とか、こんなおもちゃのみたいなのを置いて1日やるだけでも、なにかつながる人が出てくる。子どもなんか、勝手に触って壊したりするんですけど。そういうつながりができるって言うのは、時期としてやっぱり面白かったですね。

フェリシモ:
10年間続けられたことが、本当にすごいなと思っているのですが、続けることに価値を感じられたりしますか?

藤本さん:
大人ですから10年は続けなければいけない。というのはあるんですけれど、でも続けることは目的ではないんですけね。続けていくためにはどうしたらいいかって考えたら毎年毎年、自分がおもしろくないとやってられないんですよ。 次の年は何をやってやろうとか、そういう気持ちにならないと。「同じことやったらまた人が来るだろうな」とかよりも、「こんなことやったら誰も来なくなるだろう」ってことがしたいから。その上で、結果として続いた方がいいなと意識してやっていました。

フェリシモ:
そうなんですね。そしてですね、わからないことばかりじゃないですか。こうやってみて、どうなるかわからない、結果としてどうなるかもわからないといった、わからないことに対する不安はなかったのですか?

藤本さん:
うーん、たぶん僕は特別かもしれないのですが、ちゃんと基礎教育を受けてきて、みんなと張り合って、「このくらい」とか、「もう少し勉強したらこのくらいに行ける」って、見えている場合だったら、「まだここまでか」、とか、「努力したらこのくらい進んだ」とかって不安になったり、力になったりしたんでしょうけれど、僕なんか、さっきみたいにテープレコーダーで遊んでいただけなんで、それやったからってどこまで行けるからなんてわからなかったし、やったからと言って、褒められるわけでもなかったし、人からの目を気にしなくてよかったし、やっていることがほかの人がやっていないことだったので、そういう不安はなかったですね。

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フェリシモ:
ほかの人はだれもやっていなかったのですね。

藤本さん:
そうです。だから、評論家の人から「同じようなことをやっている外国の作家はいますか?」って聞かれるんですよね。 「多分いないと思います」って答えるんですけど、そうしたら「じゃあ評論は書けないですね」って言われるんです。

フェリシモ:
評論を書くために、似ている人を探すんですか?

藤本さん:
そう、だから似てないと評論って書けないんだなって。真似しているだとか。本当のオリジナリティがあるとだれも相手にしてくれないんだなって、わかって。

フェリシモ:
ニッチを行くってことなんですか?

藤本さん:
ニッチどころか、ニッチならまだ幅がありますよ。 ニッチならまだ何人か入れそうでしょ。一人しか入れないんだから、ニッチどころじゃない。 そういうのを自覚すると、ひとつは、「諦め」になる。いくらやっても評価されないっていう。どこまでやっても。でも評価されなくても。何やってもけなされることはないなっていう。けなすっていうのは比較することですよね。親とかよく言う「あの子に比べて」とか「お兄ちゃんに比べて」とか、言われるけど、ぼくの場合比較される人がいないから、枯葉を敷こうが、水を張ろうが、誰からもけなされないことがわかったら、すごく楽になった。やりたい放題だったから。

フェリシモ:
電子音楽のときはまだ、しんどかったんですか?

藤本さん:
電子音楽はお手本がいるんですよね。作った人がいて、スタジオがあって作り方があって、そこを意識してやっていたから、逆に不安でしたね。 でも、このオルゴールで自分はここから始めるって、自分がオリジナルでスタートしたから、参考にする人もいないし、そうなると「まだまだだな」って思うことは自分自身ではわからないし。よく、他の人はそういったことを考えるんですけど……。

フェリシモ:
では、今わからなくても別にいいっていうことですか?

藤本さん:
あ、わからないから、なんかやりたくなるんですよね。これは(オルゴール)は回したら音が出るってわかってるんですよね。 これをこのまま放り投げたらどうなるんだろうってことはわからないんです。そうなるとやりたくなるんですよね。 それを、人が見てるとバカみたいって思うんですよね。変な人っていう……。 でも、それをやらないと、作品ができてこないんです。だからその時間がやっぱり、ぼくにとっては大事で、いかにわからないことをやるっていう。それが次につながるっていう。

