神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 榎 忠さん(現代美術作家)
  • 榎 忠さん(現代美術作家)

プロフィールを読む

現在表示しているページ
フェリシモ
> 神戸学校
> 榎 忠さん(現代美術作家)レポート

「あなたは誰? ~幻のように立ち現れて……~」



<第1部>

(祝砲パフォーマンス)

PHOTO

(会場:拍手)

フェリシモ:
榎忠さん、ありがとうございました!

榎さん:
おかげで、何とか音が出ました。

フェリシモ:
すごくびっくりしました!! 舞台の袖で叫んでしまいました。キラキラのものが飛んでますね。みなさま、いかがでしたでしょうか。

(会場:笑)

目の前のお客さまの表情をご覧になられていかがですか?

榎さん:
お客さんは全然見ていないから、大丈夫です。

(会場:笑)

フェリシモ:
いちばん近いのは榎忠さんでしたよね。パフォーマンスはいつもされていると思いますが、今日はいかがですか? 

榎さん:
今日は場所が場所で、こういう空間ですが、まあいい音がしたのではないかと。なるべく玉が飛ばないようにと言われていましたので。

フェリシモ:
ちょっと見せていただいてもいいですか? これは何ですか? 

榎さん:
「何ですか」とは? 

フェリシモ:
大砲でよろしいですか? 

榎さん:
大砲の形をした、音の出るオブジェ。ひとつの音楽のようなものです。

フェリシモ:
音楽! すごくびっくりしました。触ってもいいですか? 金属のような……

榎さん:
金属です。僕は田舎育ちで、60年前の子ども時代は竹でこれを作って遊んでいてね。竹では割れるから、大人になったら割れない鉄で作るのが夢だった。田舎のガキが集まって戦争ごっこをやっていて、僕はいつかアメリカに復讐しよう思っていたのだけど、だんだん大人になったもので、復讐はもう諦めて、こういう美術の方へいきました。子ども時分の生い立ちが悪かったと思うのね。もし夢が叶っていたら、どこかへ行って何かをしていたかもしれません。戦争ごっこなどの遊びなら良いけれども、こういうものを金儲けのために作る人がいて、いろいろな国でテロが起ったり、権威を持った国が人を殺す国になってしまったりで残念です。

フェリシモ:
子ども時代の純粋な夢を実際に形にしてしまったということで、すごいですね。後ほどまたお話を聞かせてください。本日のゲスト、榎 忠さんです。

(会場:拍手)

榎さん:
よろしくお願いします。

PHOTO

フェリシモ:
みなさん、どうでしたか? 笑い声とか、悲鳴も聞こえてきたと思いますが。

榎さん:
悲鳴なんか、あった? 

フェリシモ:
私だけだったかもしれませんが。

(スライド)
「祭りの日には祝砲を鳴らせ」と出ております。今日もお祭りですね。いつごろから祝砲をされているのでしょうか? 

榎さん:
1972年ぐらいからかな。1971年にサンプラザができたころに友だちの結婚式があって、その時にパールという喫茶店で打ったのが最初かな。大砲は子ども時分からやっていたのだけど、鉄製で作ったのは1971年ぐらいに作って1972年に発表しました。その時は銃刀法で警察に家宅捜査されたり尾行されたり大変な目にあいました。警察は僕の行動とかを1週間ぐらい尾行して、調べて嘘がつけないようになってから、夜中に家へ乗り込んでくるのですよね。礼儀を知らないというか。

(会場:笑)

いまは僕の顔や行為を見て、「こいつは悪いことをする奴じゃないな」と。警視庁から許可をもらってやっています。

フェリシモ:
今日も火を使うということで、消防署に許可をもらいに行きまして展示しております。

榎さん:
ありがとうございます。

フェリシモ:
みなさん、テレビなどで鉄砲とか大砲とかを見られていると思いますし、作品も見ていただいていると思いますが、すべて榎忠さんが作られているのですね。

榎さん:
はい、そうです。鉄製と言ってもいろいろな種類が入っています。僕はこの40年間、スクラップといいますか、工場の廃品や廃材を分けてもらって、それを機械加工したりして、こういうひとつの型に作り上げてきました。

フェリシモ:
廃材には見えないですね。

榎さん:
カッコいいでしょ? 

PHOTO

フェリシモ:
カッコいい。でもちょっと怖い気がするのですよね。銃刀というか、これを向けられると延長線上におられるお客さまとか、ちょっとびびりますよね。

榎さん:
武器は見た目は怖いですが、見ていたら単に怖いだけでなくて、美しいものだしエロチックな感じもするね。人間は不思議なもので、不安とか狂気的なものが誰でも自分の体に潜んでいると思うのです。どれだけ僕が狂暴なのかを見てみたい。人を殺すというのではなしに、みなが喜ぶような、花火のように楽しい方に使ったら、武器は武器でも僕流の武器になって、「おもしろいな」とか「いい音がしたな」とか喜べるような、まあ単純な男ですけど。

フェリシモ:
先ほど、怖いなあと思いながらも、想像以上の音が鳴って、ある意味で爽快感のある不思議な感じがしました。

(スライド)

フェリシモ:
こちらは同じものではないですね。

榎さん:
これはいちばん大きくて、8メーターぐらいかな。王子動物園の美術館でアート展があったときに出品したものです。奥の方に的があって、それは日本の国旗なのだけど、そこには美術館の事務局があって、そこを的にして撃つ。「美術館をぶっとばせ」というひとつの表現方法です。右の端に国旗の比率になったマークがあって、標的になっています。

フェリシモ:
美術館の事務局の方々の反応はどうでしたか? 

