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  • 石垣 幸二さん(沼津港深海水族館 シーラカンス・ミュージアム 館長)
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「水族館革命 世界初! 深海水族館の作り方」



<第1部>

総合商社の営業マン 

大学を卒業するにあたって、かねてから「国際人」にあこがれていたので、すぐに海外へ移住したいと考えました。ヤオハン・インターナショナルという、本社が香港、23ヵ国に支店を構え、社員9千人の上場企業に入らないかという話があり、2年目から海外に行かせてもらう約束で入社しました。当時はバブル期で、ヤオハンはスーパー、百貨店、リゾート、イベントなどをやっておりました。 しかし大体、巨大な企業では、希望が通るわけはないのです。入社して3ヵ月の時に、私は海外ならぬ、場所もよく知らなかった愛知県半田市に行くことになりました。営業職でした。売り込む物は決まっておりません。とにかく対話をして、「何が欲しいですか?」というところから、「じゃあ、こんなものを探してきます」という仕事だったのです。その頃は総合職が花形で、何でもやる、結果を残す、そしてマネージャークラスになって海外へ飛び立つという構造があったわけです。さあ、私も一生懸命やろうと思い、飛び込み営業もどんどんやりました。 当時、私のところには、輪島塗を40年ずっと続けている社長さんとか、カラットによって価値が変わってくるダイヤモンドを30年追いかけている社長さんとか、そういった方々が売り込みに来ました。景気が良かったので、私はお客さまにバンバン商品を売り込んでいましたが、だんだん思ったことがありました。総合職って一体何なのだと。このまま仕事をして海外へ飛べたとしても、そこにいる人たちに何を教え、何をマネジメントし、何を目指してやっていくのだろう。ひとつひとつの物をずっと追いかけて、唾を飛ばしながら私に説明する社長さんたちの姿がものすごくかっこいいと、単純に思ったのです。自分には専門性が何もないことを強く感じたときに、何か一つ、死ぬまで飽きずに追いかけられる何かのスペシャリストになりたいと感じました。24歳になっていました。

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「僕は海のスペシャリストになる」

私には舞台芸術からスポーツまで多くの趣味がありましたし、文化的なことも好きだったので、いろいろなことを考えました。そういう時、記憶は子ども時代に戻ります。私は家庭が貧しかったので、小学校4年生ぐらいから海に行って生物を捕って料理屋に売っていました。それが私のお小遣いだったのです。料理屋にタコを持って行くと50円にしかなりません。「おじさん、苦労して捕ったのに50円じゃ割に合わないよ」と言ったら、「きれいに捕ったら高く買ってあげる」との返事。「え、ほんと?」と思いました。銛で付くとタコがぼろぼろになりますから、今度は素手でとりました。すると500円で買ってくれました。捕り方によって値段が違うのかと少年のころから思いながら、海の生物と付き合っていました。当時はスーパーカーの消しゴムがはやっていて、ほしくてたまらなかったのですが、貧しくて買えないのです。すると、海に潜って海藻林の海藻をめくると消しゴムがついていて、それをアワビ起こしで採る夢を見ました。自分が手にしたいもの、欲しいものはすべて海の中にあるという感覚が、自分の中に埋め込まれていたのかもしれません。夏休みには、嵐であろうと毎日海に潜っていた記憶があります。食べられないものは潮溜まりに集めて、「私の水族館だ」と言って遊んでいたのも覚えています。伊豆の少年時代の記憶をたどって、「そうだ、海にいると飽きることがない、海には知ろうとしても知り尽くせないものがある、そして楽しい、これが私の原点じゃないか」と勝手に思いまして(妄想ですね)、「僕は海のスペシャリストになる」と決めたわけです。

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天職へ転職のはずが…… 

海のスペシャリストというのは、ダイビングでもない、水族館でもない。海なんです。海について詳しくなりたい。とてもシンプルでした。そこで、「よし、マリンバイオロジーを勉強しに、オーストラリアに留学しよう」と思いました。そこに留学して来る東南アジアの方々と知り合いになって、その方々がマリン・リゾートや海の関係の施設を僕に任せてくれるかもしれない。マレーシアやブルネイで一緒に仕事ができるのではないかという、完全なる妄想が私の中に出来上がっていました。 結婚したばかりの女房に、「僕はオーストラリアに留学する。ひとりで行くので、2年後にどこかの国にいて、その国から電話をするから、それまで実家に帰っていてもらえないか」と、とんでもない話をしました。すると、女房もできた人で、「わかりました、では行ってきなさい」と言ってくれました。しかし、まわりの雰囲気がそれを許さず、「結婚したばかりなのに、しっかりしなきゃ」という世間体があって、私は真剣に考えていたオーストラリア留学を諦めて、海の仕事を探しました。 その時、朝刊のチラシに、小さな会社が潜水士を募集しているのが目に留まりました。私は19歳の時にオーストラリアで潜水士の免許を取っていました。当時、大阪の海遊館など水族館が大型化した時代で、横浜の八景島(シーパラダイス)がオープンするころでした。募集はシーパラダイスの水槽に潜って掃除をする仕事で、「英語のできる人、船の操縦免許を持っている人優遇」と書いてありました。常に前向きに考える私は、「これは私のことだ」と確信しました。また妄想が始まったわけです。全く誰にも相談せず、その夜、上司の家へ行って、「天職が見つかったので転職します」と言ったのです。すぐ退職となり、私はこの社員わずか9人の会社に移ることになりました。入社したら、八景島との契約はなかったと言われました。その仕事が取れなかったのです。想像してください。上場企業に勤め、「君を守る」と言われて安心して結婚した人が、小さな会社へ行って、わずか1日で余剰人員になってしまったわけです。仕事がないのでトラックの整備をすることになりました。そのうち辞めるのではないかという目論見です。私は暗黒の時代を迎えようとしておりました。

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チャンス到来

1年ぐらいたった時に、提携会社の熱帯魚のブローカーさんから、「インドネシアに、グッピーなど熱帯魚の輸入で投資しないか」という話がありました。「英語ができるのだったら、社長について行って現地の事情を調べてこい」と言われました。「どこでも行きます!」と私は言って、5日後にインドネシアへ行きました。熱帯魚はおろか、ペットを飼ったこともない。それでも、海外へ行けるならと思って手を挙げましたが、行ってみてインドネシア人といろいろ話をしたら、その投資の話は結局嘘で、なかったことでした。 ただ運が良いことに、帰路に経由したシンガポールで、水族館に立ち寄ろうということになりました。私は名古屋で3年間飛び込み営業の経験があったので、お客さまで行くという感覚がなく、度胸とハッタリで「売り込みましょう」と先陣を切りました。 「私は日本から来た魚の専門家です。お宅の館長に会わせてください」と言いました。相手にすれば「何だこいつは」と思いますよね。けれども15分ぐらいしたら、会議室に通してくれました。そこにはオーストラリア人のブルース・マッカイ館長と中国人、マレーシア人などがいました。当時シンガポールの観光客は2割から3割が日本人で、せっかくだから日本の魚を展示しようじゃないかという会議をしていたところでした。そこへ全く魚を知らない私が現れて、「エキスパートが来た」ということになり、会議の席に座らされました。 魚はいろんな名前で呼ばれています。和名(日本名)は一つですが、コモンネームは英語で、イギリス、オーストラリアなどでばらばらです。唯一統一された名前は学術名であるラテン語です。この3つの名前があるのですが、私にはそのどれもわかりません。向こうは水族館の専門家ですから、ラテン語か英語がでてくるのです。わかるわけないのですが、私には営業魂がありますから、とりあえず、何か雰囲気があって「これ、できますか?」と聞かれたら、「キャン(できます)」と自信を持って言っておきます。するとみな「おおっ」となります。しかし、「キャン」を続けてもいけません。何かぼそぼそっと言われた時は、感覚的にむずかしそうだなと判断して「んー……」と言っておいて、「日本に持ち帰って考えさせてくれ」と言うと、相手は「おおっ、やっぱりこいつは知っている」と思うのです。私は全然わかってないのですから、帰る前に「すみませんが、ちょっとノートに書いてくれませんか」と言って、英語と学術名を書いてもらって日本に持ち帰りました。 当時は水族館ブームで、大きな水族館は直接漁師さんから魚を仕入れていましたが、同じ種類をたくさん展示するわけにいかないから、少し余っていたものもあるのですね。リクエストされた魚のなかに、うまい具合に少し余っているものがあったので、それをシンガポールに送って400万円の注文を取ってしまいました。 会社に戻ったら、これからオープンする熱帯魚のペットショップを全部任せるというありがたいお話をいただきました。そこから、いろんな国を回って、小さいカラフルなペットショップ用の熱帯魚を探すことになります。最初のころは売上などありませんでしたが、最終的に7年間で部下7人がつき、売り上げが年商2億5千万ぐらいまでになりました。ただし、会社というのはシビアなところがあります。私は日本初の変わった熱帯魚を仕入れたりしていたのですが、マニア向けの魚は儲からないのですよ。10万円で仕入れた魚が死んでしまうと1銭にもならないでしょ。だからマニアの魚を扱うことは会社にとって好ましくないことでした。経理部長にしょっちゅう呼ばれて、「お前みたいな自由人は安定した魚を売ることをもっと重要視しなさい」と、「珍魚にチャレンジするな命令」が発令され、私の居場所がなくなりました。