フェリシモ:
投げてみなければわからない、ってことにあるように、やっていることが何になるかなんてだれも知らないことという……。

藤本さん:
そういうことって、今いろんな分野であるんですよね。昔だったらゲームですよね。 コンピューターゲームなんか、あんな遊んで「勉強しなさい」って言われていた人が、ゲームソフトを作って大当たりするとか、ITの世界もそうだし、ネットばっかりやってた子がそこでSNS作ったりだとかで。すごい大企業になるとか。 みんな昔は馬鹿にしてたわけですよね。「ちゃんとやれ」って。でもその人たちが成功すると、今度はビジネスモデルになるっていう。 日本の場合はみんなそれを真似するんですよね。成功した形を。でもそれは、どうしてそういった形がうまれたかって言うと、ほとんどみんな遊んでるんですよ。 それと、手抜き。 手抜きが一番の、アイデアの湧く元ですよね。 yahooの検索ソフトを作った人も学生の時代に、バスケット部にいたのかな? それで、アメリカのバスケット部って色々な試合のデータを全部、数値で情報を検索して作戦を練るんです。いろいろな新聞とかを取り寄せて、書き写してやっていたのを、それをどっかネットで探して、ネット上で収集できるようにしたらいいなっていうので、考えてできたのがyahooの検索ソフトの最初らしいんですよね。それは、バスケット部で手抜きしたかったからでしょう。 YouTubeも映像を田舎のおばあちゃんに見せたいけど、コンピュータはあるけど、そんなファイルの形式とか、変換してとかソフトを立ち上げたりだとか、おばあちゃんはそんなことできないから、テレビを見るみたいに孫の映像を見れるようにできないかって、考えてYouTubeはできたんですよね。

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フェリシモ:
では、最初からいろんな人が投稿して盛り上げたいなんて考えていなかったんですね。

藤本さん:
考えていなくて、そのシステムがみんなが便利だからって使い出したら、ドンドン化け物になってきて、それを売ってということになる。 ほとんど今成功しているものってそうみたいで、成功してやろうとは思っていなくて、日常で「あ、こんなことしたらどうだ」っていうことやり始めているのが多いんですよね。 でも、その人を傍から見ていたら、「何やってんだこいつ、もっとまじめにデータを図書館行って、新聞で写して集めてこいよ」って言われてたかもしれないんですよ。 「がんばれって。何サボってんだ」って「おばあちゃんのところちゃんと連れていけよ」って言われてたかもしれない。

フェリシモ:
そういう人だと、YouTube以外にもふだんの遊びでいろいろやっていそうですね。

藤本さん:
Googleが有名ですよね。会社の中に遊び道具をいっぱい置いておくっていう。そういう中から遊びながらアイデアが生まれていくっていう企業の論理ですけど、たぶん、日本の会社でも真似しているところはあると思うんですけど、それは失敗すると思うんですよ。 道具を置いただけでアイデアがわくわけがなくて、もともとそういう変な発想のある社員をやとっているからそう人が、そういうもので遊ぶとアイデアが出せるのであって、会社に入る前に言われた事しかできない真面目な社員を入れておいて、「お前たち遊ばないきゃいけない」なんて言われて会社に来て遊べなんて言われたらたまったもんじゃない。それだったら会社に来て言われたことを机に向かってやってる方がいい。

フェリシモ:
向き不向きがありそうですね。

藤本さん:
本当にアイデアが生まれてくる本質を考えないと、形だけ真似しても絶対に生まれないんですね。

フェリシモ:
美術館がただの倉庫になってしまうのと同じですね。:第一部終了のお時間が近づいてまいりました。 ロビーに作品がありますので、ぜひ触って遊んでみてください。

藤本さん:
遊ばないとわからないかも、しれないので!

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<第2部>

フェリシモ:
第二部ではお客さまからいただいた質問を交えながら、お話をお伺いしていきたいと思います。最初のご質問です。
■「藤本さんが感じる、神戸らしさとはなんですか?」

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藤本さん:
神戸と関わるようになって大体20年なんですね。CAPというNPOの活動で20年間やってきたのですが、99年から神戸にアトリエをもって。自宅は大阪、今勤めている大学は京都。一週間のうち、京都-大阪-神戸っていう、三都物語。そういう生活をしているとおもしろいのですが、全部生活が違う。都市も違っていて。大阪から神戸は30分なんですけれど、極端に言うと外国みたいな違いがあるんですね。 「神戸らしさ」はいろいろ言われているんですが、僕が感じるのは、はすべてにおいてあっさりしている。 いちばん神戸があっさりしてるな、と思ったことは、お店が9時に終わる。新開地のおでんの飲み屋も行ったら、飲み屋で9時に追い出されるっていう。びっくりするけど、神戸はそういうところ。なんでかなって思ったんですが、たぶん、2次会3次会の文化がないのでは。大体、みんな食事とか飲みとか行くけど、終わったら「じゃあ」って言ってサーッと別れる。

フェリシモ:
人まであっさりしているんですか?