榎さん:
何となく変な感じをしていました。王子動物園はお上の会社だから、そういうひとつの権力というか制度に対して一度僕の魂をぶち込んでみて、美術とか芸術がもっと開かれた場になればよいと思って標的にしました

フェリシモ:
標的にして、周りの方の反応を見るのも興味深いですね。

榎さん:
そうです。

(スライド:「LSDF」)

フェリシモ:
LSDFですね。Tシャツにもプリントされていますね。

榎さん:
これはLife Self Defence Forceといって、LがJになるとJapanになって、日本の国を守る自衛隊のロゴになるのだけど、僕の場合はLになっていてライフですね、自分の生活は自分で守る。大砲や銃器を使う僕の作品は、自分の身は国に頼るのではなく自分で守るという、僕の信念の表現です。「我が家の防衛対策 一家に一台 大砲」です。国に任せていたら大変な目にあうので、みなさん、各家庭に1台、大砲を作りますので注文してください。いまのところ時間がたくさんありますので、いつでも作れます。

(スライド:「AK-47 / COLT AT-15」)

榎さん:
これは自動小銃です。いちばん手前に見えるのがロシア製のカラシニコフAK―47です。1947年にロシアの軍隊が持っていてね。何億丁と作られたらしくて、いまはテロや共産圏の軍隊が使っている。もうひとつの型はアメリカのAR―15です。ロシアとアメリカの銃を対比して作ったというのは、どこかに何かを感じていたのではないかな。ひとつひとつは重たくて撃てる銃ではないのです。150人ぐらいで銃を持って神戸の街を移動したことがあるのだけれど、いろいろな人にいろいろな目で見られてね。騒乱罪とかに絡んで、何か知らないけれど、警察は僕を呼びたいというのか、僕も警察にちょっかいを出しているというところがあるのかもしれないけれど、そんな悪意はないのです。

フェリシモ:
警察の方も、弾が出てくるのではないかと思って、生命にかかわるので敏感になるのでしょうね。「あいつは危険な奴だ」と見られてしまいそうですね。

榎さん:
危険と言っても、人間それぞれみなが狂暴な心を持っていて、それが普通一般の人です。それをごまかすというか、自分を紛らわすために善とか悪をつくって、良い悪いとしている。金儲けする人は大変悪賢くて、こういうもので金儲けするのだけれど、僕などは美術のような変なことをしているから、やればやるほど貧乏になっていくという不思議な世界なのですよね。

フェリシモ:
誰にでも危険なものが内在しているということを感じる瞬間はおありですか? 

榎さん:
それはみなさん同じです。ぞくぞくする怖い作品もあります。美術の気持ちで見ると、作家は怖い世界を表現したり、自分に見えない世界や不思議なことを創造したり。どれが良い悪いではなく、作家がそういうものを感じているのだと思います。美術はおもしろい世界で、そういうことを感じるのが良い作品です。

フェリシモ:
非日常的な世界、大砲を撃つということも大砲があるという状況も、「展覧会に来たな」というような、「非日常の世界に来たな」という気持ちになります。銃が綺麗に陳列されていますね。何丁ぐらいあるのでしょうか。

榎さん:
これは「空き地展」といって豊田市の美術館でやったものです。約200丁の銃を展示しました。廃品や廃材とインゴットを混ぜて作ります。木型から砂型を作って、銃に起こしていきます。廃材がほとんどですが、もとになるような他の金属とかと合金のようにするのだけど、一応、鋳物製品に仕上げています。

PHOTO

フェリシモ:
1度溶かしてしまえば、もともとの形がなくなるので、それを型に作って大量生産しているということですね。

榎さん:
うん。うちに砂型があるので、銃が欲しい人にはいくらでも作れますよ。いまはとにかく暇。それに定年でどこからもお金が入って来ません。注文を待っていますからぜひ。

フェリシモ:
本日のパネルにも砂型の写真があります。私もアトリエに行かせていただいたのですが、タイ焼きを作るのと同じ要領で流し込んで作られています。仕上がり直後のものを見ると、プラモデルをそのまま大きくしたようなものです。作品を見ていますと、怖ろしいなと思うと同時に、美しいなとも思います。

榎さん:
美しいかどうかは見る人によって違うのだけれども、僕は美術をやっている人間で僕なりの美というか、それはみな違うのだけれど、どの作品も僕が感じる美を意識して作っているね。

(スライド:「ハンガリー国にハンガリ(半刈り)で行く」)

フェリシモ:
パンフレットにも載っていますが、気になりますよね、これ。お客さまのなかには、出てこられた榎忠さんを見て、「半刈りじゃないじゃないか」と思われた方もいらっしゃると思います。

榎さん:
これは若い時、毛がいっぱいあった時に、剃っても抜いても、刈っても切っても毛が生えてきた時の作品です。邪魔になるぐらい毛がある若い時にしかできないですね。もう、歳をとったら禿げてピッカピカ。でも禿げてもこうやってすることもできるのですね。これは逆モヒカンと言って、まだだれもやっていませんからぜひお願いします。

(会場:笑)

フェリシモ:
流行っていくといいですね。後ろから全部剃っているのが「逆モヒカン」なのですよね。

榎さん:
やることがなくて暇で暇で。散髪屋で1回500円です。今日ここへ出てくるのに散髪代を請求できるかなと思って。

フェリシモ:
この作品について詳しいことをおうかがいできますか。映像がありますので、それを見ながらお話しいただきたいと思います。

(サイレント映像)

フェリシモ:
怪しいですね。

榎さん:
これは山陽電鉄の板宿で踏切を渡っているところです。今は地下になっているところです。

(会場:笑)

フェリシモ:
さりげなく帽子をとるのですね。

榎さん:
恥ずかしいのでマスクをしたり頭を隠したり、余計にそれが変に見えてね。

フェリシモ:
見慣れてくると、とてもクールでカッコいい感じです。

榎さん:
(笑)

(会場:笑)

(映像終了)

フェリシモ:
ありがとうございます。1977年ですから今から約40年前のアートパフォーマンスですね。笑い声があちらこちらから聞こえてきましたが、どんな気分だったのですか? 

榎さん:
変な感じだなあと思って。いまこうやって映像で見ているよりもパフォーマンスをしているときは奇人変人という感じで、アートだとは思われていなかったし、美術家だとは全く思われていませんでした。近所の人は「変な人が隣にいるな」と不思議な目で僕を見ながら困っていて、あいさつしていいのかどうか、宗教家でもないしヤクザでもないので、声をかけるのも困っていた。いまでこそ、「なんだ、美術やってたのか」と思われていますが、僕自身もこれが美術になるのかと。もともと美術を意識していないので、人間が生きているということが基本的なことであって、何をやろうが自由な世界だと思っているから。美術がだんだん変な方向へいくこともいま見えているし。変なのかどうかそれもわからないし、時代はつくっていくものだから。
これは僕がやりたかったことのひとつでした。それが作品であろうがなかろうが、やりたいことができたのは僕にとって本望だったし、これをやったからハンガリーにも行けた。得したことがいっぱいあります。損したことはなくて、近所や美術界からは馬鹿にされたけれども、やって良かった。やった者だけがわかる世界で、それがおもしろいなと思います。