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「世界一のサプライヤーになる」

そんなことだったら自分で会社をやろうじゃないかと、10年あまりのサラリーマン生活に区切りをつけて、2000年にブルーコーナーという会社を立ち上げました。しかし開業ってむずかしいですね。お金が250万円しか借りられなかったので、水槽2本でスタートしました。これだけで商売できるわけはないですから、青空市に行ってカブトムシを売ったり、漁師さんが海から帰ってくると「食べられないめずらしいやつない?」と言って30円とか40円で魚を買ってマニアに売るしかなかったのです。1年ももたないだろうと思いました。恥ずかしながら、子どもの給食費も払えない状態で、どん底の生活をしていました。 そんな時、2001年にモナコで開かれる世界水族館会議に出席しないかというお誘いがありました。世界水族館会議は4年に一度、各地の水族館が持ち回りでホストになって開かれます。それぞれの水族館から専門家が、サメの飼育法やクラゲの繁殖の仕方、教育システムなどについてプレゼンテーションをしながら会議や交流をしています。 誘ってくれたのは展示課長のピエール・ギルスという人ですが、私は彼を全く知りませんでした。「どうして私に声をかけてくれたのですか?」と聞くと、昔、シンガポールで400万円の注文をくれて以来家族ぐるみのお付き合いをしていたブルース・マッカイが、「日本で最大の魚の納入業者がいる」と言って勧めてくれたそうです。ブルースは、水槽2本という状況を見ていなかったのです。モナコでは「そんなすごい奴がいるのか」ということになっていました。 会議には約450人の出席者がいて、日本人も60~70人いるのですが、英語の壁がありました。日本は展示技術や繁殖技術では本当に世界一で、アメリカもEUも視察に来ますが、言葉の壁があって日本人同士で固まってしまうのでアプローチしづらい。間に立って、お互い紹介する役割をしてほしいということで、私は15万円もかかる参加費を免除され、飛行機代だけで参加させていただきました。その飛行機代もなかったので、長女の貯金を下ろして、モナコに旅立ったわけです。この出席が、私の人生を大きく変えることになります。 会議では、いろいろな国の人がそれぞれ約20分間、プレゼンテーションをします。その中に、アメリカ人のフォレスト・ヤングという人物の発表がありました。彼は、カリブ海の海洋生物を世界中の水族館やペットショップに納入するパイオニアです。僕は今でも彼を尊敬しています。その発表は驚くものでした。

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(写真)
サメが映っています。ボンネットヘッドシャークといいまして、1メートルから1メートル20センチぐらいの大きさです。世界広しといえども、カリブ海にしか生息していません。つまり、供給できるのはこの男しかいないわけです。輸送費が結構かかり、一体百万円です。それをポルトガルや南アフリカなどに納入した時のレポートを発表していました。衝撃的だったのは、発表が大変ネガティブだったことです。「3日で死にました。1週間で死にました。1ヵ月で死にました。一番長くて10ヵ月で死にました」。1年以上生きた例がないのです。どうやって死んだかの報告もありましたが、ともかく「死にました」の連続でした。この人は馬鹿なんじゃないか、世界から集まってくるお客さまを前に「みな死んだ」という話をしたら、こんな高額なものを誰が買うだろう、この人は何を考えているんだろうと思いました。フォレストのプレゼンテーションが終わると、彼と話したい人が列をなして並んでいました。私は最後に並んで「発表は立派だと思います。でも、なぜあえてこんな場所で発表するのですか?」と尋ねました。たった一言彼が返した言葉がこれです。 「お前は何年この仕事をしていくつもりだ?」 私は自分の心が見透かされた気持ちがしました。海が好きだとか、海のスペシャリストになりたいとか、そのような気持ちはさておいて、生活もままならない、どうしたらよいのかわからない、そんな私の心を見透かすような言葉でした。すごいショックでした。そして本当に記憶が飛んでしまうほど恥ずかしかった。目の前が白くなって、その中をコツコツと革靴で歩く足音だけが聞こえていたのをまだ覚えています。自分は何のためにこの仕事をしていくのか、全く見えていなかったのです。右から左へ高いものを売って儲ける、それだけだったんじゃないかと。それをフォレストは見透かしたのだと思いました。 フォレストは何を目指しているのか考えました。彼がゴールにしていたのは、このボンネットヘッドシャークを世界中の水族館で1年でも、2年でも、5年でも長く生かして、繁殖させるまでもっていくことでした。そのために、正直なデータを各国の専門家にぶちまけることで、いろいろな所から意見を頂戴して、ゴールに向かって行くのだと。彼こそが、私が本当に目指すスペシャリストではないかと感じました。ビンタをされた思いと、そして本当にどん底なんだから、もうこれ以上落ちぶれるところはない、自分の目指すところはこのフォレストと何ら変わらないんじゃないかと、気持ちが一変したのがモナコの会議でした。日本に帰って、私はこの言葉を書きました。

(写真・文字)「世界一のサプライヤーになる」
世界一儲かるサプライヤーという意味ではありません。世界一信頼されるサプライヤーという意味です。サプライヤーとは、業界用語で、ペットショップあるいは水族館に生物を納入する業者の意味です。アルバイトの従業員が一人いる程度で、数店のペットショップに卸しているだけの会社だったのですが、「俺は世界一のサプライヤーになる」と、日本に帰ってきたときは鼻息が荒かったです。 私の気持ちはメラメラ燃えていました。ヤオハンが世界に羽ばたいたときと似ていたかもしれません。ヤオハンは従業員4人の熱海の八百屋だったのですが、「世界のヤオハン」といって23ヵ国まで伸ばしたのです。私は「規模ではなく、とにかくやり切るのだ」と思いました。世界のどの水族館、どのペットショップに聞いても、「あの人がだめだったら、諦めるしかない」と思ってもらえるようになろうと決心しました。今でも、この「世界一のサプライヤーになる」という言葉が、迷ったときに立ち返る核になっていて、すべての従業員さんに文字として見てもらっています。この言葉を胸に、私は毎日20時間働きました。何とかしようと必死でした。モナコから帰ってきたので、日本の魚を送ってくれないかというオーダーも少しずつ海外から確かにいただきました。