藤本さん:
人があっさりしているから、街まであっさりしている。 大阪や京都は学生の町だから「次行こう! とことん行こう!」って夜中までってなってるんですけれどそれに比べると、神戸っていうのは人との距離感もそこまで、踏み込まないっていうよさがあるんですよね。個人と自分を尊重するところがあって、人とのつながりっていうところが一番感じるのが、神戸らしい。

■「いいアーティストとはなんでしょうか?」

藤本さん:
いいアーティストっていうのは多分、その人がいいのではなく、「この人はいいアーティストだ」と発見する側の問題だと思う。「この人いいアーティストだな」って思ってくれる人(観客やファン)を見つけられた人(アーティスト)は、アートに対して面白く思える。そういう人(観客やファン、発見してくれる人)を持てるか持てないかだと思う。 その人自身がいいからそれが伝わるっていうよりは、ふだんの生活でも本人のよさって自分では気づかない。「こんなにいいところがあるのに、いいことが」と。同じように、まず、作品を好きになって、「なんでこんなことをやってんだろう」って興味を持っていくと、結果としてそのアーティスト自身を「いいな~」って思えるようになってくる。そういうことじゃないかな。それぞれの人が「いいな~」ってアーティスト見つけていくと、人に紹介したり、知るきっかけができて、いいんじゃないかと。

フェリシモ:
周りとたくさん関係が持てるアーティストである必要があるってことでもあるんですか?

藤本さん:
アーティスト自身って言うのは見方によると変な奴が多い。「大丈夫か?」っていうような。でも、実は実態はアーティストよりも学芸員の人の方が変な人が多い。世間の常識から見ると。

フェリシモ:
学芸員の方はいらっしゃらないですか? ここには。

藤本さん:
居ても、これは事実ですから。そういう、社会的に見ていいとかではなく、自分から見ていいものを持っているとか。やんちゃだからいいな、って思う人もいるかもしれないですし。きっちり常識的なことを言ってる人は逆に、そんな人を多分好きになれないと思う。一般常識しか言わないアーティストとか。だから、世間的に見れば、そういう人はいい人になるんですけど。

■「作品を作るときに行き詰ったとき、発明や発見などブレイクスルーするコツはありますか?」

藤本さん:
コツはないですね。それは受け止めるしかないんですよ。何とか抜け出そうとすると、余計混乱してくる。そういうもんだっていう。うまくいかないっていう。ことで、僕の場合立ち止まらないってことですね。とりあえずうまく行かないまま、やっとこ。

フェリシモ:
やっとこ、でいいんですね。

藤本さん:
僕の座右の銘って言うのがあるんですよ。 「数撃ちゃあたる」これは事実ですよ。昔知り合いの写真家の人に、「どうやったら写真をうまく撮れるだろう?」って聞いたら、即「数ですよ」って言われたんですね。「ワンカットでいいものを撮ろう」と思うから間違いだって。どんな子どもでも100カットとれば2~3枚いいのが撮れるっていう。だから、一番いいのは数だって。で、実際やってみたら本当に、写真撮ってみたらいいのがあったんですよね。 で、「あ、数か」って思うようになって。それから気が楽になって、数撃つようにしたら、本当にいいのができるようになった。天才かなって思った。でもそんなのは、たくさんじゃなくて、100打ったら2か3で、後の97は大体、失敗している。失敗と言うか、よくないのができる。打率でいったら1割以下の宝くじみたいだけど、そういう、失敗するのが耐えられない人はアートをやめた方がいい。一発狙って、思い通りにしたい人は、アーティストを辞めた方がいいし、失敗してもなんだか気になるからやってみたい人はアーティスト向きじゃないかな。気にしないって言っても気にするんですよね。うまくいかないと。そこが一番問題で、気にしないでいようって、気にしている自分がいる。そういうときは、うまく行かないんですよ。そういうときに「数撃ちゃつあたるだな~」って手。て感じでやっているとある時、なんか「ポン」と出るときがあると、「自分は才能があるな」って。勘違い祖しての続きで、続いちゃう。

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フェリシモ:
ずっとやると経験値になるとか、あるんですか?