PHOTO

フェリシモ:
表現や現代美術は現在多様ですが、美術というと、絵描きというイメージがあります。榎忠さんも絵を描かれていた時期がありますね。

榎さん:
僕は小さい時から絵や漫画を描いていました。特に挿絵が好きで、昔の小松崎茂の本を見て、職業にするつもりはなかったけれど、いつかそういう絵描きになりたいと思っていました。田舎で育っているので、絵描きがどういうものか知らなかったけれども、絵は描いていました。20歳を過ぎて、あるきっかけで絵の世界へ入っていくのだけれど、最初は油絵を描いて二紀会に出品するようなこともしたのだよね。でもそういう集団、組織は権威的なところもあって肌が合わなくて。僕の考えている美術の世界は仙人がやるような世界で、若かったこともあって、組織の裏の汚い世界が嫌でね。
何をやっていいのかわからなかったけれども、こういうパフォーマンスやハプニングなど、行為で、自分の体を表現するところから始めていきました。自分が生きている、自分の存在、殴ったら血が出て骨が折れるというのか、そういう具体的に生きている証を感じられるリアリティーが見えるもの。僕はぼけっとして阿呆なので、やはり血を見ないとわからないところがあって、作品の作り方もそういうところをとことんやらなかったらやった気がしない。それが良いかどうかはわからないし、いろいろな考え方の人がいると思うのだけれど、僕はそういう風に自分を確かめながら、会社勤めをしながら作品作りをやっていた。作家で食べるとか、彫刻や絵画で食べるとかは決してやらなかった。自分で働いて蓄えた金を作品に使っていった。費用はかかるので、ひとりではできないけれど家族なら可能だし、表現について言えば、やりたいことがあれば、それぞれがそれぞれの立場を考えてやれば、どんなことでもできると思う。プロになって作家になってしまったらむずかしいところがあって、僕はそんな勇気も根性もないから、自分で働いた金でコツコツ地道にやっていくしかなかった。いわば、恥ずかしがり屋だからカッコつけでやったのかもしれない。

フェリシモ:
この半刈りの時期も会社勤めをされていたのですね。この姿のまま出社されたのですか? 

榎さん:
そうよ。坊主にするわけにもいかないし。これをやる以前から妻や家族にはやりたいということを言っていたけれど、本当にやって帰った時には家族も言葉が出ないほどびっくりしてしまって、そのまま会社へ行くので会社もびっくりしてしまって。会社も何を言っていいのかわからないのでクビにするという話にはならず、社長は困ってしまって、じっとうつむいて「なぜやったの?」と言っていました。

フェリシモ:
前触れもなく、ある日突然半刈り頭で? 

榎さん:
うん、突然やらないと。前触れなどしたら許してくれないかもわからない。僕は技術的な仕事をしていて図面も僕しか見ることができなかったので、僕が最初にお客さんに会って見積もりするのですね。お客さんは僕の顔を見ないで「とにかくお願いします」と言うので、良かったのかどうかわからないけれどね。

フェリシモ:
私は半刈りにしたことはないのでお聞きしたいのですが、先ほど生きている身体感覚と言うお話があって、髪の毛も髭も半分に剃るとはどんな感覚なのでしょうか。

榎さん:
どんな感覚かは、やってみればわかるのだけど。毛は生理的なもので放っといても生えてくるし、半分に剃るというのは簡単なようで案外むずかしいのです。最初散髪屋へ行った時も、散髪屋の人が2階にいる奥さんに向かって「こんなお客さんが来ているけど、本当にやってもいいか?」と聞くわけ。奥さんは「あんたがやりたいんだったら、やれば」と言ったので散髪屋さんはとても喜んでやってくれた。
1週間ぐらいするとすぐ伸びてくるので、最初は家で安全カミソリで剃るのだけど、1ヵ月ももたないから、普段の倍以上の頻度で床屋へ行って、手入れしてもらわないといけない。だからお金も2倍、3倍とかかって大変。
写真に写っているのは顔だけなのだけれど、脇の毛も半分、下の毛も半分。こんな馬鹿なものは日本では猥褻罪になってアートとして見せられないから気をつけないといけないのです。だから外国へ行ったわけ。1977年にドイツのカッセルというところでドクメンタ展があって、そこの敷地内だったら裸でOKなんですよ。それをアートと認めてくれる。だから、やる気のある人は、外国へ行ったら好きなことができますので、ぜひ行ってください。

フェリシモ:
半刈りはキープするのも大変なのですね。

榎さん:
そうそう、これは毎日の修練の積み重ねで、坊さんの修行のようなものです。
僕も先日、高野山で展覧会をしたんですね。そこはお寺ばかりの町で、おもしろかったのは、見に来る人がお寺ということを意識して来るから、作品の見方が美術館などでやる時と全然違うんですね。美術館で見る作品、お寺で見る作品、ギャラリーで見るとか、友達がやっているのを見るとか、見る場所によって見る人自身が変わる。作品が違うのではなくて見る人の心構え、気持ちが違うというのがおもしろいなあと思いました。

フェリシモ:
今日はホールでの作品展示とホールで大砲を撃つということをしています。感じ方が変わる気がしますね。

榎さん:
今日は若い人もいるけど僕らの年代の人が多いかな。僕は喋る言葉を変えられるほど技術がなくて、子どもであろうが大人であろうがおじいさんであろうがおばあさんであろうが、僕の喋り方は同じです。今日は同世代だからその時代を感じる人がいるかもしれないし、高速道路ができる前のメリケン波止場を懐かしがって見る人もいるかもしれない。

フェリシモ:
私は今年神戸に引っ越してきたので、見慣れた景色と言うよりは40年前の新鮮な神戸の景色だったのですが、お客さまの中には榎忠さんと同じような感覚で「懐かしいな」とこのVTRを見られた方もおられるでしょうね。

榎さん:
昔は半刈りの人が神戸にはたくさんいたのですよ。

フェリシモ:
半刈り?! えっ、そうなんですか? 

(会場:笑)

榎さん:
うん。東京はいなかった? 

フェリシモ:
私、まだ20歳そこそこで40年前は生まれてもいなかったので……

榎さん:
ああ、そうなの。20年や30年前の神戸は20人に1人ぐらいは半刈りの人だったよ。三宮とかね、センター街に行ったらたくさんいたよ。

(会場:笑)

フェリシモ:
もしかしたら、今日いらしているお客さまの中にも当時半刈りにされていた方がおられるかもしれません。

(スライド:半刈りの榎忠さん)

いまご覧いただいている画像ですが、右側を剃っているものと左側を剃っているものがありますね。画像で見ると完結しているように見えるのですが、最初は右側を? 