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160万円の補償

そんな中、補償問題という、また大きなできごとが起こりました。 リーフィーシードラゴンという、全長10センチ程度の小さい魚がいます。オーストラリア南部にしかいない魚で、当時1匹40万円でした。この魚に、アメリカのアトランタにあるムーディーガレンズ動物園の水族館から4匹のオーダーが入りました。魚をまだ手にしていないのに、スーパーのお寿司を買って前夜祭をして盛り上がりました。これで儲けられるんじゃないかと思い、正直、世界一のサプライヤーのことも忘れておりました。 生物を送っている業者は独自のルールを設けていて、商品の補償は業者が決めればよいことになっています。補償しない場合は魚だけぽんと送って、お金をもらいます。商品到着後24時間以内に死亡した場合全額補償することもあり、私もフォレストの言葉を聞いた後ですので、そのように設定していました。商品が100円であろうが40万円であろうが、ルールは同じです。届けて全部死んだら、会社は倒産です。発送後、お客さまから良かったとか悪かったとか連絡が入るのは2割で、あとの8割はレポートなしですが、それは無事に着いたサインです。2割が、「すごく良かったよ」、「ダメだったよ」、「呼吸が速いので少し様子を見させて」という話です。 さて、4匹を送りました。1週間たって、先方責任者のアランからメールが来ました。「オールデッド」(全部死にました)。いいですね、短い言葉で。どうすればいいんでしょう? 下に長い文が書いてありました。「私は責任を問われて、この動物園を追われる。コウジ、何とかならないか?」。やはりそういう話なのです。 すごく悩みました。24時間過ぎていますから、これは請求すべきでしょう。当然です、経営者なのですから。ただ、フォレストの言葉が頭の中に響き渡るのです。もしかして、送る前に私が「水温はこのぐらいにしてくださいね。明るさはこうした方がいいよ。水はこういうふうに」と説明していれば…。本当に十分に説明したのかと自問自答して、やはり説明はあまりしていなかった、高額なものをパッパッと売って処理してしまおうという自分があったと思いました。 返事を書くときに、書いては消し、書いては消して、わずか2行のメールが打てませんでした。結局3時半ぐらいになって「補償します」とメールを送りました。そうしたら、感謝の言葉が返って来ました。「コウジ、お前みたいなやつはいない、云々」。 全部補償した結果、実際、会社は危機に瀕しました。アルバイトをして生活をつなごうと思っていました。そんな時、アランからメールが来ました。「俺、動物園を辞める。コウジ、ありがとな。お前のことは忘れない」。アメリカ人はすごいなと、また思いましたね。何てドライなんだろうと。私はただのお人よしなんだろう。会社を経営する人間じゃないんだろうなと思いました。失意のどん底でした。 もうだめだと思っていた時、突然メールがきました。ボストン、シカゴ、ニューヨーク、ロサンゼルスといったアメリカの主要都市の大型の水族館から、このリーフィーシードラゴンの注文が続々と入ってきました。全部で42体、しかも見積もりじゃなくて注文なんです。「えーっ?!」と思いました。付き合いのなかったところからどんどん入ってくるのです。それで私はニュージーランド水族館の方に聞きました。「どうやって私のことを知ったのですか? 見積もりなしでいいのですか?」。「お前、AZAに名前出てるよ、みんなそれ見てるんだよ」という返事でした。私はそれまで知らなかったのですが、AZAとはアメリカ動物園水族館協会で、このリーフィーシードラゴンを補償したというストーリーが出ていたのでした。「おかしいな、接点がないのに」と思ったのですが、アランでした。今どこにいるかもわからないのですが、彼は辞める前にAZAに僕の話を伝えたのです。それを見たアメリカの業者さんたちが、こんな高額なものを補償する会社があるのだということで、見積もりなしの注文をくれたというわけでした。この魚は、野生の個体を取ってそれをすぐ送ることは禁じられています。ですから、水槽内で卵から育てたものしか流通させられません。繁殖の時期は1年に1回です。150匹の年もあり、20匹の年もあり、ばらつきが激しいのです。非常に幸運なことに、その年は120匹生まれて、みんなよく育ってくれたので、すべてアメリカへ納入しました。死亡個体や調子の悪い個体は1匹もありませんでした。補償付きで、しかも非常に良い商品を送ってもらったので、「おい、こんな日本人がいるぞ」と、さらに私の会社の名前はアメリカに広がりました。そして、リーフィーシードラゴンだけでなく、他の魚の注文も入ってきました。タイミングも運も、大変良かった話です。 会社は従業員が2人しかおりませんでしたし、社印もロゴもありませんでした。なかなか日本の水族館には出入りできなかったのですが、アメリカで実績ができると、それが日本にも伝わって、水族館や博物館の方から逆に声をかけていただいて納入できるようになってきました。「よし、もうやっていけるぞ」とちょっとした光が見えたのもこのころでした。夢中で働き、4年目ぐらいに年商1億円になりました。そして、どんどんアクティブに動き始めたのをよく覚えています。

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さかなクン

この時また影響を受けた男がおります。皆さんご存知の、ギョギョッ! のさかなクンです。私は彼が学生の時、東京のサンシャイン水族館で研修をしていた時からの知り合いです。私は業者として熱帯魚の売り込みに行き、たまたま彼に会いました。突然、「オキナワクルマダイを見たことがありますか?」と何のあいさつもなく話しかけてきた少年が彼でした。それから仲良くなりまして、今でも非常に良い刺激を受けております。そんなさかなクンですが、私の水槽がだんだん増えてきたときに、私の家に通ってくるようになりまして、一緒に船に乗ったり、海に潜ったりしました。彼がまだ帽子をかぶっていないころで、うちには泊める場所がなくて、私の子どものベッドに寝かせていました。 われわれの仕事は、売り上げのほとんどをペットショップに頼っています。売れて消費されて、どんどんオーダーが来るわけです。水族館は、納入して良い商品であればそんなに死ぬものでもありませんから、それほどオーダーがあるわけではありませんし、繰り返し同じ魚が売れるわけでもありません。ですから、ペットショップとの取引で1億円を売り上げていたのですが、この仕事は右から左へ、スピーディに動かせば儲かる仕事なのです。めずらしい魚が来ても、自分で調べるどころか、半日ぐらいで熱帯魚屋さんに持って行くので、その魚が何を食べるのかもよくわかりません。そのようなときに、さかなクンの影響を受けたのです。彼はマニアでもなんでもなくて、本当に、純粋に魚が好きなのです。 彼がうちに来た時、普通のカワハギが水槽で泳いでいました。彼はカワハギをこれだけ褒めるか、というぐらい褒めるのです。「正面から見たらかっこいいじゃないですか! 横から見たら可愛いですけど、後ろから見たら本当に素晴らしいです!」と、みな同じ意味だと思いますが、とにかく褒めるのです。で、「名前の由来はこうなんですよね、食べたらこうなんですよね。こういうのが素晴らしいですよ、歴史的にこういう風に使われたんですよね」と、とにかくその生物の良い所をすべて紹介していくのです。普通は同じものだと飽きますが、彼はずーっとそれを語っていくのです。今も20年前の彼と全く変わっていません。こんなに素晴らしいことはないと思います。本当に魚が好きだし、メッセンジャーとして褒めまくる。私は彼を本当に尊敬しています。