藤本さん:
やり続けることのないようによる、ということです。 同じことをずーっと続けている人は、それが経験になって蓄積にもなるけど、僕の場合は別のところに行っちゃいますから、それまでの経験が役立たないし。前半に話しましたけど、大学の時に教授に言われて、こんなことやって何の役に立つんだろうって思ったことが、20年後にすごい役に立つこともあるし。 そう簡単に、「昨日やったから今日役に立つ」なんてことはない。 それ含めて「数撃ちゃ当たる」と思うんですよね。何がいつ、どこで、役立つかも本当にわからない。

フェリシモ:
ぜひ、数を撃っていただきたいと思います。

■美術館の遠足3回目くらいから10回目まで毎年、一年に一度の楽しみとして、わくわくして行っていました。お話を聞いていてその気持ちを思い出しました。 90年代や2000年代と比べ、インターネット環境やモバイル機器が普及し、なんでもすぐにインターネットすぐに調べられるようになりました。 わからないという状況に耐えられず、すぐにわかった状態になりたい。という欲望が強まっていると感じます。また、社会全体においても、「見える化」という言葉に表れるようにわかりやすいことをよしとする傾向があると思います。私はそういった傾向に違和感を覚え、暴力的なものを感じるのですが。藤本さんはそういったものについてどういったものを感じ考えられますか?

藤本さん:
わかりやすさというのも、顕微鏡みたいなものだと思うんですよね。一見わかりやすいことをよく考えると非常に難解なことであることもある。ぱっと言葉で「平和」と言われるとわかりやすいと思うけど、「平和」ってこともよく考えたら、「何が平和なんだ」って。だから今、「自分の生活は平和か」と言うと訳が分からなくなる。 単純と複雑とか、いろんなことが今は切り離されているのではなくて、ズームしたり、引いたりすると同じ事が違って見えてくる状況だと思うんですよ。IT機器とかメディアが発達したことによって、ズームの範囲が極端に、ものすごく引いたところから見たり、ものすごくアップしたりすることに、まだ我々は慣れていないのではないか。船酔いみたいに、揺れに当然、、危機感を感じることもあるし、乗りこなしている人もいる。 だからと言って昔の方がよかったということではなくて、すぐゲームやインターネットという「もの」に対して、批判する、「それはダメだ」って思います。 最近も首相官邸にドローンが飛んだって騒ぎがあって、ドローンを取り締まろうとしている。届出制にするとか、あれはおかしいと思う。そんな「もの」を取り締まったところで、それを今、誰でも飛ばせる状態になってるってことを考えないといけなくて。だから「これはいかん」って閉ざしていくと、ものすごく、住みにくくなっていく。 そういう意味で言うと、美術館の遠足が僕にとって参考になった。 それまでは観客は変わらないものだと思っていた。来て、作品を見て、帰っていく。それを10年間やっていくと、観客が変わって、帰っていく。それは、10年間通してみていたら、観客が変わっていったんですよ。人はそこに順応しようとする、置いているものに、順応していったら、今度それで遊んでやろうって、勝手に。それに対して、 支配していく、みたいなことが起きる。(作品やメディアに対して、自分なりに接してみるというようなことが起きる) 問題は、当然メディアが変わってくることに我々は混乱せざるを得ないが、それ(メディアが変わること)に対して自分がどうコントロールしていくかです。一番怖いのは「答えを教えて」ということ。「どうしたらいいか、言ってください、その通りしますから」っていうのが、一番怖い。自分で、どう対処するか一人一人やっていかないと、 たぶん今はそういう意味ですごく危険。
学生さんを見ていてもまず、「何をするか言ってください」ってことが多いんですよね。それがどれだけ早くうまくできるかっていうのが自分の価値だと思っている「死ね」って言われたらどうするのかなって思うんだけど、そういうことと同じで、先ほどのスランプではないけど、そういうのも受け止めたうえで、すぐ答えを出すのではなくて、対処していくことが大事なんじゃないかな、と思う。

■若干25歳でカンヌ映画祭で賞をとった映画監督がスピーチで「芸術は世界を変えられる」と言っていました。近年、各地で戦争や紛争などが多く、世界全体がドンドン悪い方向に向かっていると思います。そういった中で、芸術の価値、藤本さんが製作を続けるモチベーションはどこにあるのかお伺いしたいです。あと、本当に芸術は世界を救えますか?