PHOTO

榎さん:
向かって右側が最初かな。自分が鏡で見るのとは違う感じで他人は見ているよね。僕は左側の写真のようなものを鏡で見ていたけれど、他人は右側を見ていたわけで。少しややこしいけれど、本当の自分の顔を見たいというのが憧れとしてあってね。自分の顔は写真か鏡でしか見られないし、髭の生えた、ニキビがあるような顔は一生見れないと思っていたので、みんなの前で話をするときには、どんな風に見えるか教えてくれと言うのですよ。いつか自分の顔を見れるものなら見てみたいと思っています。

フェリシモ:
不思議なお話ですね。たしかに、自分の顔って一生見れないですね。

榎さん:
うん、鼻の先とかはちょっと見れるけど。

フェリシモ:
自分の顔は写真や画面で見るものだけなので、自分の顔は良く知っていると思っていても、ほかの人には違って見えているかもしれませんね。はい。
半刈りはトータルで何年ぐらいかかったのでしょうか? 

榎さん:
4、5年は充分かかっています。僕のは単なる作品ではなくて、生活とか自分の生き方の中で表現してみたいものがあるので、時間はたくさんかかります。

フェリシモ:
不思議な体験をされていると思いますが、みなさんも半刈りとまではいかなくても、自分の体を試す体験ができたら……

榎さん:
それはみなさんそれぞれ絵を描いている人もいるでしょうし、彫刻をやっている人もいるでしょうし。それぞれの人が感じることをやればよいと思います。

(スライド:BAR ROSE CHU)

フェリシモ:
また気になる画像が出てきました。

(会場:笑)

足から妖艶な女性が…… これは忠さんですか? 

榎さん:
ROSE CHUよ。

フェリシモ:
榎忠さんですか? 

榎さん:
榎忠さんよ。変身ではないの。イメージの人間のROSE CHU。榎忠は彼女に本当は殺されたはずだったのだけれど、まだ生きてたのよ。妄想の人間を、榎忠ともうひとりの人間をつくりたかったというか、(映像と音楽が始まる)もうひとりの人間を誕生させるというおもしろいことができる。

フェリシモ:
不思議なお話、気になるお話があるので見てみたいと思います。(映像を見て)これも榎忠さんですね? 

(映像の音声)

インタビュアー:
榎忠さん、随分逞しいですね。

榎さん:
いえ、毎日体を鍛えているのでね。

インタビュアー:
なぜそんなに体を鍛えるのですか? 

榎さん:
なぜと言って……

インタビュアー:
男男した体を目指しておられるのですか? それは願望なのですか? それとも別の願望を覆い隠すためにそういうことをするのですか? 

榎さん:
別の願望? 

インタビュアー:
たとえば、男以外の何者かになれるのではないかとか。

榎さん:
と言うと? 女になるということですか? 

インタビュアー:
まさか榎忠さんが女になれるわけではないでしょう。

榎さん:
言葉の世界にROSEを表すには、少々荒っぽい方法が必要なのですよ。

フェリシモ:
そういうあなたもろとも、ROSEも消してしまうというのですか? 
何も死ぬことはないでしょう。ちょっと待ってください。

榎さん:
そう早合点しないでください。

インタビュアー:
しかしね、榎忠さん。

榎さん:
弾倉の穴はひとつ、弾はひとつですよ。確率は6分の1。私が死んだらROSEが私に勝ったことになるのですからね。

インタビュアー:
ちょっと……妄想なのですからね。死ぬことはない! わー、うー、あー、あー。
ちょっと待って、ちょっと待って! 

ROSE CHU(女性の声で):
こら、榎! みっともない真似はやめなさい。あなたがあなたを殺しても、私とは全く関係ないのです。私はあなたであるほどにあなたではない。けれども、全くの他人であるほどには他人ではないのです。榎にはわかるでしょう? 

(弾丸が発射される音)

(音楽)

(音楽にかぶせて雑踏の音)

ROSE CHU(榎忠さんの声で):
ひょっとしたら、榎忠じゃない? 

榎さん:
そうだよ。

ROSE CHU(榎忠さんの声で):
生きていたのね。

榎さん:
ROSEか? 

ROSE CHU(榎忠さんの声で):
こんなところで何してるの? 

榎さん:
この6階で展覧会をやるんだ。

ROSE CHU(榎忠さんの声で):
えーっ、私、この4階でお店やってるのよ。えーっ、まだ美術やってたの? 

榎さん:
ああ、俺にはこれしかないからなあ。

ROSE CHU(榎忠さんの声で):
ぜひお店に来て。一緒に何かできないかしら。

榎さん:
そうだなあ、考えておくよ。

(音楽)

ROSE CHU(女性の声で):
榎、あなたのやってきたことは、無駄にはしないわ。私、ROSEは今日からあなたになりきるわ。つまり、あなたは死んでなんていないのよ。

(音楽)

男性の歌声:
君はこんな経験はあるだろうか? いきなり思い立って 引き出しにしまい込んだアルバムを引っ張り出しては 長々眺めてたことあるかい? 
静かにめくられるページ、はるか昔の私の笑み、当時流行りの懐かしい歌でも口ずさみ
時を忘れ 永遠に夢中になり いつだって難しい顔をした僕の名は月兎 
「望み叶え給えよ」を口癖に この気持ちをうち胸にしまい込み 路地裏にうち伏せり 
友よ、僕のいつも隣にいた友よ その後君はいったいどこで何をしているのだろう?
心から僕そのものを受け止めてくれた君のおもろさは本物だぞ
失くさずに守ろう 今頃君は窓の向こう側のビルで孫の夢を見る いいパパになろうと
嫌と言うほどに見た現実に疲れては 幻の公園でいつも日向ぼっこ
忘れかけたユーモアというものや 君にとって とても重要な日々の匂いや色は
街で見かけた チンドン屋 なびかせた黄色いハンカチーフ
優しくなった自分をふと思い出すのさ
どこもかしこも 立ち止まる足場もなく 暇もなく 芝もない 
僕の居場所を 探し出そう この都会に おかえり 
なぁ坊やよ 謎々を出そう
空の青いのは海の青さよ じゃあどうだろう
赤く染まった 太陽光は 何を映すのだろう? 