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「海の手配師」

ペットショップの売り上げは、おそらく3億、4億と伸びたでしょうが、その先に見えるものは、魚を見ずして右から左へ流す自分でした。さかなクンの影響を受けたので、彼にどうやって勉強したのか聞きました。彼は小学校4年生ぐらいからタコに興味をもったそうで、タコの本を書いている先生に直接電話をして正確な情報をもらうという、シンプルですがなかなかむずかしい方法で勉強していました。私はそれにヒントを得て、本を書いている有名な人のところに会いに行きました。仕事を休みにして、いろんな大学や博物館に行きました。「先生、教えてもらえませんか」と行くのですが、なかなか相手にしてもらえません。そこで私は営業魂で便利屋になろうと思いました。「先生、何か困っていることはありませんか? 来週からスリランカへ行くのですが、何か探しているものはありませんか?」と近づくと、「ああ、そうだね、死んでるから1匹3千円だけど、探してきてくれない?」となるので、スリランカの市場で探してくるのです。3匹9千円で、スリランカから東京の博物館まで私が運ぶのですから、輸送費もかかりません。こちらは超赤字ですが、それを持って行ったことで、その魚の話をまた沢山聞くことができる。そのうちひょんなことで「お前、おもしろいな。あの先生がオーストラリアで魚を探していたから、集めてくれない?」という風にどんどん広がりまして、幸運にも、魚について教えてくれる先生がどんどん広がりました。水族館も博物館もつながっておりますので、紹介をいただきながら、水族館納入が増えていきました。売り上げは見事に4割減っていったわけですが、「海の手配師」という名前で呼んでいただくようになりました。 11年前、TBSの「ブロードキャスター」という番組で、変わった仕事をしている人がいる、マイワシを江の島の水族館に運んだり、いろんな魚を運んでいるということで、シリーズもので出演しました。「魚の手配師」という洒落た名前をいただいて、毎回、「この人がいないと、世界中の水族館が困るんです」というフレーズで始まりました。そんなことはないので、ちょっと待ってくれ、と言いたかったのですが、番組の出演者は出る前には内容がわかりません。視聴者は信じますから、それなら立派になろうと思いました。この番組に出てから、危険を冒して生物を運ぶ人がいるということで、テレビに取り上げられたりもしました。今は、週に3~4回ぐらいマスコミの仕事をしていて、年間230本ぐらい出ています。マスコミの露出でビジネスも広がりまして、海洋生物をただ納入する以外に、VTRの解説をしてくれないか、スタジオに生物を持ち込んで紹介してくれないか、タレントと一緒に何かしてくれないかというお話が増えてきました。

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魚に興味がない人のための水族館を

11年前に吉本興行が横浜に「よしもとおもしろ水族館」を開きましたが、さかなクンの紹介でそのプロジェクトにも参加しました。よしもとデベロップメンツ社長の比企さんという方が水族館の館長を務められて、わずか90坪で水族館を作るのですが、どういう水槽にして、どういう展示をしたらよいか、会議をしていました。私は今までの経験からいろいろな案を出しました。ところがある日、館長から「石垣さん、会議にはもう参加しなくていいですよ。迷惑なので」と言われました。「迷惑」とは何だと思いましたら、「石垣さんのアイデアはね、魚好きの人が喜ぶ水族館を目指している。そいういうのは止めてほしい。水族館の来館者の9割は魚なんか興味ありませんよ。あなたのように、1割しかいない魚好きの人のために水族館を作ったら、事業は失敗します。だから、もう発言しないでください」とはっきり言われました。ショックでした。当時私は、水族館とは魚好きが集まる夢のワンダーランドだと思っていました。私は魚が大好きだったので、館長の言葉がショックでショックで、さかなクンと二人、飲んで荒れました。しかし、冷静に考えると、横浜の中華街は中華料理レストランしかない場所です。そこに来た人が、涼しいからちょっと行こうとか、1400円で安いからちょっとデートに行こうとか、そう思って行く場所かもしれない。だから、われわれの役目は、魚に興味のない人々に対して、魚の魅力をどうやって伝えるかかもしれない。さかなクンと二人でいろいろな話をして、考え方を180度変えることにしました。このできごとは、深海水族館を作るときに本当に役に立ちました。

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写真では、犬小屋にフグが入っています。このフグはコクテンフグといって、黒い点がぽんぽんっと入っています。面白くもなんともないでしょう? ところが、おもしろい所が二つあって、一つは車の車庫入れするときのように、岩組みしてある浅い海へ尻尾からバックで入っていくのです。もう一つは英語名がドッグフェイスパファーだということです。犬の顔をしたフグ。これだ! と思いました。犬小屋を設置すれば、バックして入るだろうと。犬小屋の入口には「ポチ」と書きました。ペットショップでは売れない千円ぐらいのこの魚が大人気で、水族館のスターになりました。このように光の当て方を変え、今まで見向きもされなかった魚を使って、当時90パターンの展示を作り、90坪の水族館が初年度で24万人の入館者を集めるという、水族館ではあり得ないような状況になりました。 それ以降、テレビで魚について伝えることが増えました。海外のロケでは、タレントさんをいろいろな国へ連れて行きながら、水中でカンペを書いて渡し、コーディネートしました。CMや映画、ドラマでも、かっこいい女優・男優のバックにクラゲが登場するシーンを扱いました。クラゲはすべて養殖ものです。クラゲは海で捕ると形が崩れているものが多いので、収録4ヵ月前から綺麗な形に育てるのです。このように、用途にあわせて海洋生物を扱ってきました。テレビで伝えるのも、水族館で伝えるのも、魚の伝え方は似ています。テレビを見ている人も、魚が好きだから見ているわけではありません。横浜の水族館と同じです。短く、わかりやすく、魚の印象をどうやって伝えるかを、テレビや横浜の水族館を通じて勉強させていただきました。

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沼津港深海水族館

そしていよいよ4年前に、沼津港深海水族館を立ち上げることになります。これを作るにあたって、いろいろな思いがありました。私はブルーコーナーという会社をやっていますが、売り上げの6割は輸出でした。4割の国内売り上げは、博物館、大学、ペットショップですから、地元の企業、お客さまとの結びつきがなかったのです。隣にある工場で何を作っているか、工場長が誰か、何もわかりません。魚の仕事を通じて地域で何かできないかと、ずっと考えていました。 2011年3月には東日本大震災が起こって、私の地元の下田でも観光客が誰も来なくなって、人が減り、学校も統合され、町がゴーストタウン化しました。今でもひどい状態にあるのですが、その時に、ボランティアで町を盛り上げる運動をしました。3年ぐらい続けたのですが、ボランティア程度では核がなければなかなか盛り上がりません。例えばライバル同士の建設業者さんが3、4社あったり、ケーキ屋さんが2、3軒あったりするとなかなかうまく行かず、自然解散してしまいました。沼津港は百年の歴史を持っているのですが、だんだん売り上げが減っているので、港がさびれてしまって、やっぱりゴーストタウン化している。沼津市は平坦で津波の影響を受けやすいこともあって、静岡県でも人口流出が第一位なのですね。全国的に見ても上位に入っている。 そのころ、2010年でしたが、私は佐政水産会社という、百年の歴史を持つ会社の専務さんに会いました。初対面でしたが、地元の人がとにかく自慢できる施設を作って、人を呼べるようにしたい、何とかここを盛り上げていきたいのだと専務さんは言われました。下田ではありませんでしたが、やはり伊豆半島の入り口ということで、よし、ここに世界から呼べる施設を作ろうと思ったのが最初です。ところが初めて会った人ですし、契約書もない。いくらかかるかもわからない。図面もなければ、銀行からいくらお金を借りるかもわからない。何もないのに、「よし、やりましょう」です。私は妄想男ですから、こんな水族館をやろう、と勝手にどんどん計画を進めていました。 2011年12月にオープンすることは決まっていました。その半年前に京都水族館がオープンし、半年後に墨田区のスカイツリーの水族館がオープンすることも知っていました。そのちょうど1年の間に沼津港です。今、沼津の人口は20万人を割っています。日本は120ヵ所近い水族館がある水族館大国です。わずか150坪で、駆け足で行ったら5分ぐらいで終わるような小さい水族館に、京都とスカイツリーの間の沼津までどうやったら人に来てもらえるのか、真剣に考えました。地元のゆるぎないものをフィーチャーしてやるしかないと思いました。これが深海水族館です。沼津の目の前の駿河湾は、水深2500メートルで、日本一深い湾です。2位は相模湾、3位は富山湾ですが、1位というのは断然強いでしょう? そして、見上げれば日本一高い富士山があります。沼津には2つの日本一があるわけです。真似したくてもできないわけだから、それを生かさない手はないだろうと。徹底的に深海に焦点を当てながらやっていけば、必ずや世界から人を呼べると、また妄想が始まりました。深海魚を長く生かした実績は私にもありませんでした。ですが、いいアイデアとしてみなさんも使えると思いますが、先に決意表明をするのです。「深海水族館」という名前を先につけてしまいました。オーナーには事後報告で、報告すると、「いいんじゃない?」ということでした。実績はないのですが、私はもう逃げられません。オープンまでには1年3ヵ月か4ヵ月しかありません。お金が足りないので、行政に関わってもらおうと、静岡県と沼津市に説明に回りました。「深海水族館をやるので、ワークショップに参加しませんか」と建設し始めてから言うと、「シーラカンスって何ですか? 深海魚ってなんですか?」という反応です。観光課などいろいろな人が仕方なく来ましたが、私が説明している間、ほとんどの人は寝ていました。現在、入場料は1600円ですが、「800円ぐらいでいいんじゃないですか。年間7~8万人来ればいいほうでしょう」、「マニアックすぎますよ、石垣さん、趣味でやられたら困りますよ」と言われました。地元には非常に不人気で、ほとんどの方が失敗すると予言しました。