藤本さん:
芸術は世界を変えられるか? についてですけど、変えられるかもしれないですね。変えられないかもしれない。 芸術は世界を救えるか。まず、救えないと思いますよ。救えるかもしれないけど、問題は世界を救えるって何のことかです。その意味が一体何かってことで。 でも、世界を変えるのは誰でもできる。今日帰る道をいつもと変えただけでも、世界を変えたことになる。そういうことはできると思う。 そんな大それたことができるかと言うとなかなかむずかしい。でもちょっとしたことなら誰でもできる。 存在価値についてはアートなんて、必要ないなんて言う人はいますけど、逆を考えたらいいと思うんですよね。芸術のない世界っていうか日常生活で生活できますか? たとえば、京都は今、外国人が沢山来るけれどあれはなんでかというと、いろんな今までの表現物があるからですよね。そんなもの一切なかったら京都に来るかっていうことですよね。 われわれがヨーロッパに行くのも、ただ土地だけがだーっとあるから行くのではなく、何か、表現してきたものがあるからそういったところにふれたいっていうのであって、そういったものが一切なく、生活したらどうなる。と考えると、存在価値はあると思う。

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藤本さん:
よくアートなんてやってて儲かるのって言われるけど、ぼく、「アートは儲かる」って言ってるんですね。でも100年後か200年後。

フェリシモ:
亡くなってますね。

藤本さん:
そう。だから、普通の人は待てない。自分が生きているうちに儲けられないから。そういう人はやめた方がいい。だけど100年後に儲けたら、自分でなくたって、それこそゴッホだったりフェルメールだったり、ほとんどのいわゆる世界のアートと言われているものは、大体、死後評価されて、それで潤っている人がいる。こんなので130億とか。お金が流れてるってことは儲かってる。だから芸術ってちゃんと社会に機能している。はず。 ひょっとしたら、1000年2000年かかるかもしれない。でもどうせ死んじゃった後だから、100年後だろうが、1000年後だろうが、かまわないんですけど。ただ、そういった人が毎年毎年出てこないと、結局発掘もできないですよね。1000年前に一人だけいて、後誰もつくっていなければ、見つけるのが大変。 よく、日本は自然に恵まれたなんて言われるけど、山だって自然じゃないんですよ。植林して、木を植えるから、山は緑で自然のままにしておくと、はげ山になっちゃったりして。その木を植えてから成木になるまで何十年もかかる。それを切り倒して木材にして、お金になるんですけど。その前に種を植える人がいないといけない。種を植えたからと言って、次の年に大木になるわけはないから。やっぱりそこになるまで50年、待つということとお世話をする、それから毎年毎年、種を植えないと、50年に一回だと50年に一回しか収穫できない。やっぱそういうもの。

フェリシモ:
作品もですけど、やり続けていたら、先で受け取ってくれる人がいるっていうことですか?

藤本さん:
そういうことですよ。多分。

フェリシモ:
多分でしかないんですね。次の質問にいきます。

■私はバーテンダーをしています。お酒の表現でよくある、「まるで〇〇のような~」とある、比喩表現が、いつもよく分からず嫌いなのです。そして、目に見えない音の表現も言葉にした時点からとても陳腐になるような気がします。音と言葉の関係で藤本さんの考えや、感じることがあれば、教えてください。

藤本さん:
音は目に見えないけど、音をあらわす言葉はいっぱいあるんですよ。 「大きな音」「ちいさな音」「強い音」「弱い音」不思議なのは「高い音」「低い音」みんなわかりますよね。「ちょっと音が低いね。もうちょっと高く歌って」とか。 「硬い音」「柔らかい音」「キンキン」とか。「ざらざらした音」「澄んだ音」「濁った音」こういう音を比喩というか、形容詞ですけど、だれも習っていないですよね。音を鳴らして、「これは『硬い音』って言いましょう」って。 では、どうしてそういった言葉をわれわれは使うようになったのかというと。不思議なのは、ちょっと音が硬いなって言うと、「うんうん、そうそう」と言葉でコミュニケーションとれるっていうのは実は不思議なことで、どうしてかっていうと、音って言う見えないものを記憶するときに人間は、ほかの体験をもとにするっていうことです。たまたま持ったものがもう一つのものより大きかったから、大きい音。握った時に硬いなって思ったら硬い音とか。グニョっとしたものは柔らかい音とか。多分、ほとんど視覚と触覚が音をあらわしている。