(映像終了)

フェリシモ:
はい、(笑)。突っ込みどころの多い映像でしたが、これはふたつの作品、『ROSE CHU』と『時を超えて 帰ってきたROSE CHU』をまとめた映像作品になっていますね。まずROSE CHUについて、榎忠さんからご紹介いただけますか。

PHOTO

榎さん:
紹介を言うほどではないのだけど、これは僕がやりたかったことです。こういうおもしろい、みんなでわいわいできる憩いの場であるバー。それから女装。ほとんどの女性は気持ちの良いおっぱいを隠しているでしょう? こういう良いものはみんなに見てもらったり触ってもらったりしなければならないと思って、僕はこういうブラジャーを女性の方に提案したのですが、なかなかまねしてくれなくて。自分や自分のだんなさんには見せているのだけど、もっとみんなオープンに、みんながしあわせになるように、女性がそういう気持ちになるといいなと思って。
もうひとつは、美術バカのようなことをしていると疲れるのですね。だからもうひとりの自分が、やりたいことができる人間がいれば楽だし、何か困ったことがあったときにその人に転嫁できる。そういうもうひとりの自分を使って、僕が思っていることとか、全然美術に関係のないことをするとか美術をぼろかすに言うとか、ストレスを発散する人間をROSEに求めたのかもしれない。それが僕の頭の中にふつふつ沸いていた。
イメージの人間をやるのかどうかを決めるのに、イメージの人間と銃で賭けをするのですね。その頃、ロシアンルーレットというのがあって、1発だけ弾を入れて、偶然当たれば死ぬという賭けです。これを妄想が勝ってROSEが誕生するという設定で映画、映画になっているかどうかわからないけれど、これを作ってみました。もうひとりの自分がいたら、自分が思っていても口にできないようなことを言い、やれないことができるのではないかと思って1度試してみたかったのです。
実際女装して、自分のバーを作りました。ここへ来たら無料なのですよ。ただで飲んで触り放題で、本当に夢のような飲み屋に憧れて。それを作りたかったのです。その発想のひとつの原因は、昔、神戸は元町や三宮あたりに外人バーがあったのだけれど、日本人はなかなか入れなかった。覗いてみたいのだけれど、高そうだし、カッコいい船員ばかりが入っていくような店だったので僕たちは入れなかった。だから日本人で金がなくても、誰でも気安く入れるバーを作りたいと思ったのがひとつです。
そして来る人はいろいろな年代の人がいて、みな好きなことが言える。ママさんが好きなことをやっているのだから、言う人も聞く人も好きなことが言えて、お互いコミュニケーションするのが簡単。ましてただだもの、みんな来るよ。
場所は当時飲み屋街で神戸一の繁華街だった東門通りで、普段は東門画廊という画廊だったのね。展覧会だと思って見に来た人が、バーになっているのを見て帰っていったりもしたけれど。このバーの展覧会は2日間やったのだけれど、無料だし触らせてくれるし、何だか良いと評判になったのね。評判を聞いた人が後日来るのだけれど、バーはもうなくて幻になっているのです。2日間だけを設定して、噂が広がったときにはもう存在しないという幻のバー、天国のようなバーをやりたかったのです。

フェリシモ:
普段の榎忠だったらできないことを、自分とは関係のないもうひとりの人格をつくり出すことによって、美術を否定するとか、違うコミュニティーの人たちとかかわるとかができて、ふたり分生きているような感じですね。

榎さん:
僕にすれば美術の範疇なのですが、美術をあまり意識したらおもしろい作品にはならない。そのあたりに微妙なおもしろさがあって、アートにしてもどのような作品にしても、おもしろいこととかエロチックなこととか、狂気を孕んでいるようなものを感じるものが僕は好きだし、そこに美を見つけていくのです。そういうところに僕の美意識があるのではないかと思います。

フェリシモ:
感覚としてはぎりぎりといいますか、胸なども触っていいものなのか。露出狂も捕まりますよね。銃刀法違反も捕まるし。そういうところに人間はぞくぞくするのだなということを体現されているのですね。

榎さん:
うん、おもしろいのね。ぞくぞくするようなものを取り締まる人がいるわけ。警察とか権威のある人とか。そういう人をおちょくるのではなくて、そういうことをやりたい人がいるということを知ってほしいわけ。彼らはそういう人が出てきたら困るわけ。変なものがいるとややこしいから。だから管理して、ひとつの括りにしてしまう。
美術にしても言葉にしても、意味や価値に絞ってしまったらおもしろいものにならない。おもしろいものが良いかどうかはわからないけれど、それぞれの作家の考え方です。教育にしても、管理して押し付けようとする。役所だとか権威のある人は管理が楽だからそういう風にしている。でも実際の人間はそういうところから外れている。
戦争を平和ととらえている人もいて、そこには人がいないのですね。僕がなぜ銃を作るかというと、銃は相手が見えるのです。当たった瞬間は手ごたえがある。自分が狙ったところに当たったときは反動があるから、見えていなくてもわかる。人間だけのものなのか、他の動物も持っているのかわからないけれど、そういう感覚はすごくおもしろい。銃は鉄砲でもピストルでも相手を見て撃つのです。人が見えるのです。相手の目とか、体から血が出るとか。けれども、いまの戦争はボタンでやるミサイルとか空爆とか、人が見えないのですね。こちらは学校で15人やられたとか、テロが起って15人とか30人とか大変な数字が出るのだけれど、空爆しているところはその何十倍の何百人、何千人が亡くなっている。でもその報道がない。こちらの民間人が何十人亡くなったと伝えるのだけれど、相手のことは全然伝えない。武器に関しても、日本の大きな会社はヨーロッパで武器の見本市をやっているのです。情報を流す方はわかっていても、流せないのがいまの状況です。いずれ流れるようになると思いますが。
隠れた世界、僕らが知り得ない、または知ってしまったらおもしろくない世界。こういう風に銃を作ってみたり、他人の気持ち、人間の気持ちはこういうものだと表現してみると、武器について話す機会もできる。要するに、単なる平和を望んでいるのではなくて、人間同士が話し合える、もっとおもしろい武器、人が喜ぶような、しあわせになるような武器があるのではないの? 一家に一台と言っているように、個々が考えている世界、というのか、それを僕は美術、つまりひとつの表現を使っていろいろな型を使いながら作品として打ち出していく。それができる美術や芸術の自由さをどんどん主張していきたいと思う。
神戸でも2年に1回ビエンナーレってやっているのだけれど、それが良いかどうかはみんなが考えてくれればよいと思うし、神戸市や行政がやっているものは行政のやり方がある。美術など糞くらえと言って、美術とは何か、芸術とは何か、何が大切なのかがわからなくてやっている今の現代美術が、ビエンナーレというひとつの型を使ってやっている。別に何をやっても良いのだけれど、反対と言う人も一部にはある。面と向かって反対と言えばよいのだけれど、一方がいろいろな角度で批判しながらやるのはどうかなと思う。けれども、どちらかがどこかで打ち破っていくこともできるし、それが芸術の世界だと思う。
みなが感じたり不思議だと思うことは叫んで、叫ぶ以上は、自分たちが何をやれるか何ができるかをきちんと責任をもってやらなければ、言いっぱなしでは良くないと思う。僕もひとつの作品を作ったときに、僕なりの自分なりの批判をするのだけれど、僕はいいかげんな男なので何に批判しているのかわからなくなってくる。喋ることは本当にむずかしいし、聞く人によってそれぞれ聞き取り方も違うので、お互い注意しないといけない。言葉というのは単なる言語だけでなく、気持ちが通じるかどうかなので、言葉は大事だと思う。