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深海水族館の演出

深海水族館が成り立たないのはなぜかというと、深海魚は動かない。1週間ぐらい動かないし、ひっくり返ってる奴もいて、死んでいるのではないかと思われる。お客さまは動かないものに興味を持ちません。そして、深海魚は光が苦手なので、水槽が暗い。さらに、背景がサンゴ礁のようにカラフルではなく、砂漠みたいなところに岩がちょっとあって、地味です。地味な背景に、暗くて、生物は動かない。誰が来るのでしょう? 成り立たないと考えるのは当たり前です。おまけに、深海生物を長く生かせる実績は誰にもありません。痛いことに、5月半ばに深海底引き網は禁漁になります。7月、8月の夏休みは水族館に最も人が来るときです。この書き入れ時時に漁に出られないのです。これだけのマイナス要因があったので、目をつむって「えいっ」とスタートするしかありませんでした。今は深海魚を長生きさせられますが、最初はなかなか生かすことができませんでした。深海魚の知名度も低いものでした。 ではどうするか? こんなの誰も見に来ないと、思い切って深海生物の価値を否定しようではないか、ということになりました。ではどうやってこの生物をわかりやすく、可愛らしく、かっこよく演出すればよいのだろう? ここからは、演出家の頭に切り替わります。ポイントはどのビジネスでも一緒です。「どうやったら女性客に受けるか」です。グッズだってそうですが、女性に受けなければヒットとはいえません。深海生物はマニアックなもので、ほとんどの人に知られていませんでしたが、一部のコアなファンはいるのです。その方々を引っ張る自信は多少ありました。ただし、女性がそれほど興味を持つとは思っていませんでした。そこで仕掛けをいくつか作りました。まず、水槽の照明の仕方です。深海生物は暗い方が良いのですが、私は約30種類、光の当て方のパターンを持っています。

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これは体長2.2メートルのカグラザメという深海のサメです。通常なら、世界初の深海サメの展示というので、これでOKです。必ずマスコミが来てくれます。でもそれではだめなのです。まず光の演出です。一番左から赤、ブルーが少し入り、グリーン、オレンジときて、普通の照明が入ってきます。深海生物は色がありませんから、カグラザメが通るにつれて違った色が見えるように工夫してあります。水槽に光が一様に入らないように、光が入り込む場所も指定してあります。照明は30パターンありますから、隣同士はかなり違うように配列できます。舞台が好きで今もよく見に行きますが、水槽も舞台芸術のような演出です。光があたっている場所に深海生物がいつもいる必要はありません。光の中に深海生物がぱっと入ってきたら、「おお!」と驚けばよいのです。舞台の演出と同じです。 次に音楽です。音楽は、それぞれの生物、それぞれの展示のテーマに沿って、オリジナル曲を作って、その曲が上から流れてくるようにしています。音はかぶらないようにしてあります。1つの曲で深海水族館を表すのではなくて、ダイオウグソクムシの曲があり、ヒカリキンメダイの曲があるわけです。水槽の前に立てば、見ているものと音楽で立体的に楽しめるのです。見てもつまらないのだから、耳で楽しませようということです。 浅い海と深い海の比較コーナーも設けています。写真を見ていただくと、暗い水槽と明るい水槽がありますね。水槽には同じ種類の生物が入っています。エビとエビ、ナマコとナマコ、アンコウとアンコウなどを浅い海と深い海で比較しています。光のコントラストも出ますし、深海生物は何が特徴なのか、同じ種類を比較することで、わかりやすくなっています。例えば、エビで何が違うかというと、深海のエビはひげ、つまり触覚が長い。なぜかというと、暗くて目が効かないので、センサーである触覚が発達するのです。このように、答えは書いてありませんが、「比べてみて、その共通性や違いを見てみましょう」とあります。自分で答えを考え出しながら見ていくという、大人の水族館です。 生物を見てもつまらないので、ぬいぐるみやキャラクターが置いてあります。ダイオウグソクムシのぬいぐるみはヒットしました。55センチですが、6300円もしました。私も監修に入りながら製作に1年半かかったのですが、メーカさんから「こんなものが売れるのか、引き取ってほしい」と言われ、153個引き取りました。やばいと思って、ツイッターで2回ぐらいつぶやいたら3時間で売り切れました。水族館に入らないと買えなかったのですが、買ってくれた方々のほとんどが女性客でした。びっくりしました。抱いて寝る方もおられました。ぬいぐるみやキャラクターから深海生物に興味を持つのもありだなと思いました。

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オンリーワン戦略

そして、最も大事なのは、オンリーワン戦略です。日本には水族館が120ありますから、沼津港へ来る意味を持たせなければならない。ここでしか見られないものが必要です。そのひとつがシーラカンスです。シーラカンスは1991年以降、商業取引が禁止されています。その規制が入る前、1979年に日本シーラカンス学術調査隊が捕った5体の本物のシーラカンスの標本を展示しています。生物の規制は、鱗一枚であろうが、生きていようが死んでいようが、関係ありません。その生物であることが証明されるものはすべて禁止です。かつて、シーラカンスはかつて26種類おり、浅い海や川にもいたのですが、25種類は絶滅して、今生息しているのは、深海に住むこのラティメリア・カルムナエしかいません。深海の安定した環境に助けられて、深海生物は変化することなくずっと安定して生き残るということを表現したくて、ちょっと先走ってこの死んだ魚を数億円で買うという暴挙に出て決意表明したのです。その後、女房の姿が見えなくなりました。まあ、聞いてくれないですよね。 深海水族館という名前そのものも、シーラカンス・ミュージアムもオンリーワン。オリジナル音楽を作って流しているのも日本で唯一です。さらに、芸人解説パフォーマンスという、むずかしい深海生物をベテランの語り手に伝えてもらう戦略を考えました。水族館の飼育員さんは当然、海洋学や生物学を専攻した専門の方ですから、私は100パーセント異端児です。むずかしいシーラカンスをはじめとする深海生物について、その私が伝えようとするわけですから間違いがないように、専門用語が混じってもわかりよくするためにどうしようか考えました。みんなでミーティングしながら、お笑いの「やるせなす石井ちゃん」に頼んで、彼のバージョンでシーラカンスや深海魚を伝えるパフォーマンスを4年間続けています。これも新しい試みです。 日本初、世界初の深海生物もどんどん取り入れています。私たちの特徴は、深海生物を実際に捕りに行くことです。シーズン中、私は週3~4回、2時に起きて3時には船に乗ります。帰ってくるのは夕方4時か5時です。スタッフも船に乗せますが、ずっと乗っているのは私だけです。なかなか次のスタッフが来なくて、気付いたら私ひとりだったこともあります。展示物を捕りに行くのは非常に大事で、1日で百種類以上の深海生物が揚がります。元は食用の魚の漁で、半分ぐらいは食用にならないので海に帰す中に、私の宝物が一杯あるわけですね。わざわざ何十万円も払って船をチャーターして、どけ!とか言われて、要らないものを生かすようにして私たちは持ってくるのです。ただ、揚がってきたものを手にした時は不思議なもので、わが子のように、絶対こいつを生かしてやろう、アイドルにしてやろうと思うのです。同じ種類なのに、こいつだけは、と思うのです。展示物に愛情を込めるために、15時間トイレに行けないので、女性の飼育員でもオムツをはいて船に乗っています。 地元の漁師さんとの連携は非常に大事です。一緒に乗って2~3年ぐらいたったら水族館を一度ぐらい覗きに来てくれてもよさそうなものですが、漁師さんは来ないものです。ところが、人気のアイドルが来たとかテレビで放送してくれると、娘さんにせがまれた漁師のお父さんが渋々一緒にやってくるのです。それで、娘さんが「あ、テレビで見たやつだ!」と言い、お父さんが「これは俺が捕ったんだ」とはじまるわけです。すると「お父さんすごい!」と初めて娘に褒められるのです。今、底引き網の漁師さんは高齢で、一番若い人が54歳、一番上は90歳ですが、お孫さんや娘さんに褒められて、「初めてだ」と泣くのです。それからは、漁師さんの気持ちががらりと変わってしまいます。「館長、こうやったらいけるんじゃない?」と提案してくれて驚いたり、今は地元の底引き網の漁師さんと水族館の人間が思いをひとつにして、新種の発見や生物を生かす方法が随分伸びています。これもオンリーワン戦略でどんどん自分で捕りに行っている強みだと思います。