フェリシモ:
音を聞いているようで、触ったり見たりしているほうに意識をとられていたんですか? 音を聞くっていうのは耳で聞いているって思うけど、結構、視覚と触覚と聴覚とが合わさっている。 それで、インターネットの怖いところは、モノを実際に持っているから、質感がわかるんですけれど、持った時に(ガラスのコップを持って)「こういう音がするんだ」とわかるんですけど、あと「ちょっと硬いか」という感覚がある。あと、「形はこんな感じ」とか。「こっち(ペットボトル)は柔らかい」とか。見た目にはすごく似ているんだけど、音が全然違うってわかる。 われわれの生活は、体験は、実は見るだけではなくて、聴いて触ってまた、匂いとかが合わさって、いわば五感をフル活用している。だからそれが言葉にも反映している。 そういう言葉はすごく重要だと思うんですけれど。ぼくがよく分からないのは「心地よい音」とか「癒される」だとか。あと、「きれいな音」「汚い」。日本語で書くと騒音もあるけど、そういった言葉は気をつけないといけない。そういった音があるかのような言い方になっているんですよね。

藤本さん:
音を聞くっていうのは耳で聞いているって思うけど、結構、視覚と触覚と聴覚とが合わさっている。 それで、インターネットの怖いところは、モノを実際に持っているから、質感がわかるんですけれど、持った時に(ガラスのコップを持って)「こういう音がするんだ」とわかるんですけど、あと「ちょっと硬いか」という感覚がある。あと、「形はこんな感じ」とか。「こっち(ペットボトル)は柔らかい」とか。見た目にはすごく似ているんだけど、音が全然違うってわかる。 われわれの生活は、体験は、実は見るだけではなくて、聴いて触ってまた、匂いとかが合わさって、いわば五感をフル活用している。だからそれが言葉にも反映している。 そういう言葉はすごく重要だと思うんですけれど。ぼくがよく分からないのは「心地よい音」とか「癒される」だとか。あと、「きれいな音」「汚い」。日本語で書くと騒音もあるけど、そういった言葉は気をつけないといけない。そういった音があるかのような言い方になっているんですよね。

フェリシモ:
ない。という考え方でいらっしゃいます?

藤本さん:
うん。ぼくは「音に責任はない」、って言ってるんですね。うるさい音っていうのはその音を聞いてうるさいと思った人がいるから。なんですよね。

フェリシモ:
責任は私にあったのですね。

藤本さん:
責任と言うか、存在自体がね。「うるさい」っていう。 でも、ひょっとしたら同じ音を聞いて気持ちいい人もいるかもしれない。だから、この音は、心地いいのか、うるさいのかと、多数決をとっても意味がない。音の場合は結構そういうのがあって、例えば、好きな音楽と言うのは聞いてて気持ちいいですよね。それが好きではない人がその音楽を聞いてもイライラするんですけれど、音楽に責任があるかというと責任はない。 もっと困ったことは、好きな音楽を別の大事な時に聞いたら煩わしかったり。同じ音楽が、ある条件では気持ちよくなったり、ある条件ではすごく嫌になったりする。だから勝手なんですよ。人間の問題。あたかもそんな表現をした言葉があるかのようなときは一番、結構、怖いんですよ。何か作為的なものが出てくる。その、もっとも作為的だなと思うのは癒される。何か、一見いいと勘違いしてしまう。そんな音があるか。そういうときの言葉の使い方は結構、気をつけないといけない。 言葉と音と言うのはすごく密接なんだけど、下手すると実際の存在と言うか、状態から かけ離れて、言葉だけの世界になったときに、自然の音はいいとか、都会の音は騒がしくてよくないとか、音も聞いてないのに判断されるのは良くないですよね。

フェリシモ:
自然の言葉がいいって言うのも、だんだんわけわからなくなってきますね。

藤本さん:
普通は、パッと聞くといいって思うんですけど、よく考えると自然の音は気持ちいいのかと? 夏の山中セミが鳴いているとか、あれほど頭の痛くなる音はないし、自然の音って脅威なんですね。実は。簡単にそんなことがよく言えるなって思うんですけど。よく言われてるんですよ。最近はあんまり言わなくなったけど、胎教にいいっていうのも……。

フェリシモ:
モーツァルト聞かせるといいっていうやつですか?