フェリシモ:
榎忠さんは作品を通して表現して想いを伝えられていると思うのですが、それをどうとらえるかは私たち次第ですし。

榎さん:
まあ、自由だね。押しつけではいけないと思うし。

フェリシモ:
では最後に、映像を見ていきたいと思います。

(映像)

フェリシモ:
こちらは『RPM―1200』という作品ですね。未来都市のような印象を受けました。

榎さん:
RPMというのは、僕が使っていた汎用の旋盤で、1分間の最高回転数が1200です。僕は会社で何十年とこれを使いながら金型などを製作していました。何千という、万に近い部品が1個1個集まってできているのですが、そのひとつひとつにレボリューション(革命)という意味合いもあって、毎日毎日自分にとっての革命、出会い、偶然にしても必然にしてもみなつながっている。これもみな使い古された機械の廃材で、それを磨いていく。
僕は最初若くてお金もないし、安く買えるところを見つけて廃材を使いだしたのだけれど、おもしろい型がいっぱいあるのですね。誰がこういう型を使っていたのか、「ひと仕事終わった」と言ったのかがすごく気になりだして、それに関わっている技術者、職人、会社の人、油だらけになって錆だらけになっている人が見えてきたのですね。単なる廃材や部品ではなく、いろいろな人がかかわってここに朽ちて廃材になって、姫路の溶鉱炉で溶かしてしまうのだけど、僕にとってはもったいないし、姿が消えてしまうのが残念で、その前に僕がおもしろいと思う型を選び出して作っていきました。
1979年ぐらいから作り始めて、1981年にポートピアができた時に、テーマ館に大きなスペースをもらって、大きな作品を作りました。8メートルぐらいあって、長さが13メートルから30メートル、錨が池に繋がっていて、本当はお客さんが作品の中に入れるようにするつもりだったのですが、人が多すぎて危険だったので入れなくしたのです。車両の廃材は阪急電車が協力してくれました。電車自体はそのころ安くて15万円ぐらいだったので、それぐらいなら買えると思ったのですが、運ぶのに50万円から100万円かかるのですね。それはとても無理だったのだけど、神戸市や阪急電車や造船関係の会社が協力してくれたのです。重さは約30トンから35トンぐらいで、僕の最初の大きな作品です。

PHOTO

これを作ったとき、「何でも作れるな」という変な自信ができました。今から思ったらとんでもないことで、本当に馬鹿だなと思うしかないのですが、この時はこれをやりたいと思ったのです。そういう不思議な時代でした。やりたいと思えばできるのです。
もっと大きいプランは、いまだにできていないのですが、その時安く見積もって1億と言われました。30年前、尼崎に作った『AMAMAMA』と言う作品がいまだに残っているのですが、それを作るときの最初のプランがそれでした。僕はそれをやりたかったのですが、費用が大きすぎてできませんでした。
こういうものはひとりでやろうと思うとできません。何かをやりたいという気持ちがあれば、いろいろな人と相談したり、企業と相談したりするのです。絵とか彫刻とか狭い美術の世界で考えるとこういうものはできないけれど、多くの人と本当にやりたい人を募ってやれば、いずれひょっとしたらできるかもしれない。

(スライド)

フェリシモ:
これは私も先日榎忠さんに案内していただいて行った、廃材の集まる工場です。これはみなさまにどう映りますか? ゴミの山で、もう捨てられてしまうだけと感じる方もいらっしゃると思いますが、榎忠さんにとっては宝の山なのですよね。これはスクラップのアルミ缶ですね。

榎さん:
ジュースやコーヒーの缶ですね。膨大な数ですがプレスで圧縮して運び出します。パネル展示にもありますが、フィルムのケースを圧縮したものを14トンぐらい豊田市美術館で展示しました。

フェリシモ:
ぜひ実物をご覧ください。懐かしいなと思われる方もいらっしゃると思いますが、使い古したもとのフィルムを額に入れた作品と、それをプレスした、とても巨大な作品を作ってそれを写真に撮っている、タペストリーのようなものです。

榎さん:
スクラップが集まるのは時代を反映しているのですよ。新しい機械が入ったら古い機械をここで処分します。人間が便利さを求める時にスクラップは生まれるのです。処分しやすいようにスクラップをプレスで型に入れて圧縮するのだけれど、フィルムケースもデジカメの時代になってきたときに処分されていく。どんどん時代や便利さを追及する中で消えていくのは、人間の気持ちや心です。それがスクラップに象徴されています。
いまは僕も携帯を持たされて、ボタンを押したら相手のなまえも出てくるようになっている。便利なものは自然と使ってしまう。便利だということは、自分たちが持っていた手の器用さを失っていくことでもあるのですね。計算機が出てくることによって、そろばんを使わなくなって、すべて機械に任せてしまうようになる。
特に僕らのような年齢になると時間が余ってきて、心がだめになっていくから、自分で管理しないとどうしようもないわけです。毎日の訓練を怠ると足腰が立たなくなって作品もできないし、だんだん外へも出かけられなくなる。そういうなかで「老人」という言葉が生まれてくる。僕は72歳になったのだけど、僕らが20代の時は、70代と言えばもうおじいさんだった。いま僕は知らない間にそういう年齢になっている。あと何年かな、とも思うし、やりたいことがあったらやらなければと思いますね。
ROSEも80歳までにもう一度やりたい。場所は銀座4丁目に決まっていて、そこにバーを作って80歳のROSE CHUをやります。それまで長生きしますので、またみなさんお手伝いをお願いします。

(会場:拍手)

PHOTO

その時に、お乳はどうするかということだけど、ピンと張ったのではおかしいし、誰がモデルになるかはこれから検討します。いつ死ぬかわからないからあまり予言もできないけれども、80歳まではなんとか元気でやっていこうかなと思っています。

(会場:拍手)

ページのトップへ

<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
日本とハンガリーでは、半刈りに対して反応の違いはありますか? 