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深海水族館のこれから

深海水族館のお客さまはオープン時に24万人でした。2年目は26万人、3年目は42万人、4年目の今年は年末までで45~48万人を見込んでいます。水族館で右肩上がりはなかなかないと思いますが、お客さまの支持は私の想像以上で、3年2ヵ月で累計百万人を達成しました。客層・年齢層はさまざまです。小さい子も深海生物に詳しいよね。深海が当たり前になる時代です。しかし、地元のお客さまは25パーセントしか来ていません。目の前にあるからあまり価値を感じないようですが、地元の人が自慢できるようにやっていきたいと思います。港にあまりバスが停められないので、団体比率は4パーセントで、96パーセントが個人客です。マスコミに結構取り上げられていますし、深海を扱った漫画やお菓子にも協力させていただいています。 これからの水族館ですが、初心に立ち返って、沼津を深海の聖地として、地元が自慢できるような施設を目指したいと思います。深海生物を繁殖したり長期飼育したりして、深海生物の中心地であることが大事ですが、世界から人を呼ぶ観光施設としても大事だと思っています。旭山動物園に行ったとき、ラーメン屋に寄りました。ラーメンを食べていると隣のおじさんが、「あんた、動物園へ行ったか?」と尋ねるので、「これから行くんですよ」と答えると、ラーメンを作っているおじさんが振り返って、「半日で足りるか? 一日ぐらい行った方がいいぞ」と言うのです。「地域が自慢できる施設ってこういうところなのだな」と思いました。沼津の深海水族館もそうした施設として広げたいと思っております。 深海水族館とともに、私はブルーコーナーというサプライヤーもやっています。今年の4月から規模を少し大きくして、深海の部屋を作って研究にも取り組んでいます。スタッフ全員が英語ができるように、毎週外国人講師を招いた英語研修も始めています。一緒にフィリピンへ行って、魚を捕らせたりもしています。去年、一昨年は、発砲されたりもしましたが、それも良い経験です。スタッフもクラゲ捕りに行ったら発砲されたので、「社長の言ったことは本当でしたよ」と言ってましたけど、スタッフにも国際的な経験を積ませて、世界一のサプライヤーを目指しています。 最後に、私は目標に向かってやっているわけですが、孤軍奮闘して何の目的を達成できるものでもありません。会社は私がひとりで立ち上げましたが、今は従業員が20人いて、全員で21人の会社です。スタッフ全員、また関係者、お客さま、すべての人と協力しながらやることが大事です。そう本当に思ったのは、2004年、世界水族館会議の時でした。ポルトガル・リスボン水族館のジョアオ館長が20分間のプレゼンテーションを行いました。プレゼンの最初に「水族館で飼育のもっともむずかしい生物は何ですか」と問いかけられました。場所はアメリカのモントレーで、600人ぐらいの参加者でした。会場に座っているのは国ごとではなくて、例えば、タツノオトシゴの担当者、クラゲの担当者、サメの担当者が固まっていて、それぞれ自分が担当している生物に決まっていると思うのです。ざわざわする会場を、ポルトガル水族館の館長はニヤニヤしながら見ていて、そして言いました。「人間です」。 「あの人が言ったからこうしなきゃいけないけど、本当の意図はここにある」とか「こうしたいんだけど、でもなあ」とか「俺はクラゲの担当だから、クラゲには口を出すな」といったことはいくつもあるわけです。海外に行くと人種が違いますから、大ゲンカしています。揉めているチームの展示は、やはり荒れているのです。水族館の展示は「思い」だと思います。「どういうふうに見ていただきたいか、何を伝えたいか」という思いなのです。展示のバックにいる人の思いがずれているときには、展示が荒れます。自分が納入した世界中の水族館を見て回って、「すごいな、この展示」と思うと担当者に会わせていただくのですが、出てくるとみんなにこにこして、「いやあ、実はこれはこいつのアイデアなんだ」とみんな譲り合って、チームワークが素晴らしく良いですね。それが如実に展示そのものに出ます。深海水族館もブルーコーナーもそうですが、目標は決まっていますから、そこに向かって気持ちをひとつにして、地元が自慢できる施設、世界一のサプライヤーを目指して、これからもやっていこうと思っています。 べらべら喋りましたが、私は何ということもない、学位もない、ただ田舎で生まれた少年の時となんら変わっていません。みなさんも「これやりたいけど、できないんじゃないか」ということは、いくつになってもないと思います。ただ、物事をなすには、人とのチームワークが一番大事なのではないかと思います。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
引き揚げられたとき一番うれしかった生き物は何でしょうか? 

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石垣さん:
ラブカですね、深海ザメの。去年船に乗っているときに初めて捕りましたが、その時はもう、すべてを忘れました(笑)。誰よりも先に噛まれたい、元気なうちに噛んでもらおうと思っていたので、ラブカを手にしたときには記憶がとびましたね。それぐらい嬉しかったです。

フェリシモ:
今回の神戸学校のポスターもラブカですか? 

石垣さん:
そうです。私が自慢げに持っているでしょう? あれがラブカなんです。1年で1匹揚がるかどうかですからね、そこに出くわして、わが子のように捕りました。強烈な印象でした。

お客さま:
水圧・温度の違う水槽の中で、深海生物はなぜ生きていられるのでしょうか? 

石垣さん:
みなさん一番気になるのは、水圧だと思います。口から浮き袋が出て死んでいる深海魚を見たことがあると思いますが、水圧の影響を受けるのは気体、ガスなのです。魚でしたら浮き袋です。浅いところに引き上げられると、浮き袋がぼっと出て、水槽へ運ぶ前にすでに死んでしまうものもありますが、実は水圧は液体にはほとんど影響がありません。タコ、イカのように体内に気体を持たないような生物、シーラカンスもそうですが、浮き袋の中に油などの液体が詰まっているような生物は生きています。 水族館では、水圧をかけるのは装置にお金がかかりすぎることもあって、水圧はかかっていないのですが、それ以外の深海に近い環境、暗いとか、冷たいとか、水質とかに気をつかっています。ゆっくり上げれば生きるかと何度も試みたのですが、ゆっくり上げると明るくて水温の高い状態に長時間置かれるので、深海生物は死んでしまいます。ですから、一気に上げて、若干膨らんでいるものは注射器でガスを抜いたりして補助して、水槽に戻しています。

お客さま:
長年、魚と向き合っている中で、魚の気持ちがわかるようになりましたか? 

石垣さん:
わかりません。だから困るんですよね。魚は表情がわからないので、輸送していても調子良いのか悪いのかは、呼吸するスピードとか、興奮すると変色しますから顔色というのか、そういうことから判断しますが、なかなかわかりません。

お客さま:
私は水族館に就職をめざす大学生です。石垣館長はどんな人なら「こいつを雇おう」と思いますか? 