藤本さん:
そう。まず、モーツァルトの曲がいいっていうのもナンセンスなんですよね。モーツァルトっていうのが変でしょう。モーツァルトの曲も、ものすごいプロの上手な人が弾いた曲も、下手な人が弾いた曲も、おんなじなんだけど、どっちでもいいのかっていう問題なんですよ。実際にちゃんとお母さんが気持ちを込めて弾いて聞かせれば、多分いいだろうけど。 何でもいいから買ってきて、ネットでダウンロードしてきて聞かせて、そんな、音楽を知っている人だったら、この人の演奏と、この人の演奏と違うってことはしっているから。 そういうこと言う本を読んで、著者見ると、1930年代とか、20年代生まれの老人ばかりなんですよ。そういう人たちの世代ってクラシックにあこがれがあるから。必ずロックはダメとか言ってるんですけど、今どきロックなんて言ってる人いないんですよ。ロックって分野がすでに消えかけてるんですけど、年配のひとは「ロックはダメ」って言って平気で本を書いている。音の分野って結構舐められているんですよ。で、どうするかって言うと自分で実際に確かめる。音を出してみる。聞いてみる。そこで判断する。っていうのが間違わないひとつのやり方ですよ。

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お客さまとのQ&A

お客さま:
本日は講演ありがとうございました。先生のご講演にありました、現物を、置いてあるものを全部触らせていただいたのですが、本当に思ったのは、アートはイマジネーション、そして、体験するアート。先生のは全て体験するアート、体験するから、観客は、観に行った人はふれないと先生の意味を理解できないと。ここまで、体験できるアートを僕はそう多く経験していないんです。海外だと、彫刻なんかはロダンなんかでも、フランスに行ってもアメリカに行っても、触らせてくれます。日本だけは見ないといけない。 彫刻なんかは、触ってみると彫刻家が刻んだのみの跡を感じることができるんですね。 先生がつっこんで行かれている、触って感じるアートをどう伸ばしていかれるのか、これからをお伺いしたいです。

藤本さん:
彫刻はそれこそ触るのが一番いいんですね。 実はね、(美術)関係者はやっているんですよ。僕もやりますけど、美術館の展示に行っているときに常設でロダンの彫刻とかが展示されているのを見るときに、まず触って、叩くんですよ。コンコンコンって。そうすると、どのくらいの厚みがあるのかとか。本当はそうやってやるほうが、伝わっていいと思うんですけど、なぜか日本の美術館は触らせてくれないんですよね。だから文句を言ったらいいんですよ。「触らせろ」って。 いちばん効くのは、ヨーロッパの権威のある美術館の名前を出すんですよ。触らせてくれたって。そうすると「うちもちょっと、ワールドワイドではないけど、グローバルにいこうかな」ってことで。あとアンケートに弱いんですよ。美術館も。結構、力が。市議会とかまでいっちゃうらしいので。もしなんかそういう、実際、美術館でも「こういう形であれば」って思うことがあれば、積極的に言っていったらいいと思いますよ。でも、できないことも作品の形によってはあるんですよ。ここまでならいいとか、あると思うんですよ。いわゆる、体験型アートと言われるものは、ふれるとか、触覚に対して言うんですよ。 でも、アートって言うのは見るっていうのも体験なんですよね。だから、普通の絵画を見るのも体験型アート。モーツァルトの曲を聞くのも体験型アート。触るというのも、その中のひとつの方法。触るっていうこともある、ぐらいのことだと思うんです。特別なことではないと、思うんです僕は。触らないとわからないものもあるので。触らなくても別に他の方法でもいいってことも。あと、食べるっていうのも。 これからっていうのは、もっと自由に作品に関われるのがいいかなって思う。それこそ、ほんと彫刻はふれるようにして欲しい。

フェリシモ:
間ずは手近な兵庫県立美術館からアンケートを出しに行きましょうかね。

藤本さん:
そうですね。「触らせろ」って。

フェリシモ:
ではそろそろ、2時間半に及ぶ神戸学校も終わりの時間が近づいてまいりました。最後のご質問をいただきたいと思いますが、いらっしゃいますか?
では、藤本さん、これだけは言いたいってことはありますか?

藤本さん:
僕がつくづく思うのは、アートをやっててよかったと思うんですよ。「アートなんかやって何になる」なんてことは、ひとつの真実なんですよね。何になるかわからなくてやっているけど、何かにはなるっていうのは実感してきました。 そういう人がもっと増えたらいいな、っていうのと。みんながなる必要はないのですけれど、生活している中に、アーティストが生活して“居る”ってことが大事ですよね。昔、パブリックアートのシンポジウムに呼ばれて行ったんだけど、作品はなくてもいいって言ったんですよ。町に。

フェリシモ:
町に作品を置くっていうシンポジウム?