榎さん:
感じたのは、ハンガリーでは興味を持って質問をしてくるのですよ。「なぜそういうことをやったのか?」とか「お前は何者か?」とか。日本人だとわかったら「日本でそれが流行っているのか?」とか。日本の人は三宮のセンター街を歩いていても、顔を背けて声をかけてこない。後ろを振り向いて笑っていたりはするのだけれど。子どもは反応が良くて、「おっさん、かつらが半分ずれてるよ」とか注意してくれたりするね。大人は問いかけて良いのかどうか迷っている。電車では目の前にいる人が困ってね、僕と目が合った瞬間、向こうはどきっとしてどうしてよいのかわからなくなって、ポケットに手を突っ込んでみたり、自分のカバンを開けてみたり。子どもがいれば子どもに話しかけて僕に直接顔を向けない、そういう現象がありましたね。

フェリシモ:
映像でも、お母さんが榎忠さんを発見してギョッとした瞬間に、榎忠さんに背を向けてお子さんの方に向くと言う場面がいくつかありましたね。

榎さん:
あれは友だちふたりに頼んで、2台の8ミリカメラでいろいろな角度から撮影してもらったのを編集したものです。40年近く前かな。

フェリシモ:
いま、半刈り頭で神戸の街を同じ風に歩いてみたらまた反応が変わって来そうですね。

榎さん:
いまは変わってるだろうね。

お客さま:
ROSE以外にこれから新しく作ったり表現してみたいものはありますか? 

榎さん:
今のところはないのだけれど、僕の日常の中でおもしろいなと感じたものがあればやると思います。ついこの間、おもしろい素材を発見しましたが、まだ発表の段階にはなっていません。僕の生活がどういう風に変わっていくかによって、それが生まれてくるかダメになるかが決まるので、おもしろいなと思ってはいるけれど、まだ何とも言えません。
僕の大砲を欲しがる人があったのですが、テロなどが起るいま、設置予定場所が公立の場所だったのでそういうものを購入することはできないという話を聞いてね。歳もとってきたので重いものは持てないのでやめておこうかと思っているのだけれど、それで余計燃えてきて、もっと大砲を作らねばと思いました。やる気が湧いてきました。

お客さま:
7億円が当たったら何に使いますか? 

榎さん:
列車砲を作ってみたいな。昔、ドイツで作ってフランスに運んで撃つとか、戦争の時に使ったもので、列車の上にでっかい大砲を積んで国を移動するのです。移動できる武器を作りたいと前から思っていたので、7億円あれば2台ぐらい作れるかなと思います。

お客さま:
榎忠さんが尊敬するアーティストはいますか? 

榎さん:
40年以上前の1960年前後に篠原有司男といって、ボクシングで作品を作る人がいるのを知りました。モヒカン刈りでアクションペインティングをする人で、その人に夢中になって大変尊敬していました。作品が良いとかいうのではなくて、彼の生きざま、いつまでたっても子どものように暴れん坊で、すごくカッコいいんですね。作家とかいうのではなくて、僕もそういうおもしろい人生を送りたいなと思っています。

フェリシモ:
榎忠さんも充分おもしろいと思いますが……

榎さん:
僕はおもしろくないよ。阿呆だけで。

フェリシモ:
篠原さんはギューちゃんと言われていますね。ギューちゃんとの出会いのエピソードは何かありますか? 

榎さん:
20年ぐらい前かな、いまは中之島にある国立国際美術館が当時は万博にあって、'60年代のつわもの、暴れん坊が集まって展覧会をやろうということになって、「芸術と日常―反芸術/汎芸術」という展覧会が開かれました。関西から僕も招待されたのですが、ギューちゃんも入っていました。彼はニューヨークのブルックリンにいたのですが、どういう作家がその展覧会に出品するかということで僕のデータを見たそうです。彼は僕の半刈りを見てびっくりして、日本にこんな作家がいるのかということで彼も出品することになって、大阪で出会いました。出会ったとき、「半分毛がないのはお前か?」という感じで、「お主、やるな」という感じで。僕はずっと彼の作品や映画を知っていたのだけど、彼は初めて僕を知って兄弟の契りのような感情を交わしました。偶然その後、ふたりの展覧会をやったりしました。とてつもなくおもしろいおっさんで、僕のちょうどひと回り年上で今年83、4歳になるのですが、いまだにボクシングをしています。すごいのは、最近、彼は作品が売れ出したのですよ。何発か殴るだけでコレクションになっていく。僕はまだまだです。

フェリシモ:
先ほど、子どもっぽい所が尊敬できるというお話がありましたが、榎忠さんも小さいころに竹で鉄砲を作っていて、それが大人になって自分で素材を扱う技術を身につけて鉄で鉄砲を作るという、素直な子どもがそのまま大人になったような素敵な方だなと思います。

榎さん:
子どもというのはおもしろいもので、何も知らないでしょう? 大人の教育も美術の教育も受けていないし。そういう時に夢のようなことを思ったことをいまだにやっているのはすごく素敵だしおもしろい。僕もそういう気持ちをいつまでも持っておきたい。原田の森ギャラリーで横尾忠則がよくやっている絵は、子ども時分とか漫画の世界とか、いまだに平気でやっている。あんな変なエネルギーとか美術に対する考え方は、美術という小さな世界に囚われていないわけですね。だから描けると思うのです。
僕もそういうことを自分に言い聞かせるのだけれど、なかなかむずかしいのですね。なろうと思って子どもになれるわけではないのです。子どもだからできる世界があるのです。それをずっと持っているのはすごいことだと思います。絵なども教育されたものの見方で描くのではない。自分が子ども時代に親兄弟や近所のおばちゃんやおっちゃんがいて、その中で遊んだり生活する中で知らないうちに身についた物事や創造する力は大事です。隣の人のことを想うのも大事な要素ではないかと思います。
そういう見方をしていれば絵は簡単なものです。好き嫌いで見ていけば良いのだから。人がどう言おうと自分の感性で「これはおもしろい、いいな」と判断したら良いのです。「こういうことを言ったらどうなのか」ではなく、自分の世界だから自分で学んでいく。足を運んで美術館やギャラリーへ行く、人と出会う。学ぶのではなく、日常的に必然的に必要だと思うから受け入れられると思うのですね。人間として素直にものを見たり人と接したりしていたら、誰でもできる簡単なことだと思います。そう自分に言い聞かせて日ごろ空手などで鍛錬しています。

お客さま:
生まれ変わってアート以外のお仕事を選ぶとしたら? 