石垣さん:
水族館の飼育員さんは、今すごい人気でして、たくさん研修員の方も来ておられます。飼育員さんの就職試験を受ける人は、水産生物を勉強してきた人がほとんどですが、私が重視するのは、まず、水族館が大好きな人、そしてそこに来る人を楽しませてあげよう、伝えよう、というサービス精神の旺盛な人です。

お客さま:
講演の中で、「人のつながり」というキーワードが何度か出てきましたが、それを築く際に大切にしていることはありますか? 

石垣さん:
信頼を裏切らないことだと思います。「俺を信頼してくれ」というような信頼ではなくて、その人がどうやったら喜ぶか、感動してもらえるかを常に考えることです。それから、期待を裏切らない、嘘をつかない。基本的なことですが、ひとつひとつの信頼で良いつながりができると思います。

お客さま:
僕は水族館に就職するために専門学校で勉強しています。石垣さんは、生き物の飼育と人とのかかわり、お客さまと話すのとどちらが楽しいですか? 

石垣さん:
むずかしい質問ですね。両方ですね。私は水産を勉強しなかったので、今度は水産を勉強してみたいと思っているのですが、飼育は時間をかけて生物と向き合って発見することが多いし、話を聞くのと自分で発見するのとは全然違うので、もっと飼育にのめりこみたいなという自分もあります。一方、オープン前に水槽が汚れていないかどうかは見ますが、実は水槽を見ているお客さまばっかり見ています。お客さまのリアクションを見て展示のやり方を考えているので、両方ですね。時間さえあれば、両方を追いかけて行きたいと思います。

お客さま:
深海水族館にはいろいろな種類の魚や貝がいると思いますが、それぞれに適合した餌をどうやって見つけて、入手して、どのようなやり方で給餌しているのでしょうか? 

石垣さん:
そこが私たちの苦労するところです。どんな餌を食べるかは情報がないこともあります。タコならカニを好むだろうというところからスタートします。メンダコといって耳がパタパタした可愛いタコがいますが、甲殻類しか食べないという文献しかなかったので甲殻類を与えてましたが、全く食べてくれませんでした。死んだタコの胃袋を見るとゴカイ類があったので、ゴカイ類を与えると食べてくれました。まず、食べるだろうというものを与えて、食べなかったら別の種類のものをつぎつぎに与えます。ただ、目の前でバンバン食べない生物が多いですから、残念ながら死んでしまったものの胃袋を開けて何を食べたかを調べることをしています。おっしゃるとおり、手探り状態です。

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お客さま:
なぜラブカにこだわるのですか? 他にもサメはいると思いますが。

石垣さん:
かっこいいからです。こんなかっこいい魚がいたのかと衝撃でした。海の生物はみな好きですが、ラブカに似たサメがいないのです。私は「ラブカの前にラブカなし、ラブカの後にラブカなし」という格言を作りました。エラ穴からエラが飛び出しているとか、歯が三つに分かれているとか、「これ何?」と思わせるようなあのフォルムが大好きで、深海サメの中でもラブカには格別な思いがあります。

お客さま:
私は水産会社に40年勤めていましたが、まだ深海魚を食べたことがありません。深海魚はおいしいのでしょうか? 焼いて美味しいのか煮ておいしいのか、刺身で食べられるのか教えてください。

石垣さん:
深海魚は沼津でも百年の歴史がありますが、食用としてあまり流通しませんでした。今は深海水族館の周りに5軒のレストランがありまして、深海魚が食べられます。ひとつは焼き、ひとつは寿司、ひとつは天ぷら、ひとつは丼、ひとつは深海バーガーです。料理法は別としても、キンメダイなど白身であっさりしているのは有名ですが、油が強いのは流通しにくいです。焼きでも刺身でも食べられるのは多いと思います。9月から漁期が始まりますので、沼津港に注目していただいて、活用していただければ大変うれしいです。

お客さま:
タコはどうしたら捕れますか? 

石垣さん:
タコはメンダコでいいですか? メンダコを生かそうと思っていろいろ試みているのですが、飼育にはなかなか成功せず、最長で27日間しか生きていません。最初は3日しか生きませんでした。捕り方は、唯一、底引き網漁といいまして、1時間ぐらい底を引いてきて、その網の中にメンダコが入っているかどうかということです。メンダコは体がぶよぶよで、網の中にトゲの鋭いエビとかが入っていると、体が擦れて破れてしまいます。なので、今、メンダコを長く生かす方法をふたつ考えています。ひとつはかご漁で、確率は落ちるのですが、籠の中に入ってきたメンダコを揚げれば擦れがないでしょう。もうひとつは、卵を持っている個体もいるので、卵だけを採って繁殖まで持っていく。これは簡単ではありませんが、卵から赤ちゃんを孵して育てれば、長期的にうまくいくのではないかという妄想を持っており、大学と連携しながら頑張っています。

お客さま:
沼津港深海水族館に行く最も良い時期はいつでしょうか? 魚のコンディションベースでお願いいたします。

石垣さん:
水族館としては、一年中魚のコンディションを良くしなければいけない立場ですね。この水槽にはこの魚だけ飼おうと決めていますので、3年とか、わりと長く生きている魚もいて、コンディションはかなり一定してきています。種類で言えば、漁期の11月~12月、あるいは3月~4月は水温が適当で海も荒れませんから、他の時期にはあまり見ることのできない生物を展示できることが多いと思います。

お客さま:
カイコウオオソコエビは水族館に持って来れますか? 

石垣さん:
私たちの水族館で捕獲しているのは、水深2百メートルから千メートルです。それより下の生物に関しては、漁具が届かないのです。釣り、籠、底引き網、刺し網とかで捕獲しています。延縄は1200メートルまで届きますが、それ以下のものは捕れないので、今のところ入手する方法はないですね。潜水艇を持っているジャムステック(JAMSTEC 海洋研究開発機構)などの機関と提携できれば可能性はあるかもしれません。

お客さま:
一番深い所はどこまで潜ったことがありますか? 

石垣さん:
スキューバダイビングのガイドをしていたことがありますが、普通の圧縮空気だと60メートルまでぐらいしか潜ったことはありません。人間として深海にはなかなか行き着けないので、最近はカメラを千メートルとかに沈めて映像を撮ろうとしています。

お客さま:
深海生物を捕るときは、網が多いですか? 

石垣さん:
そうですね、網か籠か釣です。釣りでは、400メートルから1200メートルぐらいに設置して、底建て延縄というのですが、250本から300本の針のひとつひとつにイワシなどを付けて、そこにかかる深海魚を捕ります。釣は魚が擦れないので、良い状態で入手できます。

お客さま:
石垣館長がまだ知らない生き物はどれぐらいいるのでしょうか? 

石垣さん:
いっぱいいると思いますよ。最低週に1回、船に乗って底引き網漁に行っていますが、毎回知らない生き物が登場します。ほとんどが食用にも何にもならないような、形を見ても何の仲間かわからないのですが、毎回出てきますので、まだまだ紹介できていない深海生物は沢山いると思います。

お客さま:
宇宙に行ける時代でも、深海の一番深い所にまで行けないというところにロマンを感じます。石垣さんの想像するまだ見ぬ深海は、どんな世界が広がっていると思われますか? 

石垣さん:
行ってみたいですね、潜水艇に乗って。ジャムステックさんが開発中の最新鋭潜水艇「しんかい12000」では、本当に地球の最深部に行けるようになります。開発にはあと8年か10年かかるといわれていて、生物学者は3人乗れるというお話です。何とかみなさんで署名運動をして、その中に入れていただきたいなと思っています(笑)。 海の最深部がどのようになっているのかは、わからないですね。夢のワンダーランドが広がっているような気がします。1万メートルを超えると何も生きていないと思われますが、意外と酸素濃度が高かったりして、生物が映像で捉えられていますから、ぜひこの目で見て記録したいなと思っています。

お客さま:
最近発見された深海の秘密はありますか? 

石垣さん:
いろいろありますが、例えば、キホウボウという、トゲが鬼の角ように出ている生物がいます。文献によると、砂の中から餌を掘り出して食べるということになっていますが、実際そのようなことはしません。こういう形をしているからこうだろう、という想像の中で伝えられていることもあると思います。深海水族館を始めてまだ4年ですが、深海生物が持っている生態を、逆にこちらからひとつひとつ伝えられたらいいなと思います。

フェリシモ:
沼津港深海水族館では、深海をイメージしたCGを流されていますが、どのあたりを工夫されていますか? 