藤本さん:
パブリックアートのシンポジウム。なくてもいいって言ったら逆にアーティスト側にギョロっとされたんですけど、それよりは、そのお金でアーティストを1人住まわせた方がいい。生活の中で、「ゴミ箱をどうしようか」っていう、みんなで相談するときにそのアーティストが「じゃあ、こういうのにしましょう」とかってアイデアを出して、それがパブリックアートになるわけだから。 すぐ、アートアート、って問題にされるんですけど、むしろアーティストを問題にしたほうがいいんですよね。そういった人たちの存在はどういったことか。作ったものとかを言いうんだけどアーティスト自身がちゃんと自覚を持たないといけないと思う。自分たちで主張していく。最初何をするかっていうと「私はアーティストである」とちゃんと社会に対して言っていかないと認めてくれない。っていうことで。そういうことはこれからもやっていこうと思っいます。

フェリシモ:
そして、藤本さん、もうひとつ。阪神淡路大震災から20年目の今年、神戸学校では「Pass the message ~今ここからはじまる~」といったテーマで開催させていただいているのですが、何か切り拓きたい、これからわからないものの中、切り拓いていかなければいけないものの中にいる人たちに、何かメッセージをいただけないでしょうか。

藤本さん:
ないって言ってもいいんですか。 なし。最後に言ったのとつながるんですけど。アートはなくてもいいけど、アーティストはいるべきだ。っていうのは、色紙のようなものはなくてもいいんじゃないかっていう風に思っています。 逆に質問ですよね。

フェリシモ:
メッセージは必要かどうか?

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藤本さん:
メッセージはものか? ということ。結構これって大きいことじゃないかなって思うんですよね。震災が起きた後、寄せ書きとかいろんなこと書きますけど。それは一体何なんだろうってずっと思っていて。メッセージは届かなきゃ意味がないですよね。自己満足ではダメなはず。メッセージを届けるってことはすごく大変なことだし、自分で考えなきゃいけないことだと思うんですよね。 それをぼくは阪神淡路の震災のときから今までずっと考えているんですけど、まだわからないんですね。

フェリシモ:
20年経っても?

藤本さん:
うん。だっておかしいんですね。特にこちらの神戸の人たちは20年前のことを如実に覚えているわけですよね。それが、まさか関西にやってくるなんて思ってもなかったってときに来て、こんなことがあるんだってところから立ち直ってきて9.11があるとそれに対してどうかとか、3.11があるとまた、それに対してどうだとか、なんか、メッセージを、メッセージを、って言うけど。でもまだ20年前のことに対しても自分たちで、答えが出てないんじゃないか。どうしたらいいのかって。やっぱり、そう簡単に出るもんじゃないって。でもそれを考え続けることが大事。地震に関して言えば、明日来るかもしれない。防げない。何千人と死ぬかもしれない。それに 対して自分はどういった態度でいるかっていうことの方がむしろだいじで。それに対するメッセージっていうのは難しい。どうしたらいいかっていう。がんばれとか、がんばろうは言えるけど。今ここでみんな死ぬかもしれないのに人にがんばれとか、言えない、っていうのもあって。それがずっと20年間続いている。

フェリシモ:
毎日?

藤本さん:
結局、毎日っていうのが大事。毎日が、何も起こらないのが毎日ほとんどなんだけど、時にはとんでもないことが起きるのも毎日のひとつなんですよね。地震っていうのは。そのことを体験したっていうことは、そう、他人ごとみたいに言えなくなったんだなって。じゃあ、どうしたらいいかっていうのは自分のなかでは考えているんですけど、答えが出てこない。

フェリシモ:
またいつか、答えが出たときに、お聞かせいただけることできますでしょうか。

藤本さん:
そうですね。多分死んでると思いますけど。死後でよければ。

フェリシモ:
では死後にお会いしましょう。

藤本さん:
こういう風に(幽霊のような仕草をされて)、送っておきます。

フェリシモ:
受信するように心がけます。では、ありがとうございました。

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Profile

藤本 由紀夫(ふじもと ゆきお)さん<アーティスト>

藤本 由紀夫(ふじもと ゆきお)さん
<アーティスト>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1950年名古屋生まれ。1975年大阪芸術大学音楽学科卒。70年代よりエレクトロニクスを利用したパフォーマンス、インスタレーションを行う。80年代半ばよりサウンド・オブジェの制作を行う。音を形で表現した作品を個展やグループ展にて発表。その作品をつかったパフォーマンスを行うなど、空間を利用した独自のテクノロジーアートの世界を展開している。「here & there」「separation & conjunction」「revolution& gravity」「silent & listen」といったキーワードで、日常の何気ない物事に注目し、「聞く」という体験を通して、「音」という存在の不思議を表出し、新たな認識へと開かれていくような活動を展開している。

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