榎さん:
僕はアートを仕事だとは思っていないのです。だから続けていけるのだと思います。仕事とか商売と思うと失敗するときもあるし。美術は失敗することがなくて、何が成功ということもなくて、自分がやりたいことをやっているからおもしろくて続けられるのです。何かを感じるから勇気が生まれるのであって、感じることが大切です。
テレビを見てもニュースを見ても、原発や核、テロのことばかりで、確立されて整理されたものしか日常流れてこない。言ってはいけないとされていることは報道しない。大事なことは隠されていて、正直なことは伝わってこない。新聞やテレビなどのメディアにわれわれ国民が操作されているということに気を付けてものを見たり聞いたりしなければ、とんでもないところへいってしまう。メディアは大事な要素であるのだけれど、その中におかしい人間が多いから僕らに伝わって来るのは心配とか不安とかばかりだし、逆に不安とかがあるから何かを考える要素になる、エネルギーになると自分に言い聞かせて物を見たり感じたりしています。

お客さま:
伝わってくることはほとんど嘘かもしれないけれど、そこから何を見抜くかが大切で、それに対して自分がどういう風に行動するかということですね。

榎さん:
そうそう。メディアは正直に真実をわかりやすいように説明してほしい。放射能にしても、福島で雨が降れば放射能が海へ垂れ流れていく。魚など自然界に影響が出るだろうとしか僕らにはわからないのだけれど、国や電力会社の人は「このぐらいなら大丈夫」と言って、原発を再稼働する。本当のところ放射能がどうなのかがわからないのにそのまま進んでいるのに僕は不安に感じるわけ。不安があるから話し合いの場もできるのかもしれないし、僕みたいに作品にする者もいる。デモに行くとか石を投げる人もいて、いろいろな表現の仕方があると思う。僕は武器の作品を作ったりこういう場で話をしたりして、まだまだメディアの中で話し合える場をつくっていきたいと思います。

お客さま:
香川でお生まれと言うことですが、香川の経験がいまの創作に生かされていると思われますか? 

榎さん:
僕は1944年に香川県の善通寺市で生まれました。家の近くに陸軍の基地があって、子ども時分から大砲や機関銃などの武器を運んだり演習をしたりするのを毎日のように見ました。日常的に武器はカッコいいなと思っていました。家が貧しかったので、演習で着弾した弾や薬莢を拾いに行って、スクラップ屋へ売りに行って漫画の本や鉛筆を買っていた。途中で頓挫しましたが、大きくなったら軍隊に入りたいと思っていました。日常的に武器を見ていたのが影響しているかもしれません。

PHOTO

お客さま:
芸術の値段について何かお考えがありますか? 本来は値段はないものだと思いますが、マーケットがありますね。それからスクラップについてもう少しお話を聞かせてください。

榎さん:
僕は値段については全くわからないし、どう考えてよいのかわからないけれど、作品の値段はいいかげんなのですよ。僕はギャラリーと契約もしていないので、買い手が本当に欲しいかどうかという気持ちによって値段が付くのですね。お金に縛られたくないというのもあって、逃げているのかもしれないけれど、お金のやりとりは苦手です。
トンいくらで買い取るスクラップは、それがなぜ出てきたか、そこで働いている職人の顔とか、泥まみれになってやっている人の顔が浮かんできたときに、それが単にスクラップとして扱えなくなった。そういう風に自分が変化していく。スクラップは僕にいろいろなことを教えてくれたり感じさせたりしてくれた。スクラップの作品を作るのは、スクラップを蘇らせたいというのではなくて、ものに対して素晴らしさやカッコよさを感じることをスクラップから教えてもらったからです。人間がかかわっているからおもしろいとか不思議なものを感じたのだと思う。よくわからないから、不思議だから、おもしろいのです。
なぜお金にならないことをするのか、なぜそんなことをするのかとよく人から聞かれるのですが、やっているときはそういうことは考えないのです。ひとつの展覧会が終わった後、「いつまで続けるのかな」と感じるのですが、それはどうしようもなくて、説明もできないし、どこかでそういうものを探しているのかもしれない。むずかしい世界です。子どもでもできるような感覚を持っていたらいいなと簡単に思うのだけれども、変に中途半端な、中途半端にもなっていないような大人になってしまっていて、まともな作品ができていないなと思っているから、だから作ってしまう方に逃げるのかもしれません。不思議というか魅力があると思うからやっているのだと思います。僕はそんな感じの程度の人間だから。よろしく。すみません。

(会場:笑)

フェリシモ:
最後にひとことお願いします。

榎さん:
こんなにたくさんの人々に来ていただいてありがとうございます。フェリシモという会社はなまえを聞いたことはあるがよくわからなかったし、神戸にこういう学校があるのも知りませんでした。僕が行って何になるのかよくわからなかったのですが、社長に会ったらおもしろそうなおっさんだったし、1度行ったら神戸がどのようなものか見えるかも知れないと思いました。
アートは今年もひとつかふたつまたやりたいなと思いますし、やってほしいなと思っていますが、まだ決まっていません。ひとつ決まっているのは今年の11月ごろから3月ごろまで兵庫県立美術館で彫刻の展覧会があって、それに出品が決まったぐらいで、そのほかは自分で探してごちゃごちゃやろうと思っています。また街で会ったら声をかけてください。今日はありがとうございました。

ページのトップへ

Profile

榎 忠(えのき ちゅう)さん<現代美術作家>

榎 忠(えのき ちゅう)さん
<現代美術作家>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1944年香川県生まれ。60年代後半から関西を中心に活動。1960年代半ばから創作の世界に入り、70~76年の集団での活動を経た後、街中での会場探しからはじめ、自ら展覧会全体を作り上げることを行ってきた。型破りなパフォーマンスをしたり、銃や大砲など現代社会における刺激的な題材を扱ったり、今日多量に生み出される金属の廃材に新しい生命を吹き込んだりと、独自の世界を展開。
代表作「ハンガリー国にハンガリ(半刈り)で行く」1977、をはじめ、個展「その男、榎忠」(キリンプラザ大阪)2006、「ギュウとチュウ― 篠原有司男と榎忠―」(豊田市美術館)2007、個展「榎忠展」(兵庫県立美術館)2011など。
2015年には、高野山 開創1200年特別企画展「いのちの交響」(高野山総本山金剛峯寺内/和歌山)に出品。美術館やギャラリーに限ることなく、現在も神戸を拠点に制作を続けている。2013年、紺綬褒章受賞。
写真:「ハンガリー国にハンガリ(半刈り)で行く」1977年 ©Chu Enoki

ページのトップへ

その他のゲスト

ページのトップへ