石垣さん:
ちょうど7月18日、「深海の世界」という新しい展示コーナーをオープンしました。深海ファンも増えていて、5千メートルの深海はどうなっているんだろうとか興味のあるところですが、撮影する手段がないので、ひとつひとつCG化して、それに動きを付けて物語化して発表しています。なかにはフクロウナギのように、どんな映像をみてもどんな動きをするのかわからない生物もいます。その場合は、類似生物の動きに近づけながら作っています。ゴブリンシャークという、口が飛び出した魚がソデイカを食って逃げていくのですが、一番最後に、ダイオウイカのでっかい目が見えて、ソデイカを食べたはずのゴブリンシャークが捕えられて闇夜に消えていくという物語を作りました。私たちが捕獲できないものをCGで伝えています。

フェリシモ:
先日沼津港深海水族館におじゃましたのですが、何時間もいられるような楽しい所で、展示の文字も読んでみたくなるものが多かったです。表現の仕方などにどのような工夫をされていますか? 

石垣さん:
初めに気をつけたのは、真っ暗な水槽にしないことです。全国の水族館でも一部に深海生物の展示コーナーはあるのですが、共通しているのは、天井からの光や水槽からの光が暗くて、ほぼ真っ暗な状態です。そうすると見ていただけないので、ちょっとした工夫ですが、隣同士の水槽に2センチから5センチの段を付けました。一歩一歩目線を変えることで足を止めてもらいます。また、直線を作らず、常に曲線で作っているので目線が変わって、ひとつひとつ足を止めてもらえる。ほんの些細なことですが、コーナーが変わると大理石調の覗き窓の色が少し変わっていくとか、水槽のレイアアウトも、本物を使うことによって、深海の環境を演出するとか。細かい所ですが少しでも工夫して、一個だけでも「なるほど」と足を止めてもらうことを工夫しています。

お客さま:
日本にシーラカンスはいるのですか? 

石垣さん:
いやあ、一緒に夢をみましょうよ! 残念ながら化石は見つかっていないのです。だから、日本にはシーラカンスはいないだろうということなのですが、深海のロマンですね。深海の一番の魅力として、「深海は見えないからおもしろい」というのを掲げてスタートしました。ひとつには、真っ暗だから見えない。もうひとつは、深海のことはわかっていないから見えない。だから「見えないからおもしろい」というのを深海水族館のテーマのひとつとしています。シーラカンスも、今はアフリカの南部とインドネシアの二ヵ所にしか見つかっていませんが、海は深ければ深いほど環境が似通ってきますので、もしかしたら、日本にいるかもしれません。少しでも情報を得た人は、一報を入れていただければ駆けつけますので、よろしくお願いいたします。

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フェリシモ:
シーラカンスが日本で一番いそうなところはどこでしょうか? 

石垣さん:
やはり駿河湾でしょうね。ご近所で見つけて、良い状態で持ち帰れたらいいでしょうね。餌を探すシーラカンスは150メートルぐらいまで上がってきますので、150メートルから400メートルあたりがポイントかと思います。

お客さま:
日本中、世界中いろいろな水族館を回られたと思いますが、お勧めの水族館があったら教えてください。

石垣さん:
須磨水族園と沼津港深海水族館は別にしてですね。今、水族館の数が多く、競争が激しいので、みなさん本当に工夫してらっしゃいますが、自分が何を見たいのか興味を持って、水族館の制服の飼育員さんに質問されたらどうでしょうか。その人の想いを聞くと、展示の見え方も違ってきます。

お客さま:
明日、沼津港深海水族館に行く予定です。ここはぜひ立ち止まってほしいというところはありますか? 

石垣さん:
そうですね、すべての展示に魂を込めていますので、ひとつひとつじっくりと体感してほしいですね。展示では、深海生物の特徴とかについて、わざと答えが書いてありません。来た方の感じ方に任せる部分もありますので、そこを楽しんでもらいたいと思います。先ほどはエビの比較で、深海のエビはひげが長いと言いましたが、「比べてみよう」コーナーも9パターンあります。例えばナマコもただ水槽が並べてあって、その特性の共通性とか差などの答えは全く書いてありません。そこをひもといていただければ、じっくりと楽しめると思います。

お客さま:
先ほど、メンダコを底引き網で捕ると、エビなどに擦れて傷ついていしまうというお話がありました。スズキなど比較的浅くて水圧の低い海にいる魚はごついイメージがありますが、深海の水圧の高いところにいる魚はぶよぶよしたイメージがあります。そこに違和感を感じるのですが、なぜそうなっているのでしょうか? 

石垣さん:
たしかに、深海魚にはぶよぶよしたものが多いのです。水圧の変化を受けるのは気体なので、ぶよぶよしているということは、水っぽい、油っぽいということです。液体は水圧の変化に影響を受けないので、深海には適しているわけです。ただし問題なのは、ぶよぶよしていると鱗がありません。鱗は骨で、水圧で壊れてしまったりしますが、魚にとって大事なもので、病気や寄生虫から身を守ります。鱗がないと病気にかかりやすかったり、少し擦っただけで傷になってそこから黴菌が入って死んでしまうこともありますから、取り扱いは非常に注意を要します。また鱗がないと、汗など人間の油で跡が付き、そこから腐ってきて死んだりします。それがわかってきたので、ぶよぶよの生物を扱うときは、ゴム手袋などをして一切熱や油が伝わらないようにしています。ぶよぶよの生物は水圧を受け流すというか、深海に適しているのですが、ハンドリングがむずかしいという特徴があります。

フェリシモ:
どんなことにも挑戦する行動力が石垣さんの魅力であり素晴らしさであると感じております。しかし、生態の明らかでない深海生物にスポットを当てる仕事は苦労の連続だったと思います。挑戦し続けてこれた原動力は一体何でしょうか? 

石垣さん:
苦労しているという意識は一切ないんですよ。楽しくてしょうがないわけだから。このようなものにチャレンジできる私はしあわせ者だと思っています。エネルギーの源泉は、「世界一のサプライヤーになる」というあの言葉です。自分が死ぬまでやろうということを決めたので、後はそれに向かってやるだけです。ブレずにやっていくしかないかなと。それだけです。

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Profile

石垣 幸二(いしがき こうじ)さん<沼津港深海水族館 シーラカンス・ミュージアム 館長>

石垣 幸二(いしがき こうじ)さん
<沼津港深海水族館 シーラカンス・ミュージアム 館長>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1967年 静岡県下田市生まれ。静岡県立下田北高校、日本大学国際関係学部を卒業後、10年間のサラリーマン時代を経て、2000年 有限会社ブルーコーナーを設立。世界28ケ国、200の水族館に希少な海洋生物を納入する。「情熱大陸」や「ガイヤの夜明け」など多くのドキュメンタリー番組に取り上げられ、「海の手配師」と命名される。漫画「釣りバカ日誌」に登場する倉田天兵のモデルにもなった。
海洋生物を取り扱うテレビ番組の監修・海外ロケのコーディネートも行い、出演も。
2011年12月より、沼津港深海水族館の館長に就任。世界初となる深海生物の捕獲や展示に至るまでの様子は、年間200本を超えるマスメディアで報道される。
著書に、『深海生物~奇妙で楽しいいきもの~』(笠倉出版社 執筆・監修) 『サメ ~巨大ザメから深海ザメまで~』(笠倉出版社 深海ザメ執筆)『「水族館」革命』(宝島社新書)『世界唯一の深海水族館・館長が初めて明かす 深海生物 捕った、育てた、判った!』(小学館 著書)『本当にいる 世界の深海生物大図鑑』(笠倉出版社 執筆・監修)、最新作に『深海生物~ゆかいでヘンテコないきもの~』(笠倉出版社 執筆・監修)がある。

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